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「中心」から離れて生きる

2026年5月12日
 朝、韓国メディアのインタビューを受ける。逐語通訳かと思っていたらそうではなく、通訳者が私の発言をリアルタイムで翻訳したテキストをインタビュアーのパソコンに送るというやり方だった。録音を聞き直したり、今ならAIを使って文字化することをしなくても、インタビューが終わった瞬間にインタビュアーは手元のパソコンにテキストを持っていることになる。いつもは話を短く区切って話をするのだが、気にしないで話すことができた。
 日本語を聞き韓国語に翻訳することに加え、話すのではなく、話した内容をまとめて書く(タイプする)という作業が加わると認知の負荷は相当高くなるのだろうと思った。二時間ほどのインタビューを一人で通訳をしたその人は、私が「本当に優秀な人は優秀であることを誇ったりしない、ただ優秀なのだ」という話をした時にキーボードではなく、画面越しではあるが、私に視線を向けた。「そう、あなたのように」と私はいいたかった。

 このインタビューでは、特別であろうと思わなくても、ありのままの自分を受け入れ、自分をよく見せようと思わず、競争に勝たなければならないというプレッシャーから解放されたら、自分の本来の力を発揮して生きていけるという話をしたのだが、あらかじめもらっていた質問リストにはなかった質問もあった。
 三木清のエクセントリシティ(eccentricity)という言葉を使っている。これの形容詞であるエクセントリック(eccentric)は「常軌を逸している」というネガティブな意味で使われるが、三木はエクセントリシティ(eccentricity)を「離心性」と訳している。「中心」から離れるという意味である。中心から離れるという時の「中心」とは、一般的、あるいは常識的な価値観である。特別でありたいと思っている人も、実のところ、皆と同じように考え、皆と同じように行動したいのである。多くの人は当然のように成功したいと考えるけれども、本当にそれでいいのか考え直さなければならない、そういう話をした。

 今日は孫たちがやってこなかった。そのうちこなくなるだろう。今はまだ少しは頼られている。オンラインで英語の試験を受けたところ合格しなかったと、孫が私の部屋にやってきてしばらく号泣した後出ていった。ただ泣くのを見ていただけだが。