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innocentworld 「あわいの時間」

1日の中で、どの時間帯が好きなのか、ふと考えてみた。

明け方の凛とした雰囲気も好きだし、真夜中の静寂も捨てがたい。
しかし、午後2時過ぎから午後4時前まで ー僕はその時間を「あわいの時間」と呼んでいるー は、やはり特別だ。

お昼どきの慌ただしさが一段落して、夕方の子供のお迎えや帰宅ラッシュで騒がしくなるまでの、つかの間の穏やかな時間。それをいままで、仮眠の時間に充てていたことを、最近ではもったいないと思うようになってきた。

この、昼でも夕方でもない時間は、特に小学生の頃の僕にとって、冒険が始まる時間でもあった。学校が終わり、家にランドセルを放り込んだら、自転車に飛び乗って、さあ冒険の始まりだ!

当時はまだ、空き地や草むらがあちこちにあって、セミの幼虫を掘り起こしたり、固めた泥だんごを大量に作ったりした。

人目につきにくい場所は自分だけの秘密基地だったし、高いマンションに上って自分の「領地」を見渡したりしているだけで、ワクワクしたものだった。

ある日、自分の領地の端にある大きな川を越えて、向こう側に広がる新しい世界を見てみたくなった。

たくさんの車が行き交う大きな橋を越えて、僕はついに新世界へ到達した。

そこは堺と呼ばれる町で、建物や行き交う人が、わが領地と違うように感じた。あまり未開の土地に深入りすると、原住民の縄張りを犯してしまう危険を感じて、早々に退却した。

今となっては笑い話だが、当時の僕は本気でそう思っていた。

先日、小学生の頃によくお参りしていた神社に、何十年ぶりかに行く機会があった。ここも当時の領地の端にあり、小さい自転車で行くのはちょっとした冒険だった。

記憶よりも随分と小さな神社は、ただ僕が大きくなっただけなのかもしれない。
当時の守り神に感謝を伝えた瞬間、神社にすっと風が吹き抜けて、目の前にある御帳(みとばり)が大きく揺れた。
どうやら神様も、何十年ぶりかの再会を喜んでくれているようだった。

そういえば、この時も「あわいの時間」で、神社の少し先に大きな国道が通っているのを微塵も感じさせないほどの静寂が、あたりを優しく包んでいた。

あれから住む場所も、お参りする神社も変わってしまったけれど、何も変わらない「あわいの時間」が、当時の淡い記憶とともに確かにそこにあった。

僕にとって「あわいの時間」は、何かと生き急ぐ人生の中で、少し立ち止まってみることを教えてくれる貴重な時間なのかもしれない。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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