「30分前やろ?」と当たり散らして、事故報告書を書かせた人 💊 アドラー13年実践の作業療法士が考える、絶対に非を認めない人の正体
どこの職場にも、たぶん、いる。
絶対に、自分の非を認めない人。
うちの職場にも、いる。
今日は、その話をしたい。
ただし、私が被害に遭った話ではない。私は、その場にいなかった。
——それでも書きたくなった理由が、ちゃんとある。
💊 「30分前に飲ませるルールやろ?」
先日、こんなことがあった。
ショートステイに来られた、ある利用者様の、食前薬の話だ。
その方は、普段はデイサービスを使っている。デイでは、食事の5分前に服薬してもらっていた。
だから、ショートに来られたときも、同じように5分前に飲んでもらった。
そこに、ある職員の声が飛んだ。
30分前に飲ませるルールやろ?
当たり散らす、という言い方がいちばん近い。
そして、対応した職員は、事故報告書を書かされた。
📄 どこを確認しても、その指定はなかった
その後、確認は取られている。
デイサービスに、直接聞いた。5分前でやっている、という回答だった。
薬情も見た。30分前という指定は、どこにも書かれていなかった。
つまり、対応した職員は、間違っていない。
にもかかわらず。
それでも、その人は、自分の主張を一切曲げなかった。
事実が出そろっても、変わらない。
ここが、この話のいちばん怖いところだと思う。
🌫️ 私が思ったのは、怒りではなかった
この話を聞いたとき、私の中に浮かんだのは、たった一言だった。
あぁ、またやってるなぁ。
腹が立った、というのとは少し違う。慣れてしまっている、という感覚に近い。
そして、そのすぐあとに来たのが、これだ。
言われた職員が、不憫でならない。
自分は間違っていないのに、声を荒げられて、報告書まで書かされる。
あの、書きながら「なんで私が」と思う時間。
書類の空欄を見つめている数十分。
あれは、じわじわと人を削る。
🧭 課題の分離で、片づくはずだった
私は、アドラー心理学を13年実践してきた。
だから、こういうとき、いつも同じ道具を取り出す。
課題の分離だ。
その人が、非を認めないこと。事実より自分の主張を選ぶこと。
それは、その人の課題であって、私の課題ではない。
しかも今回、私は現場にいない。攻撃されたわけでもない。
理屈で言えば、これは、きれいに線が引ける話だ。
——それなのに、感情は残る。
不憫だ、と思ってしまう。
課題の分離は、他人に無関心になる技術じゃない。
線は引く。でも、心まで切り離すわけじゃない。
私はここを、いつもセットで考えている。
🔍 なぜ、人は非を認められないのか
ここからが、今日いちばん書きたかったところだ。
アドラー心理学には、目的論という考え方がある。
人の行動には、原因ではなく、目的がある、という見方だ。
この目的論で読み解くと、あの怒鳴り声の意味が、少し変わってくる。
疲れていたから、怒った。 忙しかったから、当たった。
たぶん、違う。
怒りは、感情の暴発ではなく、目的を果たすための道具だ。
では、何のための道具か。
その場を、自分が上に立ったまま終わらせるため。
そして——自分が間違っている可能性を、その場から消すためだ。
🪞 事実を突きつけても、変わらない理由
普通に考えれば、薬情を見せて、デイの回答を伝えれば、話は終わる。
でも、終わらない。
なぜか。
その人にとって、これはもう、薬の話ではなくなっているからだ。
5分前か、30分前か。
その一点を認めた瞬間に、崩れるものがある、と本人が感じている。
間違いを認めること=自分の価値が下がること。
この等式が、頭の中で成立してしまっている人がいる。
だから、事実は関係ない。
事実を認めたら、自分が負ける。だから、認められない。
🏔️ 強く見える人ほど、足元が不安定
アドラーは、劣等感そのものを悪いものとは考えなかった。
問題は、そこから逃げるために使う優越コンプレックスのほうだ。
自分に自信が持てないから、他人より上に立つことで、埋めようとする。
大きな声。断定。当たり散らす態度。
あれは、強さの表れではない。
いちばん怖がっている人が、いちばん大きな声を出す。
私は、そう思っている。
本当に力のある人は、あっさり「ごめん、勘違いしてたわ」と言える。
そこで自分の価値が減らないと、知っているからだ。
逆に言えば。
謝れないというのは、謝ったら自分が保たない、という自己申告でもある。
そう考えたとき、あの人に対して、私の中に残ったのは怒りではなかった。
不憫なのは、報告書を書かされた職員だ。
でも、その人自身も、たぶん、かなりしんどいところに立っている。
👨 私の父も、そういう人だった
ここで、自分の話もしておきたい。
過去の記事にも書いたけれど、私の父も、非を認めないタイプだった。
だから私は、思いきり反面教師として育った。
その結果、どうなったか。
悪くないのに、先に謝ってしまう。
これは、これで、自分の課題だと思っている。
場を収めるために、とりあえず頭を下げる。HSPの、悪い癖だ。
でも、これだけは、はっきりしている。
自分が悪いときには、謝る。
これだけは、譲らない。
職場でも、家でも。
7歳の娘にも、私は謝る。
言いすぎたとき。約束を忘れていたとき。ちゃんと、ごめんね、と言う。
親だから謝らない、なんてことは、しない。
これは、私にとって当たり前のことで、たいそうな信念でもなんでもない。
ただ、アドラーの言葉を借りるなら、これが横の関係そのものなのだと思う。
上でも、下でもない。
謝ることは、下に降りることじゃない。
同じ高さに立ち直すことだ。
🛡️ それでも、現場でどうするか
ここまで内側の話をしてきたので、最後に、実務のことも置いておきたい。
こういう人が職場にいるとき、私が大事だと思っていることは、3つある。
ひとつ目。論破しようとしない。
相手の目的は、正しさじゃない。だから、正しさで殴っても終わらない。むしろ長引く。
ふたつ目。事実だけを、記録に残す。
薬情の内容。デイへの確認結果。誰が、いつ、何を確認したか。
感情を書かない。事実だけを、置いておく。
これは、その人を追い詰めるためじゃない。
次に同じことが起きたとき、誰かがまた報告書を書かされないためだ。
みっつ目。削られた人の隣に、座る。
これが、いちばん大事だと思っている。
あれ、あなたのミスじゃないですよ。
たった一言でいい。
一人で「なんで私が」を抱えている時間を、少しでも短くする。
私が現場にいなかった今回、できるのは、これくらいだ。
でも、これくらいしかできない、とも思っていない。
一緒に困ってくれる人が一人いるだけで、人はけっこう、持ちこたえる。
🍃 おわりに——変えられるのは、自分の側だけ
非を認めない人を、変えることはできない。
それは、その人の課題だからだ。
私は、そこには手を出さない。
でも、自分がどちらの人間でいるかは、毎日、選べる。
事実を出されたときに、曲げないのか。
それとも、ごめん、勘違いしてたと言えるのか。
たった一言だけれど、この一言が言える人のところにだけ、人は残っていくのだと思う。
私は、父のようにはなりたくなかった。
そして今も、娘に謝れる父親でいたいと思っている。
たぶん、私が守りたいのは、その一点だけだ。
——最後に、あなたに聞いてみたい。
あなたの職場にも、絶対に非を認めない人は、いますか。
そして、あなた自身は、いちばん最近、誰に「ごめん」と言いましたか?🌿
プロフィール 🙋♂️

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#アドラー心理学 #課題の分離 #目的論 #職場の人間関係 #HSP #作業療法士 #介護の現場 #謝れない人
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