言ってはいけない言葉を言ってしまったら

今日は生放送のテレビ番組に出演し、放送禁止用語を何気なく言ってしまったことで、ものすごく落ち込んで帰ってきたという話。

レギュラーで出演させてもらっている情報バラエティ番組がある。今日も出演だった。

「背徳グルメ」という特集で、わたしは小躍りした。

試食があったからだ。

かじるバターアイスの。

マジでバターの塊を丸かじりしてるような味わいである。SNSでバズってからコンビニで手に入らなくなったのが、今、スタジオのわたしの前に。

すごく嬉しかった。
そして、すごく美味しかった。

なんとかしてこの感動を余さずお茶の間に伝えたいのだが、満面の笑みで「美味しい」などと素直に言ったところで、おもしろくない。

これがよくなかった。欲が出て、奇をてらって、笑わせようとした。

「岸田さん、いかがですか」

アナウンサーさんが、わたしに話しかけてくれた。そらきた!

「これは……気が触れるほどオイシイです!」

そのあとも他の出演者が思い思いの感想を言い、スタジオは和やかなまま次のVTRに進んだ。

残りのバターアイスにかぶりつきながら、ホッとしていると、なにやら様子がおかしい。アナウンサーさんのところへ、バタバタとスタッフさんが駆け寄っているのだ。ただのスタッフさんではない。当初から「この人はきっと偉いんだろうな」というオーラを放って、現場を仕切っている人だった。

今までも、そのスタッフさんが駆け寄る場面はあった。速報のニュースが出たとき、急ごしらえの原稿を手渡すのを見たことがある。

でも「あ、いつもと違うな」と思ったのは。

大きなモニターの後ろに、隠れるようにしてしゃべっているのだ。いつもはそんなことしない。明らかに深刻なことを相談している。

VTRが流れるたび、二度か三度、話し合いは繰り返されていた。

CMに入ったあと、コーナーが変わるので、アナウンサーさんがわたしの席の隣に移動する。そのとき、アナウンサーさんがスタッフさんになにかを小声で説明していた。

「ごめんなさい、僕もどうしたらいいか迷ってしまって」

謝っている様子だった。それを見て、MCさんが

「なになに、なんかトラブルあった?」

と聞いたが

「いえ、大丈夫です!」

で会話は瞬時に終わった。なんなんだろうな、あとで聞いてみようかな、とバターアイスを舐め尽くしたわたしは、マヌケさを全開にしてその後も出演しいていた。


生放送が終わり、スタジオを出て、帰る準備をしていたとき。

ようやくわたしは、とんでもないことをしでかしていたことに気がついた。

見送りにきてくれたディレクターさんが言う。

「岸田さん、ひとつだけいいですか。“気が触れる”というのは、言っちゃいけない言葉で……」

放送禁止用語だった。


その名の通り、公共の電波に載せてはいけない差別的・侮辱的用語のことである。それをわたしが、言ってしまったのだ。

ガーン、ガーン、ガーン。

「えっ、あっ、ごめんなさい、そうだったんですね、どうしよう、すみません……!」

あわてて謝ったが、逆に恐縮されてしまった。

「いえいえ、こちらこそ、すみません。テレビの、しかも報道のアナウンサーが仕切る番組は、特に厳しくって……」

「それであの、苦情とかは」

「今回はまだ一件もきてないです。状況が状況だったので、番組中で訂正や謝罪もしませんでしたし」

訂正、謝罪。

放送事故じゃん。


やってしまったことの大きさが押し寄せて、青ざめてしまった。

しかも最悪なことに、この時わたしは読みかけの本を携えていた。

おもろい話し方を学ぶ前に、もっと学んでおくことがあるというのに。恥ずかしくてたまらない。

とにかく平謝りをしたが、迎えのタクシーが今か今かとわたしを待っていて、結局、わたしはアッサリ送り出された。


タクシーの中で、スタジオの光景を思い出していた。

アナウンサーさんとスタッフさんは、訂正と謝罪を入れるかどうかを話し合っていたのだ。

なんでわざわざモニターの後ろで隠れていたかって、わたしから見えないようにするためだ。

それはたぶん、わたしをかばってくれたのだ。

MCさんやアナウンサーさんがたまに地名やイントネーションを間違えてしまったときは、みんなオープンにその場で話している。

でもわたしは、そんな風に生放送中のトラブルに慣れていない。放送禁止用語を喋ってしまったとわかれば、戸惑ってしまってコメントどころではない。

アナウンサーさんが「ごめんなさい、僕もどうしたらいいか迷ってしまって」と謝っていたのは、わたしの発言への対応を迷っていたのだ。

思えばわたしがアイスの感想を言ったとき、彼は受け止めて、微笑んでいてくれた。わたしはそれで安心したけど、たぶん、その優しい対応も本当はまずかったんじゃないか。怒られていたらどうしよう。

