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AI時代の夫婦喧嘩

夕食の終わりかけに、夫とちょっと喧嘩になった。
一瞬、口論が白熱した。すごく珍しいことだけど。

今、一人で少しだけ自己分析をしている。ことのはじまりは、私の小さなイライラだった。どうしてあんなに簡単に、ムッとしてしまったんだろう。

実はこれ、ここ一年くらい、私の中にときどき顔を出す新しい感覚。どこか新鮮で、戸惑う部分もある。けれど、一番身近な夫に対して、甘えからくる心ない言葉をぶつけてしまうのは、もちろん違う。


何が起きたかというと、私がいつものようにやらかしてしまい、とある書類を紛失した。その再発行のプロセスについての話をしていたのだ。

夫はすごく楽観的に考えていた。私は、難しいかも、と案じていた。夫はオフィスに直接行けばなんとかしてもらえると言う。その呑気さに少しイラっとした。それでなくても最近はどんどんシステムが厳しくなり、以前とは事情が違ってきている。無駄足運ぶのは嫌だから、あとでAIに聞くつもりだった。そのときに夫が、「I think…..(僕はこう思うんだけど)」と以前の記憶に基づいた楽観的なことを話し始めたのだ。

その瞬間に私の口から飛び出したのは、自分でも驚くほど冷ややかな言葉だった。「あなたの意見なんて聞きたくないの。知りたいのは、正確な事実だけ」

かなり失礼な言葉だったと思う。 温和な夫も今回ばかりは過敏に反応して、せっかくの夕食の余韻が台無し。でも、ここ1年くらいの私は、どうしてもそうなってしまう。夫の優しさは100点。けれど、その解決策が0点だと感じた瞬間に、私の心は「正確さ」というシェルターに逃げ込んでしまうのだ。

AIにうまく聞けば、一瞬で「ほぼ正確」な答えが手に入る時代。
だから夫の「I think…」が始まると、ついつい、効率という名の牙を剥いてしまう。不確かな推測を重ねるより先に、私はスマホを開いて答えを出したい。

おかげで色々なことがスムーズになったけれど、夫との会話を遮ることも多くなった。あれこれ一緒に考える時間が少しばかり消えてしまったのも事実。合理的といえばそれまで。便利ではある。けれど、いそいで情報が欲しいとき、不確かな誰かの意見を聞いている時間が惜しくなるのは、やはりどこか冷たいだろうか。

Z世代の息子とは、この衝突は起きない。 彼も私も、情報が欲しいときには互いのあやふやな推測をぶつけ合わないから。それは冷たさではなく、ある種の「効率的な信頼」に近い。

結局、15分ほどで仲直りして、予定通り海辺の公園へ向かった。季節限定の屋外ミュージカルをやっている。私はオペラの方が好きなので気が乗らなかったが、夫に誘われたので行くことにした。

ミュージカルの演目は『Into The Woods』。
3か月ほど上映していることもあり、ステージの造りも本格的だし、なにより生演奏がいい。歌声も素晴らしく、思わず笑ってしまう場面もあった。
シンデレラや赤ずきんたちたちのバラバラな物語の主人公たちが、同じ森に迷い込んだら?というストーリー設定だった。ドタバタしながらもそれぞれの「願い」が叶ってハッピーエンド。だがそのあとに、ままならない現実が始まってしまう。

「ジャックと豆の木」のジャックが、真っ白い牛を「ミルキーホワイト」と呼んで可愛がっているシーンにキュンとした。母親に「売って来い」と言われて泣くジャック。ミルクの出ないやせ細ったその牛の運命はいかに。

そのとき、私は思い出した。

去年のフランス旅行中、パリを発って夫の運転でブルゴーニュに向かっていたときのこと。マスタードで有名なディジョンを訪ねていたときに、古い教会の裏庭にマスタードの花が少しだけ咲いているのを見かけた。一面に広がる菜の花畑をぜひ見てみたいと思ったが、地図には載っていなかった。「どこにあるんだろうね」と夫婦で会話を始めたとたん、私は夫を遮ってAIに聞いた。するとAIは、その場所をピタリと言い当てたのだ。

導かれた先に広がっていたのは、震えるほど美しい黄色い花畑と、そこに佇む真っ白な牛たちの姿。まさに、ミルキーホワイトたちだった。柔らかい青空の下であの光景を眺めたときの幸福感は、今でもちゃんと覚えている。

そんな体験の数々が、私をAIという魔法に依存させてきた。 「ほら、不確かな推測を重ねるより、さっさと聞いた方がこんなに素晴らしい景色に出会えるじゃない」と。

けれど、ステージの上で魔法が解けていく物語を眺めながら、私は自分の「魔法の代償」に気づかされる。 私はお花畑に行くために、夫との不確かな、でも愛おしいやり取りをする手間を手放した。

帰宅してからAIの指示に従うことで、書類はオンラインであっけなく再発行できた。夫は「へぇ、今はそんなに簡単なんだね」と驚き、私は自分の態度を正当化できた気がしたけれど。
それでも時代の変化とともに、夫婦の会話も変わっていけばいいだけのことだ。Happy ever afterは、たぶんそういうことだと思う。


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