ふたたびオペラ。『トゥーランドット』欠けていた部分に愛があった。。
近所の劇場で、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』を夫と観てきた。
ストーリーを全く知らないまま客席に座ったのだけれど、あの有名なアリア「誰も寝てはならぬ(Nessun dorma)」だけは、どこかで耳にするたびに涙腺が緩むほど昔から大好きだった。
大都会の絢爛豪華なオペラハウスとは違い、我が家の近所にある劇場での公演だ。舞台装置も出演者もすべてがトップクラスというわけにはいかないのだろう。それでも、出演者たちの圧倒的な歌声に何度も魂が震え、鳥肌が立った。
しかし、観進めるうちに強烈な違和感が襲ってきた。 ストーリーが、あまりにもひどすぎる。
肝心のプリンスにどうしても感情移入ができない。そのせいで、一番楽しみにしていたはずの「誰も寝てはならぬ」が、期待していたほど心に染み入ってこないのだ。愛のオペラであるはずなのに、どこか決定的なものが欠けているような気がして、感動しながらも白けていく自分がいた。
消化不良のまま帰宅し、貪るように記事を読み漁った。そこで、このオペラを書き上げる前に亡くなってしまったプッチーニの、複雑な背景を初めて知った。
そこに、激しい衝撃が走った。
愛が欠けていたのではなかった。私が「欠けている」と信じ込んでいたその部分にこそ、実は最大のフォーカスが当てられていたのだ。単なる旋律の美しさだけではない、物語の文脈の中で叫ばれるあの歌の真の姿を知ったとき、再び肌が粟立った。
無知のまま受け取る薄っぺらな解釈など、簡単にひっくり返る。世界をどう見るかは自分次第だけれど、その背景にある真実に触れたとき、物語は全く違う輝きを放ち始める。
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