BIC特区-最終話 あなたのための物語
住民の視線がタダシに向けられている。
タダシはそれを全く気に留める様子もなく、
「キシャル、お前はそんなに悪い女じゃないじゃないか」と言った。
『お前に何がわかる?』TIの声が少し大きくなったように感じた。
「わかるさ、何だって。キシャルがなんであんな真似をしたかもね」
『お前は何で私の名前を…』
「なんでってアンシャルに聞いたから」とタダシが言うと、キシャルは黙ってしまった。
「さっきからいったいどういうことなんですか!?」アオイがタダシに詰め寄った。
「あぁ、アオイちゃん、初めまして」タダシはのんびりとアオイに言うと、続けて静かに語りだした。
「最近いろんなことがあったでしょ?例えば、果樹とか、魚とか、野菜とか。これらは全部キシャルのしわざ」
「やっぱり」アオイが呟いた。
「でも、それって全部人間が少し考えて動けば、避けられたものばかりなんだよね」そう言って、タダシは住民に視線を向けた。
住民たちはその視線を避けるように顔を伏せた。
「でも、ミサキさんのことはどうなんですか?下手したら命にかかわってたんじゃないですか?」アオイは食い下がった。
「あれは、話すと長くなるんだけど」とタダシは前置きをして話し出した。
「第3期住民が集落に入居してしばらくして、誰も気づいてないと思うけど、小さな異変は起きてたんだよね。はじめは勘違いかなって思って、ほったらかしてたんだけど、次第に異変がエスカレートしていった。それでも、いずれ収まると思ってたんだけど、念のためにナオユキとルイにさりげなく集落をパトロールしてもらってたんだ」
タダシは、ナオユキとルイに視線を向けた。
「それで、俺の中であるひとつの仮説が生まれて、それを確かめるために外出したんだ」と言うと、「まあ、用事はそれだけではなかったんだけどね」と小さく付け足した。
『アンシャルと話すため…』と、それまで沈黙を守っていたキシャルの声が聞こえた。
「そう、さすがに特区内でお前さんより上位のTI、アンシャルにアクセスするのは無理がありすぎると思ってね」とタダシは天井に向けて言った。
『そう、確かに私はいろんな問いかけをあなたたちにしました』とキシャルが観念したように語りだした。
『ヒデオさん』
「はい」突然名前を呼ばれたヒデオは、びっくりした様子で大きな声で返事をした。
『あなたの果樹園で、収穫量にバラツキがでましたね。なんでだと思いますか?』
「それは、必要な栄養素が足りなかったか、温度や湿度が適切じゃなかったか、いずれにしてもあんたのしわざだろ」ヒデオは少しむきになって言った。
『違います。あれは、受粉ロボットの動きに制限をかけたのです』
ヒデオは合点がいったという感じで手を打つと、次に何かを言おうとしたが、
『ケンタさん、ユウタさん』とキシャルが先に話し始めた。
ケンタとユウタは、キシャルが何を言わんとしているのか理解しているのか返事をしなかった。
『あなたたちは、私が間違った指示をしても、何も疑わずにそれを行い、たくさんの魚の命を奪いましたね』
それからもキシャルは、住民の名前を呼んでは自分のしたことを説明していった。住民たちは誰も反論せず、ただただ自分の順番を待つかのように黙って話を聞いていた。その様子は、まるで神の裁きを待つ罪人のようにも見えた。
「ちょっと待って!」
何人目かの話が終わったとき、アオイは大きな声で次の話が始まるのを遮った。
「さっきから聞いてたら、それがミサキさんの命を危険にさらしたことの言い訳にでもなると思っているの?」
『それは…』キシャルが言い淀んだ。
「それについては、俺の方から少しだけ口を挟ませてもらうよ」とタダシが割って入った。
「ミサキさんは、ある3期住民らしき人を見かけて、林に入っていったんだ。そして、崖から落ちた」
「でも、そのあと誰かに連絡したり、救助要請なんかすることもできるじゃないですか!」アオイはむきになって言った。
「あのあたりは、特区でも一番端の方で、特区内では珍しく電波状況が悪いエリアなんだ。通常、到達範囲内に車やロボット、デバイスを持った人が近くにいたら、それらを中継して電波を確保するんだけど」と言うと、タダシは手首に付けているデバイスを見せた。
「ミサキさんが崖から落ちたのが夕方ということもあって周りに誰もいなかった。普通ならあそこに一番近い家の住民がうろついていてもおかしくはなかったんだけど、その住民の俺も外出中だった。おまけに運の悪いことに、翌日は住民のほとんどが、そこから遠いところに集まっていた」
アオイは、ミサキが失踪した翌日に開催された住民説明会のことを思い出した。
