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多数決で、自分の「好き」を決めなくていい

Xで、「#このタグを見た人は4文字で自己紹介する」
というタグを見かけました。

仕事に関係する言葉ではなく、もう少し自分らしいものがいいなとそう考えて浮かんだのが、「テスラ沼」でした。

私は、発明家のニコラ・テスラが大好きで、そこから思い浮かんだ言葉です。今なら普通にそう言えます。

でも昔の私は、自分の好きなものを、そのまま好きと言うのが少し苦手でした。

みんなに通じるものを選んでいた

ニコラ・テスラが好きだと話しても、
「誰?」
と聞かれることがよくありました。

もちろん、知らないことが悪いわけではありません。
ただ、周りに知っている人が少ないと、自分だけほかの人と違うように感じてしまったんですよね。

そのうち私は、自分が本当に好きな人よりも、みんなが知っている人の名前を出すようになりました。

多くの人が知っている人。
名前を出せば、すぐに話が通じる人。
好きだと言っても、変に見られない人。

そちらを選んだほうが、会話の中で浮かずに済んだからです。

昔の私は、多数決で多いほうが正しいと考えていたんですよね💦

みんなが好きなものは、好きになるべきもの。
多くの人がいいと言う人は、いい人。
みんなと違う自分のほうが、間違っている。

自分の感覚よりも、周りの意見を優先していました。

多数派ではない道を選んだ

そんな考え方が少しずつ変わったのは、フリーランスとして生きていくと決めてからでした。

会社に勤める人のほうが多い中で、私はそこから外れる道を選びました。
以前の私なら、多くの人が選んでいないというだけで、その道を選ぶことはできなかったはずです。

みんなと違うから不安になる。
正解が分からないから迷う。
少数派だから間違っているように感じる。

だから多くの人と同じ道を選ぶ癖がありました。
しかし、少しずつ考え方が変わってきたんです。

多数派ではなくても、生きていける。
みんなと違っていても、それだけで間違いにはならない。
自分の感覚も、一人分の答えとして大事にしていい。

そう考えられるようになっていきました。

人の数だけ、見え方は違う

事件の台本を書いていると、同じ出来事について、まったく違う証言が出てくることがあります。

Aさんは「あの人が悪い」と話す。
Bさんは「自分は悪くない」と話す。
Cさんは、二人とはまた違う角度から事件を見ている。

誰か一人だけが、すべて正しいとは限りません。
同じ出来事でも、立場が違えば見え方は変わる。

経験が違えば受け取り方も変わる。
感情が違えば語り方も変わる。
確認できる事実は一つでも、その人が受け取った真実はそれぞれ違います。

人に対する好き嫌いも同じです。
私が苦手だと感じた人を、ほかの誰かは「いい人」と感じているかもしれません。

あなたにとっては、いい人。
別の誰かにとっても、いい人。
私にとっては、苦手な人。
その三つは、同時に存在していい。
相手の感じ方を否定する必要はありません。

だからといって、自分の感じ方を間違いにする必要もありません。

ニコラ・テスラを知っている人が少なくても、私が好きなことは変わらない。
誰かに通じなくてもいい。
みんなと違っていてもいい。
多数決で、自分の好き嫌いまで決めなくていいんですよね。

なので今では通じなくても胸をはって言えるようになりました。
私は孤高の天才と言われたニコラ・テスラが大好きです🥰

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