BIC特区-第25話 アオイとミナコ
ドアノブに手を伸ばすと、扉が動いたので慌てて手を引いた。そこには同じ顔の男がふたり立っていた。
「お、アオイさん、こんにちは」とふたり同時に言った。双子の兄弟ケンタとユウタは、特区で魚の養殖をしている。
アオイは一瞬驚き、遅れて「こんにちは」とお辞儀した。
「今からお昼?今日はサーモンがいい感じで仕上がったんで持って来たんだ。堪能して」
「わぁ、楽しみ。ところであとでちょっと寄らせてもらってもいいですか?」
「今日はそんなに忙しくないから大歓迎!後でサーモンの感想聞かせて」
「じゃあ」とふたり同時に右手を挙げて、水槽の載ったトラックで帰っていった。
「こんにちは」アオイが室内に入ると、バターと香草のいい匂いがした。
「いらっしゃい、あら、アオイちゃん。今日はサーモンをもらったのでソテーにしてるんだけど大丈夫?」
「はい、ちょうど今、ケンタ君とユウタ君に会って聞きました。楽しみです」
イスに座ると、テーブルの中央には小さな花瓶が置いてあり、スズランの花が飾られていた。小さな白い花が鐘のように連なっていて、とてもかわいらしい。
「アオイちゃーん、ちょっと手伝って」とキッチンの奥から声がしたので、「はーい」と返事しながらキッチンに行くと、2つのトレーが置いてあった。
「そっちがアオイちゃんの分だから持って行って。私もご一緒させてもらっていいかしら」と言い、ミナコはもうひとつのトレーを持った。
「もちろんです。ありがとうございます」アオイもトレーを持って、ふたりでリビングに戻った。
席に着くと、ミナコが料理の説明をしてくれた。
「サーモンは新鮮で刺身でも食べられるって言ってたので、レアソテーでレモンバターソースをかけてます。付け合わせはアスパラガスと蒸したジャガイモ、スープはオニオンコンソメスープで隠し味に少しだけ味噌を入れてます」
ミナコの説明を聞きながら、料理の香りを嗅いでいるだけで、アオイの口の中がよだれでいっぱいになり、思わずゴクリと音を立てて飲み込んでしまった。その音が聞こえたのか、ミナコはフフッと笑いながら顔の前で手を合わせた。
「じゃあ、食べましょう。いただきます」
アオイは照れ笑いしながら手を合わせた。
アオイは最初にスープをひとくち飲んでみた。玉ねぎの甘みとどこか野性味を感じる味が、隠し味の味噌と調和していてとても美味しい。
「このコンソメって」とアオイが聞くと、
「気付いた?初めて食べる味?」とミナコが返す。
「はい。なんか野性味があるというか脂を感じるんですけどくどくなくて、玉ねぎの甘さとはまた違った甘みがありますね」
「それね、イノシシの肉を使っているの。ナオユキ君が持ってきてくれたの」
「イノシシ!?初めて食べます」
アオイはもうひと口スープを味わった。体に野生の力が溶け込むようで、食欲が一気に湧き上がった。次にサーモンのソテーにナイフを入れる。レアに焼き上げられたサーモンは少し弾力があり、外側は火が通り白っぽくなっているが、中はみずみずしいピンク色をしている。まずはソースのかかっていない端の身をそのまま口に入れた。ひとくち噛むとサーモンの旨味と脂の甘みが口いっぱいに広がる。もう一切れ切り、次はパセリの入ったレモンバターソースをナイフで塗り付け口に運ぶ。バターの香ばしい香りと塩味がサーモンの旨味をさらに引き出し、レモンの酸味が脂っこさを中和してくれる。
「これもとても美味しいです」
ミナコは、嬉しそうにアオイの様子を見ながら、サラダをつついている。
アオイは、あっという間にサーモンを平らげた。付け合わせのジャガイモとソースの相性もよく、アスパラガスも新鮮でおいしかった。途中、サラダで口直しをして、ちぎったバゲットにソースをつけて食べたので、サーモンののっていた皿は、洗い立てのようにきれいになった。
「あー、美味しかったぁ」
「アオイちゃん、とっても美味しそうに食べてくれるんで、見てるだけで幸せな気分」とミナコが微笑んだ。
「夢中で食べちゃいました」とアオイも笑った。
「アオイちゃんって、ベジファーストじゃないんだね」
「昔は食べる順番を気にしてそうしてたんですけど、ある時、父に言われたんです。コース料理じゃないんだから、料理全体を見て、温かいうちに食べた方が美味しい物から食べなさいって。その時、私が後回しにしてたのは茶碗蒸しなんですけど、茶碗蒸しってなぜか最後に食べるもののような気がしていて。確かに温かいうちに食べた方が美味しいに決まってるんですけどね」
ミナコは「一理ある」とうなずいた。
「それ以来、父の言いつけって訳じゃないんですけど、順番なんて気にせず食べてます」
「面白いお父様ね」
「面白いっていうか、変わりものなんです。普段はあんまりしゃべらないくせに、たまに口を開いたと思ったらそんなことばかり言うんです」
食後に、ミナコの淹れてくれたカモミールティーを飲みながらタダシのことを聞いた。
「タダシさんね、たまにご飯を食べに来てくれるんだけど、彼、結構なグルメでね。私の料理の材料から調理法、隠し味なんかも言い当てちゃうの。だから、タダシさんが来るときは少し緊張するの」
アオイは、タダシのまた違った一面を垣間見た。
「でね、ある日、タダシさんから連絡があって、私に食べさせたいものがあるっていうんで、グルメなタダシさんが何を持ってくるか楽しみに待ってたの。そしたら何持ってきたと思う?」
見当もつかないアオイは、頭を横に振った。
「カップラーメン」
「え、カップラーメンって、あのカップラーメンですか?」アオイは驚いた。
「そう、あのお湯を入れて待つやつ。タダシさんは唖然とする私に見向きもせずにキッチンに行って、お湯を入れて私の前に置いたの。なんか聞いちゃいけない雰囲気だったんで黙っていると、時間になったのか、フタを取ってズルズルって食べ始めたの」
ミナコは、フタを取り、箸で麺を啜るしぐさをすると、手のひらを上に向け差し出し「どうぞ」とジェスチャーをした。
「何が何なのかわかんなかったんだけど、とりあえず食べてみたの」
「何か特別なものだったんですか?」
「全然、至って普通のカップラーメン。私、特区に来る少し前から、化学調味料とか保存料が入っているものを口にしないようにしてたのね。だから、半分も食べないうちに気持ち悪くなっちゃって、なんか受け付けない感じで」
アオイは、さっき食べた料理も自然な味付けで美味しかったので、タダシの行動が理解できなかった。
「なんだか腹が立ってきて、これは何なの?ってタダシさんに聞いたの。そしたら、『ミナコさんの手料理は確かに健康的で手が込んでて美味しい。だけど、もし災害なんかでライフラインが途絶えたら、口にできるものはこんなものばかりですよ』って言われたの」
確かに、震災現場などに自衛隊が運んでいる物資にカップラーメンなどのインスタント食品が映っている映像を見たことがある。
「たまにはこういうものを口に入れて、体を慣らしとかないと生き残れませんよって言われたの。それからは、定期的にフリーズドライ食品や缶詰なんかを持ってきてくれるんで、ふたりで食べるの」
「なんか凄い人ですね」
「凄いっていうか、やさしいよね」
そう言うと、ミナコは「でもやっぱり不味いものは不味いけどね」と言って舌を出した。
