信頼されるのは、知識を「ひけらかす人」ではなく「翻訳できる人」だった
昔の私は、自分の知識をひけらかして、相手より優位に立とうとする、とっても恥ずかしい人間でした。
「あ、それ知ってる!要は〇〇ってことでしょ?」
と、人の話を途中で奪って知ったかぶりをしたり。
「普通に考えて、〇〇でしょ。常識だよ」
なんて、無意識に相手を見下すような言い方をしたり。
今思えば、あれは完全な「知識マウント」でした。
自分の自信のなさを隠すために、必死で言葉の鎧を身につけて、相手を攻撃することで自分を守っていたんですよね(笑)
でも、本当は分かっていました。
そんなことをしても、
周りから「すごいね」なんて思われるはずがないって。
ただただ、人が離れていくだけだって。
今日は、承認欲求の塊だった私が、知識を「ひけらかす人」から、
相手のために言葉を選ぶ「翻訳できる人」へ
変わるまでのお話をゆるりと語っていきますね。
なぜ私たちは、つい「難しい言葉」で話してしまうのか?

昔の私みたいに、つい知識をひけらかしてしまうのって、一体どうしてなんでしょうか?
性格が悪いから? 意地悪だから?
もちろん、それもあるかもしれませんが(笑)
実はこれ、私たちの心に潜む「ある感情」のしわざらしいんです。
それは、「自分に自信がない」という劣等感です。
心の中に、「自分はまだまだだ…」「このままじゃダメだ…」という焦りや不安がある。
その“穴”を埋めるために、
私たちは無意識に「知識」という名の武器を手にしてしまうんです。
例えばこんな――
・相手が知らない横文字を知っている
・流行りのビジネス書の内容を語れる
・自分だけが“通”な情報を握っている
そうやって、ほんの少しでも相手より優位に立つことで、
「自分は大丈夫だ」と、かろうじて心のバランスを保とうとしているんですよね。
これって、例えるなら
トゲがたくさんついているハリネズミみたいなものです。
本当は臆病で、誰かに優しくしてほしいだけなのに、
「近づいたら刺すぞ!」と、全身のトゲ(知識)を逆立てて威嚇してしまう。
相手からすれば、
「うわ、なんか怖そう…」
「別に攻撃するつもりないんだけどな…」
「話しかけづらいから、やめておこう…」
と、距離を置かれてしまうだけなのに。
当時の私も、まさにこのハリネズミでした。
後輩から「これ、どう思いますか?」と相談された時、
「うーん、そもそも君のその考え方は視座が低いよね。もっと俯瞰的に物事を捉えないと」
なんて、わざと難しい言葉を選んで答えていました。
本当は、「どうアドバイスしたらいいんだろう…」と内心ビクビクしているくせに(笑)
「下にみられたくない」「なめられたくない」という一心で、言葉のトゲを必死に逆立てていたんです。
でも、相手が本当に欲しかったのは、そんな上から目線の偉そうなアドバイスなんかじゃなかったはずです。
「そっか、悩んでるんだね。一緒に考えてみようか」
という、たった一言の寄り添う言葉だったのかもしれないのに。
知識マウントって、結局のところ、
「ありのままの自分じゃダメだ」という、自分自身への不信感の裏返しなんですよね。
トゲを逆立てれば逆立てるほど、
本当に欲しい「安心感」や「人とのつながり」は、遠ざかっていく。
当時の私は、そんな悲しい悪循環にハマっていたんです。
「物知りな人」と「話が分かりやすい人」の決定的な違い

知識マウントという名の重たい鎧を脱ぎ捨てて周りを見渡してみると、あることに気づいたんです。
世の中には、「物知りな人」と「話が分かりやすい人」という、似ているようで全く違う2種類の人たちがいるな、って。
昔の私が目指していたのは、完全に前者でした。
とにかく知識をインプットして、「桐生さん、何でも知ってるんですね!」と言われるのが快感だったんです(笑)
でも、そういう「物知りな人」って、周りからの評価は案外こんな感じだったりしませんか?
「すごいんだけど、話がちょっと長いんだよな…」
「正しいんだろうけど、専門用語の乱立で意味がわからない…」
「あの人に相談すると、余計に混乱する…」
そう。ただ知識を並べるだけの人って、相手を疲れさせてしまうことがあるんですよね。
それは、知識の使い方が「自分向き」だからです。
自分が気持ちよくなるために、情報を一方的に投げつけているだけなんです。
一方で、「話が分かりやすい人」は、知識の使い方が完全に「相手向き」です。
彼らが大切にしているのは、自分がどれだけ知っているかではなく、相手がどれだけ理解してくれるか。
難しい専門用語が出てきたら、すかさず身近なものにたとえてくれたり。
複雑な話になりそうになったら、「要するに、これだけ覚えておけば大丈夫です」と、ポイントを絞ってくれたり。
これ、会社のプレゼンなんかをイメージすると、分かりやすいかもしれません。
Aさんは、びっしりと専門用語やデータが書き込まれた資料を、早口で読み上げていきます。
「こちらのKPIがKGIに対して未達でして、そのファクターとしては…」
聞いている側は、「えーっと…?」と置いてけぼり。
終わった後に残るのは、「なんかすごそうだったな」というぼんやりとした感想だけ。
一方でBさんは、最初にこう言います。
「今日みなさんに覚えて帰ってほしいのは、たった一つだけです。『お客様は、もっとカンタンなものを求めている』ということです。その理由を、今から3つのデータでお見せしますね」
……どうでしょう?
どちらの人の話を「もっと聞きたい!」と思いますか?
どちらの人を「信頼して仕事を任せたい!」と感じますか?
答えは、言うまでもないですよね。
「物知りな人」は、持っている知識の“量”で勝負しようとします。
でも、「話が分かりやすい人」は、知識をいかに相手に優しく“手渡せるか”で勝負している。
この決定的な違いが、「すごいね」で終わる人なのか、「あなたに相談したい」と頼られる人なのかの、分かれ道だったんですよね。
本当にすごいのは、「知っていること」より「どれだけ噛み砕けるか」

