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これってボディポジティブ?それとも……【母と妻とわたしと/vol.1】

「溶けてきそう」

灼熱の太陽の下、滴り落ちるソフトクリームの雫を見ながら呟いた言葉じゃない。

お風呂から上がり、脱衣所でタオルで髪の毛だけをおおった裸の自分を見て、思わず溢れた言葉だ。


二の腕、下腹、頬、乳房にお尻。あらゆる部位のお肉がとろりと溶け落ちてきそう。圧倒的に、重力に負けている。少し動いただけで、ぶるんと揺れるたわわな肉体。セルライトが影をつくって、威厳すら感じてしまう。

まぁ、だからって、どうしようとも思わないんだけどね。


自分の裸体を一瞬眺め、すぐに視線を傍らにずらす。一緒にお風呂に入っていた4歳の長男の、引き締まっていてハリのある、小さな背中についた水滴を、ていねいに拭き取っていく。


勝手に点数つけて、すり減っていたあのころ


20代前半くらいまで、自分の見た目を磨くことは死活問題だった。

ショートパンツを履きこなすには、ふとももの間に隙間ができるのが最低条件。ノースリーブを着こなすには、スッと伸びる白くて細い二の腕が必要不可欠。

教科書で習ったわけでもない。誰かから明示されたわけでもない。なのに私には、世の中の女性の頭上に、ぼんやりと点数が浮かんで見えていた。外見が美しければ美しいほど、その点数は高くなる。

人知れず、勝手につけた美貌の点数の中で、私は戦いの日々を送っていた。

ぽっちゃり体型一筋で生きてきた私は、体のどこのパーツを見てもふくよかで丸々としている。いつだって、それがコンプレックスだった。人生で一度も、容姿に自信があったことがない。

外見に執着したのは、とてもシンプルな理由。モテたかったから。男性にも女性にも。「かわいいね」「おしゃれだね」って、チヤホヤされたかった。

でも、現実はうまくいかない。お菓子をやめようと思えば思うほどストレスが溜まってヤケ食いしちゃうし、筋トレを始めても三日坊主どころか一日で終了。自分のだめさに嫌気が差し、また食う。ついでに肌荒れのお土産付き。最悪。

容姿の醜さは、すなわち己の意志の弱さの表れでもあった。


「私、痩せてるわ」と思ったことなんか一度もなかった。昔も、今も。

でも若いころと比べて、一つ変わったことがあるとしたら。そんな自分の体を見ても、何も感じなくなったことだ。


容姿に執着しなくなっても、ポジティブじゃない


個人情報の中でも、トップオブシークレット。死んでも公開してやるものかと思っていた体重の秘匿性にも、興味がなくなった。現在、154cm、57kgです。サラッと言いました。太ってる自覚はあるけど、別に私の体型が全世界に知れ渡ったって、なんとも思わない。

「少しでも痩せて見えるように」と必死こいて着痩せテクニックをリサーチしていたのが嘘のように、身なりにもほとんど関心がなくなった。汚れが目立たなくて、安くて、楽ちん。洋服を選ぶときのポイントなんて、強いて言えばこのくらい。

次男を出産して半年以上経っているというのに、妊娠中から身につけていた授乳ブラとショーツのセットを、いまだに身につけ続けている。胸も尻も宙に放り出されて、だらりと自重で垂れている。それでも、下着が破れるまで捨てるつもりはない。

何も思わない。「まぁ、私だしな」って、ただそれだけ。


世間では、「ボディポジティブ」という考え方が浸透しつつあるらしい。体の大きさ、形、色、ありのままの自分の姿を受け入れ、愛していく。外見至上主義からの脱却。

見た目の良し悪しをを気にして思い悩み、息苦しさを感じながらも生きてきた人が、この世の中にたくさんいるはずだから、こうした社会現象は素晴らしいよなと思う。

もしも若いころの自分に会いに行けるとしたら、「どうせ十年後には体型なんてどうでも良くなってくるから、そんな血眼になる必要ないよ」って、言ってあげたいとすら考える。


