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一日置きの彼女 第4章「死因」前編

「殺したのは、私ではない私。」

「死因」①


高山は机の上の書類をじっと見つめていた。精神鑑定のために提出された資料の束。その中に添付されていた一枚の文書。そこには、冴子の娘──のぞみの死亡に関する記録が記されていた。年月日、場所、遺体発見の状況、そして確認者として自分の名前があった。

──だが、まるで覚えていない。

記録には、のぞみの遺体は自宅近くの排水溝で発見され、損傷が激しかったため、身元の確認は衣類とDNA鑑定によって行われたとある。そこに「精神鑑定医 高山棟悟による確認済み」と記されていた。

「俺が……見た?」

ページをめくる指が止まった。書類のどこをどう見ても、そこには確かに自分の署名がある。あの日、現場に立ち会ったはずの自分。だが、遺体の記憶が一切ない。見たはずのものが、脳のどこにも残っていない。記憶が、空白の穴を開けたまま、ぽっかりとそこに口を開けていた。

「疲れてるだけだ。子供の遺体を前に、正気でいられるわけがない……」

だが、それにしても不自然だった。のぞみの遺体に関して、現場の写真や状況報告を読むたびに胸がざわつくのに、肝心の現物──その光景が、自分の頭にはまるで存在しない。まるで誰か別人が見た記録に、自分の名前だけが貼り付けられているかのように。

高山は書類を閉じ、硬くなった背筋を椅子にもたれさせた。

──俺は本当に、のぞみの死を見たのか?

「死因」②



警視庁本庁舎。応接室の扉をノックすると、中からすぐに返事があった。

「おう、久しぶりだな、高山先生」

斉藤警部補──のぞみの事件を担当した刑事が、煙草の香りを纏わせて立ち上がった。年齢は四十代後半、短く刈り込んだ髪に、やや落ち窪んだ眼差し。冴子の精神鑑定資料を渡した人物でもある。

「記録を拝見しました。ただ……やはり、いくつか確認したくて」

高山が切り出すと、斉藤は苦笑交じりに手を振った。

「わかってるよ。あれは……きつい事件だったからな。俺も、正直忘れたくてしょうがない」

「冴子さんの供述について、詳しく聞かせてもらえませんか?」

斉藤は少し間を置いてから、書類の束を取り出した。

「冴子は、“あの子は私が殺した”と、はっきり言った。ただ、その内容は、最初の供述と少し食い違っている。犯行の具体的な手口は曖昧で、泣きながら“気づいたら死んでいた”と……」

「それは責任を感じての発言でしょうか?」

「俺もそう思った。実際、直接的な加害の証拠は出ていない。だが、問題はその後の供述だ。“裕二さんに迷惑がかかる”と言い出してな」

「裕二……彼については?」

斉藤は鼻を鳴らした。

「冴子は“のぞみが裕二のことを嫌っていた”“のぞみがいると裕二と一緒になれない”とも言った。だが、この裕二って男の身元が一切不明なんだ。電話番号も住所も、同僚や近所の証言もなし」

「実在しない可能性がある、と?」

「ああ。警察内部では、冴子が作り上げた架空の存在、つまり精神的逃避の象徴じゃないかって話になってる」

高山は眉をひそめた。

──それでは、冴子が殺したのは、子供が邪魔だったから?
──あるいは、存在しない“裕二”との恋のために……?

いや、それよりも、そもそも裕二がいないなら、のぞみを殺す動機とは何だったのか。

「死因」③



応接室を出た後も、高山の足取りは重かった。
のぞみの死亡記録に記された事実。
冴子の「殺した」という断言。
そして、斉藤警部補が口にした、“存在しない”裕二という男。

真実は記録の中にあって、高山の記憶にはない。
彼はもう一度、あの精神鑑定資料に添付された文書を思い出していた。

──女児、遺体で発見。発見現場は集合住宅の敷地内排水溝。
──損傷著しく、身元確認はDNAにて。
──母親は遺体確認時、取り乱すも一時的に落ち着きを取り戻し、その後供述へ。

(読んだ。確かに、自分は読んだ……。けれど──)

どんなに思い出そうとしても、のぞみの顔が浮かばない。記憶の中にぽっかりと空いた空白が、彼の心を締めつける。
衝撃のあまり、記憶から閉め出してしまったのか。それとも──本当に、見てなどいなかったのか。



冴子の元勤務先──個人経営の小さな弁当屋は、駅近の路地裏にあった。
昼どきで客足はまばら。高山は厨房にいた女性に声をかける。

「失礼ですが……こちらに勤めていた“冴子さん”について、少しお話を伺えますか?」

「冴子ちゃん……あぁ、あの事件の」

女性の目が少しだけ曇る。やはり知っていた。

「彼女の話をするのは久しぶりだけど……まぁ、いいか」

高山は簡単に自己紹介し、精神鑑定に関わっていることを伝えた。

「冴子さんが親しげにしていた“裕二さん”という男性をご存知ですか?」

「裕二? さぁ……その名前は聞いたことないねぇ」

「お店の常連などで、冴子さんと特別に仲の良かった方などは?」

「うーん……冴子ちゃん、仕事は真面目だったけど、あまりおしゃべりなタイプじゃなかったのよ。誰かと付き合ってたとか、聞いたことない」

高山は礼を言い、名刺を渡して店を出た。

──手応えは、ない。

証言はゼロ。記録にも足跡がない。冴子の日記にだけ現れる「裕二」。

(冴子は、なぜ架空の人物を作り出した?)

(のぞみを殺す理由が、“裕二との恋のため”だというなら……)

(逆に、その裕二がいなければ、冴子がのぞみを殺す動機はどこにある?)

高山の思考はぐるぐると循環しはじめる。

(……いや、そもそも、のぞみは本当に死んだのか?)

決定的な死の記憶が、自分の中にないという一点。それが今、現実の足場を崩していく。


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