忘れ物保管所
Dさんがその体験をしたのは、転職して間もない頃だった。
勤務先はN県S市にある文化施設だった。
コンサートや講演会が開かれる建物で、毎日のように財布や傘、帽子などの忘れ物が届けられる。
忘れ物は一定期間保管し、持ち主が現れなければ処分する。
それだけの仕事だった。
保管室は地下にあった。
窓のない小さな部屋で、棚には透明なケースが番号順に並んでいる。
ある日、先輩のKさんが一つだけ注意をした。
「青いタグが付いた物には触らないでください」
理由を尋ねても、
「そういう決まりだから」
としか答えなかった。
数週間後、Kさんが体調を崩して休んだ。
閉館後、Dさんは一人で保管室の整理を任されることになった。
棚を見ていると、一番奥に青いタグの付いたケースがあった。
番号はない。
中には黒い折り畳み傘が一本だけ入っている。
誰の物か書かれた紙もない。
ふと気になって管理台帳を調べた。
そのケースだけ記録が空欄だった。
届けられた日付も、拾得場所も、何も書かれていない。
その時、館内放送が流れた。
「閉館しました。本日のご来館ありがとうございました」
いつもの自動音声だった。
だが、放送が終わる直前、小さく別の声が混じった。
「まだ一つ残っています」
Dさんは聞き間違いだと思った。
作業を続けようとすると、保管室の扉がゆっくり閉まった。
空調の風だろう。
そう考えながら振り返ると、棚の一番下に水滴が落ちていることに気づいた。
ぽたり。
ぽたり。
青いタグのケースの下だけが濡れていた。
ケースを持ち上げる。
中の傘は閉じたままなのに、水が滴っている。
しかも雨水ではない。
川のような、生臭い水の匂いがした。
その夜は気味が悪くなり、そのまま帰宅した。
翌朝、出勤するとケースは元の場所に戻っていた。
誰かが整理したのだろうと思い、Kさんへ尋ねた。
するとKさんは少し黙り、
「見たんですね」
とだけ言った。
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