BIC特区-第39話 ハリネズミの願い
管理局の建物から逃げるように出てきたアオイは、ルネッサに乗り込み、すぐにドアをロックした。最後に見たスズキの気味の悪い笑顔を思い出し、なんだか自分が踏み入れてはならない領域に足を踏み入れてしまったような気がしていた。どちらにしても、もう後戻りはできないし、するつもりもない。ミサキの身に何が起こっているかはわからないが、あの幸せな時間を取り戻すために自分にできることをやろうと決心した。
「エリザ、ナオユキさんに接続して」
アオイは、ミサキのことをナオユキに話して以来、ナオユキが説明会場から飛び出して戻ってこなかったことが気になっていた。
『…接続拒否されました。メッセージを残しますか?』
「え、なんで?エリザ、位置情報をリクエストして」
『…拒否されました』
「もう、何なのよ」
ハンドルを両手で叩くと、アオイは苛立ち、「もういい」と言い放ち、思い切りアクセルを踏み込み、乱暴にハンドルを切った。キキキッーっとルネッサのタイヤを鳴らして、そのまま管理局事務所の外に飛び出して行った。
集落をルネッサで走り回りながら、アオイはミサキの痕跡を探した。すれ違う人にそれとなくミサキのことを尋ねても、返ってくる言葉は「連絡してみたの?」や「TIには聞いてみたの?」という返事ばかりだった。
「ちょっと連絡がとれなくて」とアオイが言うと、「ミサキちゃんも妙齢だからね、どっかで男としけこんでんじゃないの?」とか「まあここはTIが管理してるから下手なことは起きないよ」と、呑気な答えばかりが返ってきた。
詳しく話せないもどかしさで焦り、苛立った。それでも、下手なことを話して特区外に追い出されては元も子もないと、自分を落ち着かせ、慎重に動いた。
その日は、何の手掛かりも見つけることができなかった。明かりの点いていない暗いミサキの家を見て、沈んだ気持ちになった。
家に入ると、すぐにホログラムディスプレイを呼び出した。誰かから連絡が入っていることを期待していたが、新しいメッセージは1通も届いていなかった。
「エリザ、ミサキさんに接続」
『…接続できません。昨日と同じ状況です』
「じゃあ、ナオユキさんに接続」
『…申し訳ありません。接続拒否されました』
アオイは咄嗟に机の上にあったマグカップを乱暴に払い落とし、机を両手で強く叩いた。
「なんで、何で誰も…」アオイは、誰にも話せないもどかしさと、唯一の味方だと思っていたナオユキに連絡が付かないことで強い孤独感を感じ、肩を震わせた。
「エリザ!他に何かできることはないの?」
『申し訳ありません、アオイ。現在の状況では…』
「もういい!」と叫び、エリザの応答を遮るようにホログラムディスプレイを強引に消し、そのまま床に力なくへたり込んでしまった。
『アオイ、落ち着いてください。もう12時間以上食事をしていません。温かいスープを摂取することをお勧めします』
エリザに言われて、朝、簡単な食事をとってから何も口にしていないことを思い出した。
「エリザ、肉って何があったっけ?」
『現在、牛リブロース、イノシシのばら肉、シカのもも肉が保存されています。魚についてもお伝えしますか?』
「いや、いい。こんな時は肉でしょ」とアオイは立ち上がった。
キッチンに向かうと冷蔵庫から牛肉の塊を取り出し、塩コショウを振りかけた。適当に野菜を選んで刻むと鍋に入れ、ストックしていたキノコスープを注ぎ入れた。
「エリザ、スープは任せた。肉はミディアムレアで、ひっくり返すタイミングで教えて」
『わかりました。スープは急速調理します。約7分後にすべての料理が完成します』
肉の焼ける匂いがしてきて、急に空腹に襲われた。
アオイは、焼きあがった調理台の上のリブロースステーキにそのままフォークを刺し、ナイフで切って口に運んだ。絶妙な火加減で焼き上げられた肉を力強く噛み、焦りと一緒に飲み込む。すぐさま次の一切れを口に入れ、力強く噛み苛立ちとともに飲み込む。肉を口に入れては力強く咀嚼を繰り返し、様々な感情とともに飲み込んでいった。噛むたびに溢れてくる肉汁が、枯渇しかけていたアオイのエネルギーを補充してくれているように感じ、必死になって食べた。400グラムはあったであろう肉の塊を平らげると、床に転がっていたマグカップを拾ってスープを注いだ。
リビングのイスに座り、一息ついた。ひとりで焦って、苛立っていたのかもしれないと反省した。
アオイは、初めてミサキと出会ったとき、「大丈夫。時間はたくさんあるから、少しずつ自分の目で見て考えていけばいいよ」と言われたことを思い出し、鼻を啜った。
落ち着きを取り戻し冷静になると、ルイもアオイと同様に別室に行っていたことを思い出した。
ルイなら何か知っているかもしれない。このままルイに連絡してみようかとも思ったが、ルイにまで素っ気ないことを言われたら立ち直れそうにない。
連絡は明日にしようと決めて、マグカップのスープを一口飲むと、野菜の素朴で優しい味がした。