「話が分かりやすい人」が、なぜあれほどまでに信頼されるのか。
その理由をじっくり考えてみたら、すごくシンプルな答えにたどり着きました。
それは、彼らが持っている知識の「量」がすごいんじゃなくて、
難しくて専門的な情報を、私たちの分かるレベルまで「噛み砕いてくれる力」が、圧倒的にすごいからなんですよね。
「知っていることを、知っているまま話す」
これって、実は一番カンタンで、楽なことなんです。
だって、自分の頭の中にあるものを、そのまま口から出すだけなんですから。
でも、「噛み砕く」というのは、全く別のエネルギーを使います。
相手の知識レベルはどのくらいかな?
どんな言葉を選んだら、誤解なく伝わるかな?
何にたとえたら、イメージが湧きやすいかな?
……と、自分のことよりも、相手のことを何倍も考え抜く必要があるからです。
これ、人気の料理研究家さんを思い浮かべてもらうと、すごく分かりやすいかもしれません。
テレビや雑誌で、一流の料理評論家が難しい顔をしてこう語っていたとします。
「このソースの決め手は、丁寧に取ったフォン・ド・ヴォーを煮詰め、仕上げにバターでモンテしたことによるコクと乳化ですね」
……正直、ちんぷんかんぷんじゃないですか?(笑)
「すごいのは分かったけど、私には関係ない世界の話だな」って思っちゃいますよね。
一方で、人気の料理研究家さんは、テレビの向こうの私たちに、笑顔でこう語りかけます。
「難しそうに見えます? 大丈夫! このソース、実はお醤油とお砂糖と、あとケチャップを混ぜるだけで、お店みたいな味になるんですよ〜!」
……どうでしょう?
思わず「え、それなら私にも作れそう!」って、前のめりになりませんか?
私たちが、彼らのレシピ本を手に取り、その言葉を信頼する理由って、まさにここにあるんですよね。
難しい専門用語は、絶対に使わないこと。
家にある道具や調味料で、ちゃんと再現できるように教えてくれること。
「失敗したっていいんですよ〜」と、私たちの気持ちに寄り添ってくれること。
プロの世界の技術を、私たちの日常まで「翻訳」して、優しく手渡してくれる。
その「噛み砕く力」に、私たちは絶大な安心感と信頼を寄せているんです。
本当に頭がいい人って、知識の量をひけらかす人じゃない。
自分の知識を、相手が受け取れる形にまで、どこまでも柔らかく、どこまでも優しく加工できる人。
その「噛み砕く」というひと手間を惜しまない人こそが、本当の意味で「賢く」そして「信頼される人」なんだなと、ようやく気づいたんですよね。
分かりやすさは、相手への「思いやり」

ここまで、「難しい言葉で話してしまう心理」や、「分かりやすく伝えることの大切さ」について色々と語ってきました。
昔の私は、「分かりやすく話す」って、プレゼンやライティングで使う、ただの「スキル」や「テクニック」だと思っていたんです。
でも、今は違います。
分かりやすく伝えようと努力することって、もっとシンプルで、もっと温かいもの。
それは、相手の時間を大切にする「思いやり」そのものなんだなって。
相手が知らない言葉をそのまま投げつけるのは、
「この意味、自分で調べておいてね」
と、相手に宿題を押し付けているようなものです。
相手が理解できずに「?」という顔をしているのに気づかず話を続けるのは、道に迷っている人を、さらに混乱させるようなものです。
相手が求めてもいない知識を延々と語るのは、
お腹がいっぱいの人に、無理やり高級料理を食べさせようとするようなものです。
これって、全部相手の時間を奪ってしまっているんですよね。
自分の承認欲求を満たすために。
それに気づいた時、本当に恥ずかしくなりました。
私が身につけるべきだったのは、新しい知識や難しい専門用語なんかじゃなかった。
たった一つの、「相手を思いやる心」だったんだ、って。
知識って、それ自体がゴールじゃないんですよね。
どれだけ素晴らしい知識も、自分の頭の中にあるだけでは、ただの自己満足。
相手に伝わって、相手の心を動かして、相手の役に立って、初めて価値が生まれる。
だから、知識は自分を強く見せるための「武器」なんかじゃなくて、
目の前の相手に「これ、きっとあなたの役に立つと思うんだ」って手渡すための「プレゼント」なんだと思います。
プレゼントを渡す時って、相手が喜んでくれるように、
包装紙を選んだり、リボンをかけたりしますよね?
「分かりやすく伝える」って、きっとそのラッピング作業のことなんです。
難しい言葉という名の鎧を脱いで、「思いやり」というラッピングを意識し始めたら、コミュニケーションがずっと楽になりました。
「すごいですね!」と言われることは減ったかもしれないけれど、
その代わりに、相手から「なるほど、よく分かりました!」「相談してよかったです、ありがとう!」と言われる機会が、何倍にも増えたんです。
信頼されるのは、知識を「見せる人」ではなく「翻訳できる人」だった。
その翻訳の根っこにあるのは、小手先のテクニックじゃない。
目の前の相手を、大切に思う、たった一つのシンプルな気持ちなんですよね☺️