わたしのせいで、あんなに優しくて、温かく迎えてくださったスタッフさんたちをざわつかせてしまったこと。大変な迷惑をかけるかもしれなかったのに、それでも気をつかってもらえたことが、情けなくて、申し訳なくて、涙がこぼれた。

そして、なにより。

言ってはいけない言葉を、たいした意志もなく、おもしろいだろうと思って口にしてしまった自分の浅はかさに、涙が止まらなかった。

あまりにわたしがグスグスと鼻を鳴らしていたので、タクシーを降りたとき、それまでずっと黙っていた運転手さんが

「いいことがね、ありますようにね」

と言ってくれた。おかげで電車でも泣き続けてしまった。



わたしは人に向かってなにかを言うとき、傷つけないように、かなり気をつけている方だと思う。

もしわたしがアイスじゃなく、人を試食していたとしたら、放送禁止用語かどうかに関わらず「気が触れている」なんて絶対に言わなかった。人を試食するとは……。

人じゃなくて、アイスだし、しかも褒めるんだから、多少大げさなぐらいがいいじゃんと思っていた。

わたしが二十数年間、根城にしているインターネットの世界では、そういう大げさで過激な表現とユーモアの相性が良いというのもあった。

完全に油断していたのだ。


「キチガイ」「オカマ」「カタワ」これらの言葉が、放送禁止用語であることは前から知っていた。そんな言葉使っちゃいけませんと、大人に叱られる友だちも見てきたし。使って炎上する芸人もいたし。ヤバイっていうのは、なんか、脊髄反射的にわかる。

でも知ってるのは、ほんの一部にすぎない。

テレビでの仕事が決まったとき、放送禁止用語を自分で調べて勉強しておこうと考えたことがある。並んでいる用語の一覧を見て、わたしはやめた。

聞いたことのない言葉も、かなり多かったからだ。聞いたことがないのだから、当然、使ったこともない。

「これは知ってしまうと、なにかの拍子にポロッと出ちゃうかも」

逆に怖くなったので、やめてしまった。


人は、知っている言葉が多ければ多いほど、感情を伝えられる。感情を伝えられると、社会生活を送りやすくなる。一方、言葉ができたせいで、傷つく人も生まれた。

放送禁止用語が設定されるときは、その言葉で多くの人が傷ついたときだ。いわれのない差別や、いきすぎた侮辱に。

まあ、そしたら、わたしがちょいちょい言われて傷ついてる「クリームパンみたいな手」っていう言葉は、いつか放送禁止用語になるかもしれないが。

「気が触れている」は、国語辞書にも載っている表現だ。

気が触れている
1.正気でなくなる。気が狂う。
2.心が動く。

デジタル大辞泉(小学館)「気が触れる」

これを言われて、傷ついてきた人たちは、誰だろう。

想像してみる。

たぶん、精神障害のある人たちや、その家族じゃないかと思う。

精神障害と一口に言っても、幻覚や幻聴に悩まされる統合失調症、うつ状態の気分障害、てんかん、アルコールと薬物の依存、発達障害……で、まったくもって、ぜんぜん違う。

さらに、同じ病気でも、人によって症状の出方や重さも違う。

薬を飲んだり、リハビリをしたりすれば、症状をコントロールできる人も多い。

そういう人たちのことを、言葉はひとくくりにしてしまうのだ。

「ああ、“気が触れてる”人ね……」

精神障害者のことを、その言葉だけで正気じゃないと判断すると、その人のことを知ることもなく終わってしまう。それは進学や就職の選考に進む人なら、圧倒的に不利で、気の毒だ。

