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教えるのではなく、思い出させる。カナダにいる息子との毎日



毎日のやりとりは、ごく普通

今、カナダに短期滞在しているZ世代の息子とは、かなりこまめに連絡を取っている。もしかしたら日本では、ちょっと親密すぎると思われるかもしれない。でも、アメリカではそれほど珍しいことではない。

AT&T(米国大手通信会社)の調査によると、Z世代の4人に1人が、母親と毎日、電話またはビデオチャットをしているという。私の世代まで含めると、全体の70%以上が母親に毎日、電話やテキストを送っているそうだ。親になった今、この数字がなんだか微笑ましい。

そして、こうした距離感が自然に受け入れられているアメリカの一面を、私はけっこう好きだ。

ストリートビューで一緒に散歩


私は、面白かったリール動画などをよく息子にシェアする。一方的に送るだけで、こちらから用事もなく連絡を入れることはあまりない。でも最近は、カナダの観光地を歩いている息子から連絡が来ると、Googleマップで彼の足跡を追いながら、ストリートビューで一緒に歩いているような気分になることがある。

こちらが忙しいときは、ちょっと面倒なこともあるけど、旅先の空気や、ときめきを届けてくれるのは、やっぱり嬉しい。仕事や人生について、行動を指示するようなことはしない。

でも、メンタル面については、話を聞いたり、意見を求められれば助言することもある。

父親との距離

息子は、父親にはほとんど連絡を入れない。反対に、父親のほうがしょっちゅう電話をしてくるそうだ。息子は、この街には当分戻ってくるつもりがないと言う。父親に呼び出されて会うのが面倒だし、会うと気分が滅入るからだそうだ。

それを聞いたとき、私は一瞬、イラッとした。元夫のせいで、息子がこの街に来たがらないなんて。最悪じゃない?

元夫は、昔は愛情深く、前向きな人だった。でも近年は、不安や不満に支配されることが増え、どうしても会話が重たくなるらしい。息子にとっては、父親と距離を置くほうが、自分の心を守れるということなのだろう。

エイブラハムの教えにも、家族であっても、距離を置くことが必要なときがあるという考え方がある。息子はエイブラハムに詳しいわけではない。でも今、まさに自分にとって心地よい距離を探しているのかもしれない。

私ができること

最初はイラッとした。「父親なんだから、もう少し息子の気持ちを考えればいいのに」って思う気持ちも、もちろんある。でも昔から私の願いは変わらない。父子で仲良くしてほしい。だから元夫とはいい関係を保ってきた。
離婚したって息子の両親である以上、この関係は壊したくないのだ。

でも、だからといって、彼らの関係があまりうまくいってないときに、私が間に入って元夫に忠告したり、無理に二人を会わせたりすることが、今の最善だとは思わない。

それをすれば、私の中に「相手が悪い」という気持ちが生まれる。そして、その状態で何かを言っても、きっと相手には届かない。だから私は、今はあえて何もしないことにしている。

でも、もちろん息子の味方なので、話を聞く。必要なら一緒に考える。でも、息子の人生を私が解決しようとはしない。

私の周囲の、離婚を経験した同年代の友人たちは、こういう話をすると少し嬉しそうにすることがある。

「子どもは自分の味方でいてほしい」

「元配偶者と仲良くしてほしくない」

それも、人情だと思う。ひどい別れ方をしたのなら、なおさらだ。でも私は、そういうコントロールをしようとすればするほど、物ごとが思いもよらぬ方向に行ってしまうことを知っている。

息子と話したこと

父親に対して、今もイラッとしている息子。そんな彼と話をしているうちに、私はふと考えた。「なぜ相手に変わってほしいと思うのだろう?」

もちろん、相手に変わってほしいと思うこと自体は悪くない。良い関係を望むこともできる。でも、自分の中にある不安や怖れを見ないまま、相手が変わるのを待ち続けると、なかなか現実は動かない。

「なぜ自分は、相手に変わってほしいのか?」

「なぜ相手に合わせなければならないと思っているのか?」

そんな問いを、自分の中に静かに置いてみる。

すると、ときどき自分でも気づいていなかった不安が見えてくることがある。本当は、自分の中の何かを補うために相手の態度を変えようとしていた。相手が変われば、自分は安心できると思っていた。そんなことに気づく場合もある。そして、その部分に自分自身への信頼が育ってくると、相手を変えようとする必要が少しずつなくなっていく。

それは、無条件の幸せとも呼べるものなのかもしれない。エイブラハムの教えも、結局はそこに根付いている。もちろん、息子に向かってそんな話を講義したわけではない。ただ、あれこれ話をしているうちに、彼自身の中で何かが少し整理されたようだった。そして、話し終わったあとの彼から、なんとなく爽快感が伝わってきた。

抵抗が少し外れると、人は自然に軽くなる。その瞬間を見ていると、親としてできることは、何かを教え込むことではないのだと思う。

教えるのではなく、思い出させる。

その人の中に、もともとあるものを。

エイブラハムの言葉

以前、エイブラハムに、「どうして私ばかり変わらないといけないの? 相手が悪いのに」と質問した人がいた。その答えは、とてもシンプルだった。

「変えたいと思うほうが変わるのですよ。」

相手を変えたいと思うとき。状況を変えたいと思うとき。人間関係を変えたいと思うとき。まず変えることができるのは、いつも自分の側にある。それは、相手が悪いという気持ちを無理に手放すことではない。相手を許さなければならないということでもない。

ただ、

「私は、私の幸せを相手の態度に預けなくてもいい」

と、自分の中で思い出すこと。親として、子どもにできることも、もしかしたら同じなのかもしれない。教えるのではなく。コントロールするのでもなく。その子の中にすでにある力を、ただ思い出させる。そんな距離感でいられる親でありたいと思う。

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