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光秀を討つ 第十一話(終)

第十一話 問われぬ真実

前編 語りの裏に


 炎の跡は、すでに雨に濡れていた。
 あの夜、焼き払われた光秀の屋敷。そこには、誰も問うことのなかった「勝利の真実」が、静かに灰となって残っていた。

 私は、あの焼け跡の前に再び立っていた。

一 新たな報せ


 「……殿、報せでございます」

 密偵が一人、火の匂いの残る陣を訪れた。
 夜の帳が落ち、兵たちの間に酒の匂いと笑い声が満ちていたその外側で、私はただひとつの声に耳を傾けた。

 「光秀の“伊賀の血”という話――その出どころをたどりました。
 これは、伊賀ではなく、甲賀の側から広められたものでございます」

 「甲賀……?」

 私は声を潜めて繰り返した。

 「はい。具体的には甲賀の旧家に属する伝令筋から広まりました。
 奇妙なことに、伊賀側の古文書や証言には、それに該当するものが一切見当たりませぬ」

二 整いすぎた筋


 その言葉を聞いた瞬間、私の中でいくつかの歯車が音を立てて嚙み合った。

 光秀は伊賀出身ではない。
 だが、“伊賀の血”という語りが、兵の士気を焚きつけ、世論の流れを誘導した。
 それが事実でなくとも、意味ある語りとして用いられた。

 その“語り”を、甲賀が流した。
 そして――甲賀と関わりを持つ人物がいる。

 秀吉様。

三 甲賀と秀吉


 思い返せば、秀吉様が尾張から美濃へ移った際、一時期、甲賀の山奥に潜伏していたという記録がある。

 また、秀吉様の側近の中には、甲賀者出身の者が数名いることも知っている。
 それらは、表向きは“情報収集のための者”でしかないが、いずれも寡黙で、必要以上のことは決して語らぬ者たちだ。

 私は、その事実の断片を組み上げていた。

 この語りは、光秀の“怒り”を創り、信長の“後悔”を呼び起こすための物語だったのではないか。

 それが真である必要はない。
 信じられれば、それで十分だった。

四 信じた者たち


 そして、語りは成功した。

 光秀自身が、信長を討つことで「復讐の構図」に己を重ねてしまったのではないか。
 信長もまた、「自らが過去に焼いた伊賀」が、この謀反に繋がったのだと――物語に納得してしまったのではないか。

 そして今、秀吉様はそれを語りの形に整え、世に放った。

 これは……戦ではない。物語の完成であったのか。

 私は深く息を吐いた。

 真を問わねばならぬ。
 語りではなく、仕掛けた者に。

 その者の名は、他でもない。
 ――豊臣秀吉。

第十一話 問われぬ真実

中編 操られた真実


 焚き火の煙が、夜の風に乗って消えていく。
 その細い流れを目で追いながら、私は思っていた。

 光秀は、果たして己の“怒り”が本物だったと信じていただろうか。
 信長は、本当に“伊賀の報い”として謀反を受け止めていたのだろうか。

 ――あるいは、その感情すら、“誰かの物語”に取り込まれたものだったのではないか。

一 真実の外にいた者たち


 密偵の報告では、光秀の母は尾張の地侍の娘。
 伊賀出身ではなく、伊賀との関わりも確認されなかった。
 それなのに、伊賀の血という話は甲賀から流れ、伊賀には否定の声すら出なかった。

 それはつまり、誰もその“真偽”を問うことなく、語られた通りに信じたということだ。

 私は、ぞっとした。

 光秀も、信長も、そして――我らもまた、語られた物語の中で動かされていたのかもしれない。

二 甲賀の口、秀吉の影


 甲賀と秀吉。
 そのつながりは、密偵の言葉にあった「伝令筋」という曖昧なものに留まっていた。
 だが、山の者たちが情報を運び、言葉を播くことにかけては、並ぶ者がいない。

 “伊賀の血”という語りを甲賀が流した。

 だが――その意図は、誰のためだったか?

