息子とカフェ。母の日、そしてまた当分さようなら。

金曜日の夕方、リモートワークを終えた息子に誘われて、海辺のカフェへ行った。 4月の間、わが家に滞在していた彼も、明日にはまた別の街へと引っ越していく。
去年、シカゴへ行くときに愛車を潔く手放した彼。戻ってきてからすぐに新しい車を手に入れ、この一ヶ月は何度も私をドライブに連れて行ってくれた。
息子の運転でカフェに着き、当たり前のように支払ってくれる。社会人になってからはずっとこんな感じで、「あぁ、子育てって本当に完了したんだな」としみじみ。 これまでの『親子』という枠が外れて、大人同士という新しいフェーズに入っていくのが、新鮮で面白い。何か教えたり、教えてもらったり。いつも色々な情報交換もしている。
滞在中の私たちは、彼が仕事、私は遊びと、お互い自分の人生に忙しく、実はゆっくり話す時間は意外と少なかった。 ラテを飲みながら、ようやく深いところまで近況を分かち合う。 もともと意識の向いている方向が似ているから、会話の潜り方はどこまでも深い。
けれど、仕事の話になると事情が変わる。 息子が社会人になった途端、私はひたすら「聞く専門」になってしまった。 今の時代のスピード感、さらにはアメリカの話題世代のビジネスの感覚。私にはもう全然ついていけない。 彼らの世代は、これまでの「常識」や「正解」なんて、そもそも耳に入れる必要がない場所に立っている、とつくづく感じる。それを、「最近の若者は……」とネガティブに捉える人もたくさんいるけれど、私はそうは思わない。
誰かの背中を真似る「前習え」の時代はもう終わった。 これまでの時代にはなかったAIが当たり前にある今。働き方そのものも変りつつあるし、自分の足でどこへ向かうかを決めることは、社会人としての「最低限の装備」なのだ。
他人の意見を聞かず、やりたいことだけをやって、自分勝手に振る舞うことともまた違う。溢れる情報のなかから必要なものを選び取り、自分の声に従って判断する。でも、これがなかなか難しい。親や上司、世間という名の「ドリームキラー」たちは、いつだって良かれと思って価値観を押し付けてくるから。 「どうしてそっちへ行くんだ?」「こっちの方が正しいのに」
息子もこの1年間は、そんな声の中にいた。大企業の中にいた方が色々と安心で安定だったのにね、という声。それは今でも続いている。母親の私にも多少なりともふりかかる。でも、自分の判断基準をブレさせることなく人生を展開させている息子の姿を見ていると、少しだけ誇らしい気持ちになる。
軽やかにアップデートしていく姿をみながら、親としてどう在りたいのか。そんなことを考えながら一緒に帰宅した。
明日出発だから、1日早めに「母の日」のディナーを3人でしようか?と息子は言ってくれていたけど、私は夫と友達夫婦とのディナー、そしてダンスに行くことを選んだ。信頼があるから手放せるし、充実してるから寂しくない。引っ越し先も同じ州なので、大きな別れでもないのだ。去る前に、美しいお花のブーケを渡してくれた。
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