当たり前があるって、当たり前じゃない
朝のコーヒーの香り。
静かな部屋に差し込む光。
お気に入りのマグカップに手を添える時間。
「今日も、いつも通りだな」って思う瞬間は、案外たくさんあるのに、
それがあること自体を意識することって、ほとんどありません。
でも、ある日ふと気づくんです。
あたりまえのようにそこにあったものが、
ほんとはずっと「ありがたいもの」だったってことに。
そんな当たり前について、
今日はゆるりと語ってみたいと思います。
ある朝、すべてが“当たり前”じゃなくなった

ある朝、突然、身体に違和感がありました。
手がうまく動かない。
うまく話せない。
「これ、なんかおかしいな」と思って病院に行ったら、脳梗塞でした。
幸い大事には至らなかったけれど、
あのとき、いつも通りは一瞬で壊れるんだなと実感しました。
それまで当たり前だったこと
朝起きて、顔を洗って、コーヒーを淹れて、言葉を交わして。
全部が、ちゃんとできることじゃなくなる日が、突然やってきたりするんですよね。
病院のベッドの上で、なんでもない日常がいかに貴重だったかに気づきました。
ちょっとだけ遅めに起きて、
ゆっくりコーヒーを飲める朝。
それって、じゅうぶんすぎるくらいの幸せだったんだなって。
コーヒーの香り、大切な人の声、それがある幸せ

それからの私は、朝の時間を少しだけ丁寧に過ごすようになりました。
豆を挽くときのゴリゴリという音。
お湯を注いだときにふわっと立ち上る香り。
カップから手のひらに伝わる、あたたかさ。
「ただのコーヒー」だったはずの時間が、
今では、ちゃんと生きていることを感じられる時間になりました。
スマホを見ながら、
ながらで飲んでいた頃には、たぶん気づいていなかった。
静かな部屋のなかで、ただ湯気を眺める朝。
それだけでも「今日がある」ことに、ちょっとだけ安心できたりします。
そういえば、
最近はふとした瞬間に、大切な人たちのことを思い出すようになりました。
元気にしてるかなとか、
あのときもっとちゃんと伝えればよかったなとか。
会えるのが当たり前じゃない今だからこそ、
連絡が返ってくること、
誰かの声を聞けることが、すごくうれしかったりします。
いつかなくなるかもしれないと思った瞬間から、
“今ここにある”ことが、急に愛おしくなってくる。
そういうものなのかもしれません。
“失ってから気づく”を繰り返さないために

病気になったときもそうでした。
いつも通りが続くなんて、どこかで当然のように思ってたんですよね。
でも実際は、
突然終わってしまう関係もあれば、
二度と戻ってこない場所や時間もあって。
「もう少し、ちゃんと味わっておけばよかったな」って
後になって思うこと、これまでに何度もありました。
例えば、
毎日LINEしていた人との会話が途切れたとき。
当たり前にあった連絡が、ぱったり来なくなっただけで、
部屋の空気がちょっと変わる気がしました。
思い返してみると、
その人の言葉にも、空気にも、ちゃんと感謝したことなんてなかったなって。
地震や災害のニュースを見たときも、
ここにある日常が、どれだけ脆くて尊いかを痛感します。
だけど人はすぐ忘れて、また“当たり前”に戻ってしまう。
だからこそ、
“なくなってから気づく”を、繰り返さないようにしたいと思うようになりました。
ほんの一瞬でも、
「今日もこれがある」って感じられるだけで、
その一日は、ちゃんと意味のあるものになる気がします。
だから、ちゃんと味わいたい

あの日感じた「当たり前じゃなかった」という気づきを、
ちゃんと忘れずにいたいなと思うようになりました。
だから私は、
コーヒーを飲むとき、少し深く香りを吸い込むようになりました。
「あ、今日もこれが飲めてるな」って、ちょっとだけ意識する。
スマホも横に置いて、
静かな音だけが流れる部屋で、ただその時間を感じる。
それだけのことなのに、不思議と安心できたりします。
誰かに会ったら、
照れずに「ありがとう」とか「今日も元気そうでよかった」とか、
ちゃんと伝えるようにしています。
それが言える今も、
言える相手がいる今も、
当たり前じゃないんだと思うから。
今日も空がきれいだなとか、
風が気持ちいいなとか、
そんなふうに感じられる一瞬があるだけで、
その日はちょっと豊かになる気がします。
味わうって、特別なことをするんじゃなくて、
いつもそこにあるものに、ちゃんと気づくってことなんだなって
最近ようやく思えるようになってきました。
“ある”ことに、ありがとう

例えば今、
部屋に差し込む光や、
カップから立ち上る湯気に気づけたなら。
それだけで、今日はちゃんと生きてるな、と思えます。
当たり前があるって、当たり前じゃない。
だから今日も、
この静かな一日を、ていねいに始めたいと思います。
