BIC特区-第42話 狼たちの曠野
朝、ベッドの上で昨日のタダシとの会話をぼんやりと思い出していた。
「明日かあ」
アオイは、大丈夫と言ってくれたタダシに会えるのが待ち遠しくなっていた。
ベッドから出ると、リビングに向かいながら家のTIに話しかけた。
「おはよう、エリザ」
………
「?」
聞こえなかったのかな? と考え、アオイは少し声を大きくして、もう一度声をかける。
「エリザ、おはよう」
………
「おかしいな」 アオイは眉をひそめ、手首のデバイスをタッチしてホログラムディスプレイを呼び出した。
そこに現れたのは、アオイがこれまで見たことのない画面だった。なぜなら、英語で書かれた文や数字、記号が画面いっぱいに表示され、どこをどう操作していいかもわからなかったのだ。
その時、外から「キュイーン、キュイーン」と甲高い音が聞こえ、家の前で止まった。そして、「ドンドンドン」と誰かがドアを叩く音が家の中に響いた。
アオイは、恐怖で体がこわばるのを感じた。誰がいるのかモニターしようにも、エリザは反応しないし、ホログラムディスプレイも操作できない。
アオイは、恐る恐る玄関の方に近づいた。
「アオイさん、いますか?アオイさーん」
聞き慣れた声が聞こえて、アオイは急いでドアを開けた。
「ナオユキさん!びっくりしました。なんで今まで連絡くれなかったんですか?ミサキさんは?」
突然現れたナオユキに、アオイは驚きと安堵の入り混じった気持ちで矢継ぎ早に尋ねた。
「詳しいことは後で話します」と言って、ナオユキはアオイの姿を見ると、左腕にはめた無骨な腕時計を見た。
「5分で準備してください」と言ってアオイを見た。
アオイは自分がまだパジャマ姿だったことに気付き、急に恥ずかしくなって「ちょっと待って、どういうこと?」と食って掛かると、
ナオユキは時計を見たまま、「10秒経過」とだけ答えた。
アオイが急いで準備を終えて外に出ると、ナオユキはバイクにまたがって待っていて、出てきたアオイにヘルメットを渡しながら「乗ってください」と親指で後ろを指した。
アオイはヘルメットをかぶり、バイクの後ろにまたがってナオユキの腰に腕を回した。
ナオユキはアオイの方に顔を向けて、「2分20秒オーバーです。あとで腕立て140回」と言うと、スロットルを操作した。「キュイーン、キュイーン」という甲高い音が聞こえ、「しっかり掴まっててください」と聞こえた直後、砂煙を上げながらバイクは走り出した。
ナオユキは、道のあるなしに関係なくひたすら真っすぐバイクを走らせた。彼のオフロードバイクは軍隊でも採用されているモデルで、高い走行性能と静穏性を備えており、電子制御されたアクティブサスペンションがどんな不整地においてもほとんどの衝撃を吸収してくれる。そのため、後ろに乗るアオイもあまり怖いと感じることはなかった。
しばらく走ると、バイクは小高い丘の上に建つ一軒の家の前で止まった。
「到着です」ナオユキはアオイがバイクから降りるのを待って、スタンドを立てた。
アオイはヘルメットを脱いでナオユキに渡すと、思っていたより力が入っていたのか、手が少し震えていた。
「大丈夫ですか?」ナオユキが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫です。それより、なんなんですか?突然こんなところに連れてきて」アオイはバイクを降りたナオユキに詰め寄った。
「すみません。とりあえず入りましょう」とナオユキが入り口の方へ歩き出したので、仕方なくアオイも続いた。
「ナオユキさんの家ってこんなところにあったんですね」とアオイが聞くと、
「ここはタダシさんの家ですよ」と振り向きもせずに言い、家の中に入った。
アオイは驚いて、戸惑いながらナオユキの後に続いた。ドアをくぐると、広々としたリビングが目に入った。
アオイが入り口付近で立ち止まっていると、
「アオイさん、ドア閉めてもらっていいですか?」とナオユキに言われ、
「あ、はい」とアオイは慌ててドアを閉めた。
「ヴォルフ、ただいま」とナオユキが何もない空間に声を掛ける。
「お帰りなさい、ナオユキさん」とTIが答え、「カシャ」とドアがロックされる音が聞こえた。
その時、奥の部屋から大きな塊がゆっくりと歩いてきた。
「テッシュウ」とアオイが近づくと、テッシュウはアオイの手をクンクンと嗅いで、大きな舌でぺろりとひとなめして、また奥の部屋に消えていった。
「混乱するといけないので、最初に説明しますね」とナオユキは無造作に置かれていたシェルチェアのひとつに腰を下ろした。
「はい」とアオイも近くにあったシェルチェアに座った。
「あ、あと、ここシールドされているので安心してください」
アオイは、ナオユキの口からシールドという言葉が出たことに驚いた。しかも、アオイがルイからシールドについて説明を受けていることを知っているのか、シールドに関する説明をするそぶりも見せない。
「なにから話そう…」ナオユキは視線を空中に泳がせると、
「まず、アオイさんをここに連れてきたのは、タダシさんの指示です」とアオイの方を見て言った。
「はい」タダシの家に連れてこられたので、そうだろうとは予想していた。
「わたし、昨日タダシさんとお話ししたんですけど、それが関係してるんですか?」とアオイは聞いた。
「うーん、タダシさんって僕らが見ているよりずっと先のことを見て動く人だから、僕からは何ともいえません」
「じゃあ、ナオユキさんが私の連絡に応じなかったこともタダシさんの指示なんですか?」アオイは、誰にも話せず孤独感に押しつぶされそうになった記憶が蘇り、少し感情的になった。
「すみません。直接命ぜられたわけではないのですが、自分なりに状況を鑑みて、しばらくは通信規制をかけた方がいいと判断したのであります」ナオユキは、感情的になったアオイに動揺したのか、おかしなしゃべり方になった。
「それに何の連絡もないと思ってたら、いきなり家に現れて5分で準備しろだなんて」アオイは、胸の奥から込み上げてくるものに、自然と涙が浮かんだ。
「それは…」慌てて何か言おうとしたナオユキをアオイが遮るように続けた。
「それにあの腕立て140回って何なんですか!」そこまで言うと、アオイは「はーはー」と荒い呼吸をしながらナオユキを睨んだ。
「すみません。それは自衛隊ジョークっていうか・・・」ナオユキがしょんぼりとして答えたので、
「笑えませんっ!」とアオイはすかさず言い返した。
ナオユキは下を向いたまま黙ってしまった。
しばらくして、鼻を一回啜る音が聞こえて、
「あー、すっきりした。なんか私だけのけ者になったような気がしてて不安だったんです。ナオユキさんに八つ当たりしてみました。ごめんなさい」
ナオユキが顔を上げてアオイの顔を見ると、先程までの感情的な表情は消え、目の奥にはどこか強い決意のようなものが見て取れた。
「こちらこそ、不安にさせてしまってすみませんでした」ナオユキは素直に謝った。
「で、今日私がここに連れてこられた理由って何ですか?」
「僕も、はっきりと言われたわけではないのですが、おそらくタダシさんはアオイさんに見てもらいたかったんじゃないかと思います」
「見てもらう?」
「はい」と言って、ナオユキはイスから立ち上がり、歩き出すと「こっちへ」と手招きした。
アオイも慌てて立ち上がり、ナオユキの後を追った。
さっきテッシュウが入って行った部屋にナオユキに続いて入ると、アオイは驚愕した。
「え、なんで!」
