BIC特区-第9話 アオイとヒデオ 1-2
農園は、無秩序に見えるほど様々な果物が植えられていた。オレンジ、サクランボ、リンゴ、バナナ、桃、パイナップル……気候や地域に関係なく、たくさんの種類の果物を育てられるのも、TIによる管理の賜物であると感心する。
甘い香りを嗅ぎながら奥に進むと、ネクタリンの木の前で作業している男女の姿が見えた。収穫用のカートがふたりの間を忙しなく行き来し、果実を取るたびにカートがすぐそばまで移動してくる。ふたりはそのカートに果実を入れていた。
「おーい、ヒデオさーん」ミサキは手を振りながらふたりに近づいた。
ふたりはミサキの声に気付き、手を振り返した。ミサキとアオイがふたりの近くまで行くと、作業をやめてこちらに来た。
「こんにちは。パイナップル、とても甘くて美味しかったです。パイナップルケーキにしてみたんで、後で食べてください」
「ありがとう。最近は自分たちの育てた果物がどんなお菓子になるのか楽しみでね。それが頑張れる原動力になってるよ」ヒデオは笑顔で答え、アオイに視線を向けた。
「あ、こちらアオイちゃん、昨日着いたばかり」とミサキが紹介した。
「よろしくお願いいたします」とアオイは頭を下げた。
「俺はヒデオ、でこっちが家内のナミ」
「よろしくね」とナミが微笑んだ。
アオイは、あらためて果樹園を見回して、「それにしても、いろんな種類の果物があるんですね。大変じゃないですか?」と尋ねた。
「そうだね、ここまで安定してきたのは最近だけど、TIが管理してくれている部分もたくさんあるから、ひと昔前よりは随分楽になったんだろうけど、それまで植物を育てたことなんてなかったし、わからないことだらけで、TIが管理してくれると言ってもやっぱり人間の目で見て微調整する必要はあるし、色んな種類があるからその木ごとの特性や病気についてもある程度は知っておかないといけないし、害虫や害獣はドローンが対応してくれるけど、収穫はやっぱり時間がかかっても人の手でやらないと果樹が傷ついたり、完熟じゃない物を収穫して無駄がでるから…」
「おとうさん!」矢継ぎ早にしゃべるヒデオをナミが止めた。
「果樹について話し出すといつもこうなんよ。昔はこんなにしゃべる人じゃなかったのに」とナミは苦笑いした。その表情には困った様子はなく、むしろ楽しんでいるように見える。
ヒデオは照れくさそうに「つい熱くなっちゃって」と言い、頭をかいた。
「食べたいものがあったら言って、完熟しているのを教えてあげるから」と、ヒデオは実のなっている果樹を指さした。
「そうそう、アオイちゃんにコーヒー分けてもらえます?」ミサキがヒデオに聞いてくれた。
ヒデオはアオイにぐっと近づき、「コーヒー好き?」と尋ねた。
「好きというか、モーニングルーティンで飲んでいる感じでした。でも、ミサキさんの家でいただいたコーヒーは全然違って、とてもフルーティーで美味しかったので、はまりそうです」とアオイは後ずさりしながら答えた。
「そうでしょう、なんたってうちの豆は水洗式じゃなく乾燥式で、太陽の光でじっくり乾燥させているんで手間暇かけているぶん繊細でフルーティーなんだ。そもそも水洗式は水が大量にいるし、機械乾燥なんてもってのほかで、とはいっても豆の種類で発酵の加減も違うし…」
「お父さん!」とさっきより大きなナミの声にビクッとしたヒデオの姿に、みんなが笑い、和やかな空気に包まれた。
なんて幸せな時間なんだろう。澄み渡る青空、優しい風、木の葉が擦れ合う音と鳥の声、果物の甘い香り、そして優しい人たちとの楽しいおしゃべり。すべて自然の中にあるものなのに、なんて贅沢で幸せなことだろう。
これまでの自分の生活は何だったんだろう?時間を節約するために便利さを求め、便利な道具を手に入れるためにお金を稼ぐ。お金を稼ぐために働く。一生懸命働けば働くほど自分の時間が失われ、残された時間を効率的に使うためにさらに便利さを求める。
そんなスパイラルの中で生きてきたが、特区では自分の時間がたくさんある。不必要な便利さや手軽さは必要なく、丁寧に生活することができる。そんな生活の中にこそ、人間としての幸せがあるのではないかと思い始めた。
「お金ってなんだろう?」