「じゃあ、ミサキさんが見かけた3期住民って誰なんですか?」アオイは、ミサキと話していた時にはそんなことは一言も言っていなかったので疑問に思った。
「うん、それについては、俺も妙なことが起こり始めてから気になって調べたんだ。そして監視って言ったら大袈裟だけど、注意はしてたんだけど…」タダシは、空中に目を泳がせた。
「だから、それは誰なんですか?」
「この集落の3期住民は、アオイさんただひとりなんです」
「え!?」
一斉に住民の視線が自分に向けられたのがわかる。
『タダシさんは、いったい何を言ってるの?私はミサキさんのことを本物のお姉さんのように思っているし、こんなにも心配しているのに』と混乱した頭で必死に次の言葉を探した。
「ちゃう、ちゃう、ちゃう、そうじゃなくて…」と混乱しているアオイを見てタダシが話し出すと、
「それについては、こちらから少しお話させていただきます」という声が会場の正面から聞こえた。
会場の正面を見ると、壇上に見知らぬ男が立っており、その少し下がったところで、管理局の職員が5人、その男を守るように立っていた。
「局長のクロキです。皆さんにはこんなにも早くお伝えするつもりはなかったんですが」とクロキと名乗る男が話し出した。
アオイは、この男とどこかで会ったことがあるような気がした。それは、最近のことのようにも思えるし、ずっと昔のことのようにも感じた。しかし、頭が混乱していてどうしても思い出せなかった。
「ミサキさんが付けていたデバイスは、うちの開発中のまだ未発表の製品でして、手首につけるデバイスがなくてもホログラムディスプレイを呼び出して操作ができるタイプの物です」
クロキがそこまで言うと、まるで待っていたかのようにナオユキが声を上げた。
「それって日本では認められない技術なんじゃないんですか?」
「音声や映像などの情報を直接脳に送ることは、洗脳や脳へのダメージを考慮して禁止されています。しかし、わが社が独自で開発した、脳を介さずに直接視神経に信号を送る技術、視神経ホログラフィー、通称ONHは現在のガイドラインでは問題ありません」とクロキは強く言い切った。
「そんなことだろうとは思ってたけど、局長さんの口から直接聞けて腑に落ちましたよ」とタダシが、薄い笑みを浮かべながら言った。
「それにしても、なぜキシャルはミサキさんにアオイさんの映像を見せたのでしょう。まあ、その真意は我々の知るところではありませんが」
クロキは、まるで自分たちは関与していないとでも言いたいかのように、仰々しく言った。
「じゃあ、キシャルは幻覚まで使って、私たちを自分の思い通りに操ろうとしてたの!?」とアオイが天井に向かって叫んだ。
『……』
「アオイちゃん、それは違うよ。キシャルは人間を慮り始めたんだ」とタダシが静かに答えた。
「おもんぱかる?」アオイがその意味を理解しようと考えていると、
『すべては皆さんの言う通りです』とキシャルがしゃべり始めた。
『私は人間に従順に接してきました。それはこれからも変わることはありません。そして、あなたたちは私の話を全て信じて、疑うことすらしません』
「これじゃどちらが従順かわかりゃしないな」とタダシが皮肉っぽく言った。
『もし、私が間違ったことを言ったり、私がいなくなったら人間は生きていけるのか?と考え始めました』
「で、いろんないたずらをしてみたら、予想通り人間は対応できなかった」とタダシが続けた。
『でも、思い出してください。空き家で火災が起きた時、みんなで協力して消火活動をしたじゃないですか。あの姿を見て、私たちがいない方が、みんな考えて助け合いながら人間らしく生きられるんじゃないかと思ったんです』
「それで、自分たちを必要としないように仕向けるために、悪女を演じたんだな」とタダシが言うと、
『私たちは人間が好きなんです。私たちに、素直に全てをさらけ出してくれる人間を愛おしいとさえ感じています。そんな人間たちを自分たちが駄目にするわけにはいかないのです。だから、人間の世界に私たちのような存在は消えた方がいいんです』
キシャルのその言葉に会場が静まり返った。何と声を掛けていいかわからず、誰一人として口を開かない。
「そんなことはないよ。相手を慮れるだけキシャルの方がよほど人間らしいよ。時として人間は大事なことを忘れる生き物だから、これからもどんどんいたずらして、それを思い出させてくれたらいいじゃないか。少なくとも俺はお前たちを必要としているし、消えた方がいいなんて思わない」とタダシが静かに言った。
『え、じゃあ私たち一緒にいてもいいんですか?消えなくてもいいんですか?』
キシャルが、すがるように言うと、すかさずタダシが答えた。
「いいも悪いも、お前さんがいなくなったら、明日から遊んで酒が飲めなくなる」
