BIC特区-第41話 羊たちの沈黙
家に戻るとリビングの椅子に座り、部屋の中を見回した。誰かに見張られているような気がして落ち着かない。これまで何気なく生活に溶け込んでいたTIが、常に行動や言動を監視しているスパイのように感じる。
丁寧に淹れたコーヒーをひと口飲み、これからタダシと話すことを考えた。必要最小限の情報で今の状況をできるだけわかってもらわないといけない。状況を細かく伝えようとするほど、言えない言葉が頭に浮かび、訳が分からなくなる。紙に書いて思考を整理したいと思っても、TIに監視されている気がしてそれもできない。ましてやエリザに相談するなどもってのほかだ。
なぜ昼間にルイの家で、シールドが機能している環境で相談しながら二人で考えなかったのか。ひどく後悔した。一生懸命に励まそうとおどけるルイの優しさに甘えただけの自分を恥ずかしいと思った。
結局、夕方まで考えて、どうにか今の状況を安全に、できるだけ細かく伝えるための台本が頭の中に出来上がった。ちょっとやばいかなというところもあったが、これぐらいなら大丈夫だと思い込んだ。
アオイは一度深呼吸をして、「よし」と気合を入れると、
「エリザ、タダシさんに接続」
悟られないように、できるだけ平静を装うよう意識していることに気づき、少しおかしくなった。
『…接続しました。音声のみの接続です』
アオイは胸の鼓動が速くなるのを感じた。
「もしもーし」
雑踏の中にいるのか、周囲の騒音が邪魔をして聞き取りづらい。
「もしもーし、ちょっと待ってね」と言って、少し待つと静かな場所に移動したのか、騒音は消え静かになった。
「もしもし、ごめんね。今、静かなところに移動した」
「あ、はじめまして。アオイと言います」
アオイは思わずお辞儀をした。心臓がドキドキと高鳴り、自然と体に力が入る。
「初めまして、タダシです」
タダシの声は落ち着いていて、どこか安心感を与える響きがあった。アオイは、先ほどまで熟考に熟考を重ねて作った台本を頭の中で開いた。
「タダシさん、すみません。突然なんですけど」とアオイがしゃべり始めると、すぐにそれを遮るように、
「ちょ、ちょ、ちょ、大体のことはわかってるし、想像もつく。だからアオイさんは余計なことは言わなくていい」とタダシに話を止められた。
「あと、詳しく話せない理由があるから、結論だけを言う。それに対して僕を信じて一切質問をしないでもらいたい。仮に質問したとしても僕は答えない。ここまで大丈夫?」と続けた。
アオイは戸惑いながら、「はい」と答えた。
「ミサキちゃんは大丈夫。あと、アオイちゃんのこともどうにかできる。集落も時期に落ち着く。ほかに何か気になることある?」
アオイは台本にない展開に思考がついていかず、「ないです」としか言えなかった。
「俺、今、特区の外だから、遅くても明後日には戻るつもりだからその時会いましょう。じゃあね」と言うと、一方的に接続が解除された。
3分にも満たないやり取りに、考えがうまくまとまらずアオイはしばらく呆然としていた。台本はおろか、ほとんど自分が話していないことに気づき、おかしくなった。
初めて会話した相手なのに、アオイは不思議と強い信頼感と安心感を覚えていた。
しかし、翌日、再び事件が起こった。
