光秀を討つ 第二話
第二話 失われた遺体
報告は、火のように次々と届いた。
本能寺の焼失は事実。だが、決して燃え尽きたわけではない。
私が手配した密偵たちは、すでに京の町に潜伏していた。寺に仕えていた僧や近隣の商人、再建のために呼ばれた大工など、ありとあらゆる者から聞き込みを行った。
「信長公のご遺体は、やはり見つからず……」
そう記された報告書の文字を、私は何度もなぞった。死者の存在を証明できぬ――それは、死そのものを“疑う”隙を生む。
だが、この国で信長公ほど目立つ者が、影も形も残さずに消えるというのか?
いや、それを可能にする方法が、ひとつだけある。
――最初から、焼くことを“目的”とした火。
その仮説に、心が震えた。
私は報告の続きを読み進めた。
「火元は信長公の寝所に集中。床板の下部から始まっております」
「天井の梁が崩れる前に火が走ったため、脱出路は封鎖されていたと推定」
「焼け残った柱の一部に、油の染み込み跡あり」
「細長き筒状の木片、内部に火薬と思しき成分が付着。火遁筒の類似品」
「僧侶の証言:『煙は下からではなく、すでに部屋の内側に充満していた』」
私は思わず眉をひそめた。火遁筒――忍びが使う、導火線と火薬を詰めた仕掛けである。
さらに、乾いた材木の存在も報告にあった。通常の建材よりも、はるかに火が回りやすい。これは偶然の組み合わせとは思えぬ。
「……仕組まれた火か」
私は呟いた。
そのとき、帳の向こうから声がかかった。
「黒田、入ってよいか」
秀吉公である。私は直ちに姿勢を正した。
「どうだった、火の性か」
「……異常です。焼け跡の配置、火元の選定、使用された建材の性質。すべてが“不自然”でございます」
秀吉公は静かにうなずいた。
「遺体は、やはり無いか」
「はい。灰すらも散っております。これは……狙って焼かれたと考えるべきかと」
「ふむ……まるで“火の墓”だな」
そう言って秀吉公は、茶をすすった。湯の音が、妙に静かに聞こえた。
「黒田、そなたはどう思う」
「……申し上げにくいことではありますが」
「構わぬ。言え」
私は言葉を選びながら答えた。
「これは、戦ではなく――“暗殺”でございます」
「それも、武の業ではなく、火と煙をもって主を葬る“隠密の業”」
「つまり、戦国の軍将の行いではなく、忍びの仕業と見受けます」
秀吉公の目が一瞬だけ光った。
「忍び、か……」
「はい。火の回し方、材の選び方、遺体を消す意図。どれも、火遁の常道に通じます」
「それに加え――」
「加え?」
「この数ヶ月、信長公は密かに“伊賀の残党狩り”を命じておりました」
「その中には、伊賀者を血筋にもつ者まで含まれていたと」
沈黙。
秀吉公は、ただうなずいた。
「なるほど。伊賀か」
私は問いかけた。
「秀吉様。光秀殿の家系に、伊賀の系譜があるという話を……」
秀吉は答えなかった。
いや、答えぬことが、すでに答えであった。
「黒田。光秀を討つ」
「……承知いたしました」
そのとき私は、主の言葉にどこか“演じられた怒り”を感じていた。
あまりに整然としていた。
すでに整えられていた物語を、秀吉は一つずつ置いているかのようだった。
そして、私はある記憶に思い至った。
――あの夜、信長公が伊賀攻めの報告を受けた席。
秀吉公は、珍しく何も語らなかった。
その姿を、私は今も覚えている。
「黒田」
「はい」
「火を使う者は、己が焼かれる日を忘れるものだ」
「光秀が火を点けたのなら、わしが焼き尽くすまでよ」
私は深く頭を下げた。
だがその胸のうちでは、別の問いが炎のようにくすぶっていた。
――本当に光秀が火を点けたのか。
――それとも、誰かが彼に“火を着せた”のか。
その答えを探すために、私は再び密偵を京に放った。
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