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刑事事件ー疑わしきは、、、




1.はじめに


こんにちは!
弁護士の小林正和です。

今回のテーマは、疑わしきは、、、です。


2.疑わしきは罰せず


疑わしきは罰せず」あるいは「疑わしきは被告人の利益に」という法諺は、皆様も聞いたことがあるかもしれません。

これは、刑事裁判の基本原則を表すことわざで、犯罪をしたかどうか疑わしい場合には、罰しない、という意味です。言い換えれば、検察官による犯罪があったことの証明が十分でない場合には、被告人を有罪にすべきではない、というもので、「推定無罪」という考え方です。

私は大学・大学院は理科系でしたので、ロースクール(法科大学院)に行ってから、本格的な法律の勉強を始めましたが、刑事訴訟法などで登場します。

この基本原理から、刑事訴訟法の様々な制度や規定が導き出されるわけです。

1人の無辜の者(罪のない人)も罰してはならない

冤罪事件が最近よく話題になっていますが、刑事手続では、絶対に、たった1人であっても、犯罪をしていない人を間違って罰してはなりません。ですので、刑事裁判は、慎重に行われるわけです。


3.一人の犯罪者も逃してはならない


しかし、冤罪かもしれない方が再審請求をするなど、実際には、無辜の者を罰してしまっているおそれが現状としてあります。

どうしてそういうことが起こるかというと、

1人の犯罪者も逃してはならない

という捜査機関(検察、警察)が自分たちの存在意義を示す強い信念があります。

これ自体も、もちろん素晴らしい信念です。

さて、ここで、

1人の無辜の者(罪のない人)も罰してはならない

1人の犯罪者も逃してはならない

とは、決して矛盾する概念ではありません。

神様であれば、これらを両立することは可能です。

しかし、犯罪者(被疑者)を起訴して刑罰を課すことを求める捜査機関、犯罪者(被告人)に刑罰を課す裁判官も含めて、我々は神様ではないので、必ず、間違った判断をしてしまいます。つまり、犯罪をしていない人を犯罪者と取り違ってしまう可能性があるのです。

弁護人の立場としては、推定無罪の立場で弁護活動をする一方、捜査機関としても、推定無罪の立場を否定するわけではないものの、実際に犯罪が生じてる(被害者がいる)事件で、誰も罰することができない(たとえば、犯人を見つけられない、犯人らしき人を見つけても罰せられない)というのでは、世間に示しがつきません。自分たちの存在意義を問われてしまいます。罪を犯した者に罰を与えるべく活動するのが、捜査機関の存在意義そのものだからです。

なので、「1人の犯罪者も逃してはならない」という信念の下、ただし、捜査機関は神様ではないので、先入観やミスで、罪を犯していない人を、逮捕・勾留し、起訴してしまい、更に、下手をすると裁判官までもが冤罪を見逃し、その結果として、ごく稀ではあるものの、冤罪が生まれてしまうのです。

4.最後に


今回は、疑わしきは、、、でした。

私は、弁護人として活動していますが、事件の中には、自白事件(自ら罪を認めている事件)もあれば、少数ですが、否認事件(罪を認めていない事件)もあります。

私も、残念ながら神様ではないので、目の前の被疑者・被告人が、本当に罪を犯していないのか、本当は罪を犯したのかは、わかりません。さて、どういう気持ちというかスタンスで対応しているのでしょうか。

それは、また別の記事で書きたいと思います。

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

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本ブログの内容を信じて行動した結果、何らかの不利益があった場合でも、それを補償するものではありません。刑事事件に関して何らかの対応をする場合は、弁護士に相談するなどしてください。本ブログの内容に誤りや誤解のある記述がありましたら、個別にご連絡頂ければ幸いです。



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