けど、なんだろう。なんかしっくりこない。

私が今、自分の体を見てなんとも思わないのは、「ボディポジティブ」なんだろうか。

それとも……


もう必要ないはずの「価値」だったのに


長男の体を拭き終わって、ようやく自分のスキンケアに移ろうというタイミングで、夫が脱衣所の戸を開けて入ってきた。長男のバスタオルを、洗濯カゴに入れに来たらしい。

夫からは、「あ、ごめん」もない。私からも「ちょっと、入る前にせめてノックしてよ」はない。無言の空間。用を済ませたら、夫はまた何も言わずに戸を閉め、リビングに戻っていく。

確実に、私の体を見ている。のに、一切の感情の変化が見えない。驚きも、恥じらいも、焦りも。

まるで何も見えていない感じで、その視線は私の体を捉えることはなかった。


八年前、夫と結婚したときに、すごくほっとしたのを覚えてる。好きな人と一緒になれたからとか、家庭を築く相手と巡り会えたからとか、もちろんそれも理由ではあるけど。

「もう、モテたいって思わなくていいんだ」
特定の相手との婚姻で、今までの自分の外見への執着を手放せることに、深い安心感を抱いたのも、ひとつの理由だったと思う。

ふくよかで丸々とした、ぽっちゃりボディの私でも、病めるときも健やかなるときも添い遂げると誓ってくれる相手がいる。もう、変に怯えなくていいんだって。


でもそれは、夫が私を愛でてくれるのが前提の安寧でしかなかった。

八年も経てば、そりゃあ出会ったころのようにはいかないって、わかってる。それでも、道端に転がった石ころと同じくらい、まるで関心がありませんって態度取られちゃ、さ。こっちは丸腰どころか、丸裸なのに。

「見ちゃってごめん」とすら言われない私の体。伴侶である夫にすら、その価値を否定されている気分。

いや、もう、価値ある体である必要もないんだけど。てか、そもそも「価値ある体」って何よ。

期待していないはずなのに、胸の奥がちくんと痛い。


「ボディポジティブ」と言ってしまえればよかったのに。私の心は、ちっともポジティブじゃない。

ただただ、いつまで経ってもだらしない自分の体を、諦めてしまっているだけなのかも。

本当は、諦めたくなかったのかな。今となっては、もう自分の心がわからない。ただただ、あるがままになった自分の体を見て、沈んでいく心を抱えたまま、立ち尽くすしかなかった。


急にポジティブにはなれないけど


「お母さん、お着替えしないの?」

じっとこちらを見上げていた長男の無垢な瞳と視線が合う。しゅんとなった心を放流するように、私は自虐混じりの言葉を口にしていた。

「お母さん、ふとっちょだよね」

ふとっちょだけど、そんなもんだよね。君が生まれてからずっと、お母さんってふとっちょだったもんね。本当はスリムでスタイルのいいお母さんが良かったかもしれないけど、仕方ないよね。

四歳に何を求めてるんだって感じだけど、誰かに寄りかからないと立っていられなくなりそうで。長男にそう問いかけていた。


「ふとっちょで、かわいいよ!」


長男の返答は、それはもう潔いくらいにさっぱりと、それでいて愛に溢れていた。切なさの雲で覆われていた心が、少しずつ晴れていくのを感じる。

あぁそうか、これが「ボディポジティブ」なのか。


幼少期から一途にコンプレックスだった自分の容姿を、急に愛そうとするのは、やっぱり難しい。唯一愛してくれると思っていた夫からスルーされるのは、やっぱりちょっと傷つく。

でも、思いもしていなかった、誰かの愛に溢れた視線を通して、自分の体をほんの少し愛おしく思えるようになる。もしかしたらそれが、私のボディポジティブへの、入口なのかもしれない。


少しだけ生きた心地を取り戻せた気がして、自慢の豊満ボディで、「ありがとう!」と長男を抱きしめた。


執筆:神田なり

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