一方で、悪意がまったくなく、言葉が使われることもある。

今回のわたしが、まさにそれだ。アイスを褒めるつもりだった。精神障害のある人のことなんて指してない。

でもわたしはその言葉を、人に向けると傷つける、ということだけは知っている。だからこそ成立するユーモアだった。

わたしがニコニコと「気が触れている!」と言い、バターアイスを食べているシーンを見た子どもが、その本当の意味も知らず、愉快なパワーワードだ!とマネしてしまうかもしれない。

わたしも子どものころ、番組『エンタの神様』で、芸人が使っていた言葉をすぐマネしてたし。ありえる。

悪意のない子どもが、悪意だとも知らずに、悪意になりうるかもしれない言葉の使い手になる。そんなシンドイことは絶対に避けなければならない。

だからやっぱり、放送禁止用語は、放送で使ってはいけなかったのだ。シュン……。


「ガイジ」という言葉が、わたしは大嫌いだった。

障害児をおもしろがって指す言葉だ。

わたしが小学生のとき、さすがにわたしの弟みたいな本当の障害児に向けて「ガイジ」という子どもはいなかったが、代わりにちょっとトロいとか、オチャラケた子へのツッコミとして「おまえ、ガイジかよ!」と使われていた。

弟をバカにされてるような気持ちになって、つらかった。

友だちが「ガイジ」って言ったら、一緒に笑わないと仲間はずれにされるから、笑ったふりをしている自分も大嫌いだった。

時は流れて「ガイジ」という言葉は、放送禁止用語になった。言ってはイケナイ言葉になったのだ。

でもそれで、クラスで笑われる障害児がいなくなったわけじゃない。

トロくて、ダサくて、いじめられる子どもがいなくなったわけじゃない。

こないだ、わたしが毎週Twitterでやっているスペースに「学校で、アスペっていうあだ名がついて悲しい」という悩みが届いた。

アスペ。アスペルガー症候群の略である。その人は診断を受けていない。ちょっと人づきあいが苦手なだけだ。

言葉をなくしても、次から次へと、新しい言葉が生まれていく。

わたしたちは、知らないもの、わからないものが、怖いから。無理やり、わかったつもりになろうとして、適当な名前をつける。それを使って、みんなで笑って、ホッとする。よかった、自分たちの方が賢いんだって。

放送禁止用語は、透明な言葉だ。

差別や侮辱を受ける人は確かに存在しているのに、言ってはいけない言葉。言わないうちに、何十年も経って、その人たちがいなくなることを黙って気長に待っている言葉。

黙ってるだけじゃ、傷や痛みはほとんど消えないのに。

ちゃんと知らなければいけないのだ。

どんな言葉に、どんな風に、傷ついてきた人たちがいるのかを。その言葉を人に向けることが、どれほど残酷なことなのかを。

とはいえ、そもそもは禁止されている言葉なので、聞くことがなければ知ることもできない。そのへん、なかなか難しい。

たまに放送禁止用語を言って、炎上している芸能人がニュースになっているが、それがわたしの思いもしない言葉だと「ありがとう……」とこっそり思ったりもする。

わたしが今回やってしまったことは、もちろん深く反省をしていくけれど、せめて役に立てばいいなと一抹の望みをかけて、考えを書いてみた。



わたしのあまりの落ち込みっぷりを心配したディレクターさんが、こんなメッセージをくれた。

「こちらが先に説明しておけば済んだことなのに、配慮が足りていなくてすみませんでした。岸田さんは言葉を大切にされているからこそ、深く傷つかれるのもわかります。『実はこの言葉、あかんのですわの会』をいつかやりましょうか」

なんて優しいのか。

「蛇足ですが『気狂いピエロ』が一生、地上波で流れなかったら、亡くなったゴダールも浮かばれませんしね……」

それは、たしかに。

失敗ばかりの毎日だけど、いつもどん底で、人に恵まれている。だからせめて、忘れたくなくて、言葉にしようと思える。


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岸田奈美|NamiKishida noteのキナリ★マガジンの購読料は家族との生活に、チップ(投げ銭)はわたしのちょっと良いおやつやパンを買うのに使わせてもらってます。ここで生かせてもらってます、いつも本当にありがとうございます。お返事ができないこともありますが、メッセージは全部通知がきて、その場で読んでます。