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ゴッホのお墓と麦畑があるフランスの村を訪ねた





ゴッホの村に導かれて


フランス旅行の計画をほぼ立て終えた頃、「ゴッホが最期を過ごした村が、パリ郊外にある」という一文が目に飛び込んできた。

彼が自分に向けてピストルを発砲した麦畑。
血を流しながら戻った宿。
それらが、今もそのまま残っているという。

しかもその村は、旅の最終地であるジヴェルニーから、そう遠くない場所にあった。
私は長いあいだ、ゴッホの最期を南仏だと思い込んでいた。何度も伝記を読み返し、ほんの一年前にはアムステルダムの美術館で彼の人生を辿ったばかりだったのに。

「だったら、絶対に行きたい」

そう言うと、夫はすぐにうなずいた。
彼もゴッホが好きだし、車で移動しているからこそ、組み込める寄り道だった。

夫は、ゴッホが最期を過ごした宿のすぐ向かいにある、小さなホテルを予約してくれた。

オーヴェル=シュル=オワーズ


夕方、ようやく村に到着した。
地図の中でしか知らなかった名前が、目の前の標識として現れた瞬間、胸が高鳴った。

私は勝手に、鉛色の空と枯れた木々、沈んだ空気を想像していた。
けれど五月のフランスは、驚くほど美しい。若葉は柔らかく揺れ、古い石垣のすき間から、バラがこぼれるように咲いている。鳥たちは、楽しげにさえずっていた。

村は、静かで、穏やかだった。

荷物を置くなり、私たちはすぐに外へ出た。


ここに泊まった。無料パーキングが近くにある。




オーベルジュ・ラヴー


ホテルの目の前にあるのが、ゴッホが最期を過ごした宿。
1890年5月から7月まで、彼はここに滞在し、わずか70日で80点以上の絵を描いた。兄テオへの手紙には、「毎日、パンとチーズとワイン一杯、それにタバコ」と記されている。

レストランの入り口には、赤ワインのボトルとグラスが静かに置かれていた。観光的な演出というより、ひとりの画家への敬意のように感じられた。

彼が使っていた部屋には入れなかったけれど、そこにいることですでに胸がいっぱいになってしまった。

名称:Auberge Ravoux(別名:Maison de Van Gogh)



ゴッホの墓石が教えてくれた愛


5時をまわり、空は少しずつ青さを失いつつあった。私たちも自然と足早になる。パリからの日帰りで訪れている人たちは、そろそろ帰路につく時間帯なのかもしれない。

墓地へ向かった。
あたりは静まり返っていた。

そこにあったのは、想像よりもずっと小さく、飾り気のないふたつの墓。
アイビーに包まれ、並んでいた。

ゴッホと、弟テオ。

てっきり、一人で孤独に眠っていると思っていたので、これは大きな驚きだった。

兄を支え続けたテオは、ゴッホの死から半年後、兄を追うようにこの世を去った。その後、妻ヨハンナの手によって、彼の遺骨はこの地へ移された。と後から知った。彼女こそが、ゴッホの作品を守り、世界へと届けた人だった。そして、その意志を継いだ息子が、後にゴッホ美術館を創設する。

ゴッホはここでは孤独ではない。
最愛の兄がいるし、世界中からゴッホを愛する旅行者たちが訪れる。なんという幸せな場所だろう。

兄弟の墓



麦畑のほとりで

墓地を出ると、麦畑が広がっていた。
ここでゴッホは、銃を手に取った。

観光客たちが写真を撮り、大きすぎる笑い声があたりに響いていた。最初、私はその光景に戸惑った。ここは、そんなふうにはしゃいで観光する場所じゃない、と癪に障った。でも、すぐに思い直した。

ここは、悲しみだけを抱える場所ではない。
彼の絵を愛する人たちが、世界中から集う場所。無邪気な笑い声が響くほうが、ゴッホや村の人たちにとっては嬉しいのかもしれない。と。

空は再び雲に覆われ、風に揺れる麦は、あの絵のように、どこか不穏な表情を見せていた。彼が見た光と風を、ほんの一瞬でも共有できた気がした。

導かれるように辿り着いたこの村で、私はゴッホという画家を「遠い存在」ではなく、ひとりの人間として感じ直していた。

あの麦畑


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