私のからだのために、母乳育児をやめる
私は、私のからだのために、母乳育児をやめようと思う。
思った以上に早い幕引きになったが、自分を守るためには仕方ない。
現在7ヶ月の次男。身長の割に体重が少し重くぽっちゃりめ。ふとももなんてあまりに立派で、気づけばぷにぷにとつっついてしまうくらい。つまりは、結構な大食漢ベイビーである。
産後すぐは母乳寄りの混合育児を想定していたが、母乳だけではイマイチ満足できないらしく、徐々にミルクの割合が増えていった。今では、日中はほとんどミルクメインの食事に落ち着いている。

ミルク中心になったのには、家庭の都合も影響した。
四歳のママっ子長男は、下に乳飲み子がいようがお構いなし。公園に行くのも、児童館に行くのも、おもちゃ屋さんに行くのも、ママが絶対条件。
なので長男と私、次男と夫で休日を別に過ごすことが増え、自ずと次男の主食も夫が与えられるミルクに移行したのだ。
母乳をあげるのも、今ではちょっとした水分補給と、寝る間際の添い乳(子どもに添い寝する形で、寝た状態で母乳をやること)のタイミングくらい。
産後すぐにパンパンに膨れ上がって痛いほどだった乳も、もはや元の小ぶりさを取り戻している。
ここまでくれば完全ミルク育児に切り替えていいのかもしれない、でも。
「でも。」の先の感情をうまく言語化できぬまま、流されるように母乳育児を続けてきた。
深夜2時の「ごめんね」
そんななか、最近は次男の睡眠退行が顕著になってきた。少し前までは夜間ぶっ通しで寝てくれていたのに、最近は深夜2時ころ起きだして、おなかが空いたと泣く。
添い乳で眠りを促すが、母乳だけでは足りないようで、余計に激しく泣く。横着してなんとか添い乳で済ませようとするが、一度ギャン泣きスイッチが入った赤ちゃんの勢いを止めることは難しい。
30分ほど画策してみるものの、結局根を上げてキッチンへと向かい、私は湯を沸かすのだ。
胸の膨らみの変化のほかにも、産後になってからいくつか、私のからだに明確な変化が表れている。その中でも特に困り果てているのが、睡眠障害だ。

寝かしつけの際、産前は高確率で寝落ちしていた。それはそれで厄介だなと思っていたけれど、出産を経てからは逆に寝つきが悪くなってしまった。
布団に入ってしばらくしても、どんなにからだが疲れていても、頭が冴え渡って寝付けず、日付を跨いでしまうのもざらにある。
授乳やおむつ替えを終え、抱っこで寝かしつけて次男を布団に着地させられるのが、だいたい22時。そこからなんとか寝ようと必死に目を閉じるのだが、なかなか眠れない。
眠れたとしても今度は次男が深夜に起きだしてしまうので、結局私も起きざるを得ないのだ。
母乳だと満足させてあげられず、結局ミルクを足す。少し前まで、寝かしつけのときは母乳だけで満たされてたのに、もう母の乳だけでは満たされない。
萎んでしまった風船のような乳房に、情けないような気持ちになる。待ってましたとばかりに、ミルク200mlを喉を鳴らしながらゴキュゴキュと飲み干していく次男の小さな口元を眺めながら、申し訳ない気持ちになる。
常夜灯の薄暗い光に照らされながら、空になった哺乳瓶を洗う。消毒液に漬け終わった後、なんとなく自分の乳首を摘んでみる。乳白色の液体が、ほんのり滲んだのを確認して、「なんか、ごめんね」と心で呟いた。
何が、だろう。誰に対して、何に対して「ごめんね」なんだろう。
そのときはよくわからないまま、私は倒れ込むように布団に戻った。深夜3時半だったと思う。
30代のからだは、私だけのものじゃなくなった
20代のころ、「オール」は手に入れやすい非日常だった。飲み会、カラオケ、友人の家にお泊まりして、目的もなく語り合ったり……。深夜に大学のキャンパスを散歩したこともあった。
朝方眠りについて、疲れも眠気も取れないまま、そのままバイトに行ってからだを動かし、帰宅して即爆睡、なんてやんちゃな生活もしてたな。
それもこれも、寝不足の責任を全部自分で取れていたからできたこと。眠すぎたら1限をサボるだけだし、バイトの後は時間を忘れて寝続けていればよかった。
でも、今は違う。私のからだは、もう私だけのものじゃない。私のからだが動かなければ、夕食の準備は誰がする?自転車を居眠り運転しながら、幼稚園にお迎えになんていけやしない。
睡眠を1時間削れば、1時間分のツケがきちんと回ってくる。思考は鈍るし、からだは重いし、病に倒れやすくもなる。それが、30代の私なのだ。
まだ幼い子どもたちのためにも、私は生きていかなきゃ。健やかに。
だから私は、私のからだのために、母乳育児をやめる。
深夜や寝かしつけの添い乳も、日中の水分補給の授乳も、きっぱりやめる。卒乳宣言だ。
きっとすごく楽になると思う。次男も毎回もどかしい思いをしなくて済むようになるし、私自身背中を丸めたり、腕で次男を抱き抱えたり、うまく咥えてもらえるよう姿勢を調整したりしなくて済むのだから。
次男の腹持ちも良くなって、きっと夜もよく眠れるようになるだろう。寝不足問題からも、きっと解放される。からだは楽になる。でも、でも。
「卒業、おめでとう」
「ごめんね」と思ってしまうのは、きっと私自身の悪あがきなのだと思う。
母乳をやるという行為は、今手元に残っている唯一の、私だけができる育児だから。それを、私のからだのために、私の意志で手放す。それがすごく、名残惜しいのだ。
最後まで母乳をあげられなくて、ごめんね。最後まで役目を果たしてあげられなくて、ごめんね。
次男に対してだけでなく、あの深夜の台所で、わずかに滲んだ自分の母乳にさえ、申し訳なさを感じてしまった私は、頭がおかしいのだろうか。

育児に正解なんてない。次男もきっと、ミルクだけで問題なく育つだろう。頭では、わかっている。
でも、自分だけがしてあげられるこの行為を手放す日が、こんなに早くやってくるなんて、どこかで受け入れられずにいる私がいる。
理屈では問題ないはずなのに、こころがちっとも追いつかない。合理的な理由だけで割り切れないのが、きっと「母」という生き物なのだ。
自分のからだのためにやめると決めたのに、まったく釈然としないこの矛盾こそ、私が全力で育ててきたことを証明しているのかもしれない。
だから、この割り切れない名残惜しさも、そのまま持って生きていきたい。 さみしくて、愛おしくて、ままならない。そんな私の本音を、静かにふけていくこの夜に、そっと残しておこう。
なんとなく、ちんまりとくたびれたような自分の乳房に、労いの言葉を送りたくなった。
「卒業、おめでとう」
「卒乳」とは、きっと赤ちゃんだけのものではない。その日までがんばってきた、母親のための言葉でもあるはずだ。
この記事を書いた人:神田なり
1991年生まれ、埼玉県在住のライター・エッセイスト。
取材記事やコラムを書く傍ら、「そのままのあなたがいい」を伝えるのをミッションに、子育てや夫婦関係、小さく営むフリーランスの暮らしなどについてnoteでエッセイを執筆中。
カフェオレと、ムーミンと、本と旅行が好き。
https://note.com/nalie0612