 私はすでに知っていた。
 語りを信じ、怒り、士気を鼓舞し、正義を叫び、勝ったのは誰か。
 秀吉である。

 そして、語りを収束させるように「火を命じた」のも、また彼だった。

三 火を見つめる者


 私は、焼け跡にもう一度足を運んだ。
 焦げた地面の上に立ち、夜の風を受けながら、そこに立っていた背中を思い出した。

 秀吉は語らなかった。
 命じただけだ。
 火を――語りを、仕上げるように。

 あのとき私は、問うことをしなかった。
 いや、問わないことが忠義だと、どこかで思っていたのかもしれない。

 だが今、それではいけないと、胸の奥が告げていた。

四 対峙の覚悟


 秀吉は語った。
 「語らねば、人は動かぬ」と。
 「意味が真実を超える」と。

 それは、正しさではなく、強さの論理だ。
 だが、もし語りの“始まり”までもが仕組まれていたとしたら――
 この戦のすべては、秀吉の語りの完成であり、秀吉による歴史の演出である。

 私は、その真を問わねばならない。

 火の匂いが残る帳の中、私は筆を取ることなく、刀も帯びぬまま、ただ足を進めた。

 次に会うときは、
 問わずにはいられぬ。

第十一話 問われぬ真実

後編 問われぬ夜


 夜の風は、生ぬるく、空には星ひとつなかった。
 私は、火の残り香をまとった陣の奥、主のいる幕舎へと歩を進めた。

 誰も、止めなかった。
 語る者と、記す者。
 その二つの影が、今夜、ひとつの火を見つめる。

一 再び、ふたりきり


 秀吉様は幕舎の外に立ち、焚き火の前で手を組んでいた。
 私が現れても、振り返らなかった。
 まるで、来ることを知っていたかのように。

 「官兵衛か。……座れ」

 私は、火の向こうに膝をついた。

 「密偵から報せがありました」

 「ほう」

 「“伊賀の血”という話――甲賀より流されたとのこと。
 その筋、甲賀旧家より出た伝令筋……秀吉様と、ゆかりがある」

 火が、ぱちりと音を立てた。

二 問いかける者


 私は静かに問う。

 「秀吉様。
 あの語り――“始まり”から、仕組まれていたのではありませぬか?」

 「……」

 秀吉は、顔を上げず、火だけを見つめていた。

 「信長様に伊賀攻めの過去があり、
 光秀に“伊賀の血”があるという情報が、周囲に浸透していた。
 それが事実でないと知りながら、皆が信じた」

 「信じたなら、それが真であろう」

 その言葉が、闇の中に落ちた。

三 語る者の論理


 「人は、信じたい話を選ぶ。
 わしは、ただそれを“整えてやった”だけのこと」

 「光秀を、信長様を、操ったのですか」

 「いや。導いただけよ」

 焚き火が揺れ、秀吉の目がようやくこちらを向いた。
 その目に、迷いも偽りもなかった。

 「光秀は、復讐の鬼として死ぬことを、むしろ望んでおったのやもしれぬ。
 信長様もまた、“語られる死”としての自分を受け入れた。
 ……ならば、誰も損なってはおらぬ」

四 記す者の答え


 私は、言葉を返さなかった。
 怒りも、呆れもなかった。ただ、深い諦念があった。

 語られた物語に、皆が乗せられ、進み、そして納得した。
 秀吉様は、その“舞台”を整えただけだった。

 「……ならば、なぜ語らなかったのです。
 すべて、真実であると」

 「真実とは、語らぬものよ。
 語ったとたん、それは“物語”になる」

 私は目を閉じた。
 そうか――それが“語る者”の論理か。

五 問われぬ真実


 私は立ち上がり、一礼した。

 「私は……記す者です。
 語りはせず、ただ、記しましょう。
 語られなかった夜が、たしかに存在したと」

 「うむ」

 秀吉様はそれだけを言い、また火に目を戻した。

 私は幕舎を後にした。
 夜は深く、音もなく、ただ過ぎていくばかりだった。

六 記された一文


 筆を取った私は、誰に見せるでもない一文を、そっと書き記した。

 「真を問うた。されど、答えは語られなかった。
 問われぬ真実、今ここに記す」

 それでよい。
 それが、私の戦いだ。



※ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
歴史の陰に埋もれた“語り”に耳を傾けてくださったあなたに、心より感謝申し上げます。この物語が、ほんのひとつでも、あなたの記憶に残れば幸いです。ご感想など、お気軽にお寄せいただけましたら嬉しく思います。
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