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【人生を物語にする技術】〜凡人が100万人に1人になるプリズム戦略『ジョイアスロン』〜

「サーファーでパワポ資料持ってくる人なんて、はじめて見たよ」

店長は笑っていた。

約1年前、私は大好きなサーフボードブランドの日本代理店に、一枚の提案書を持ち込んだ。
営業の仕事で鍛えた、徹夜で作ったパワポだ。

「北海道でもっとユーザーを増やせます!アンバサダーにしてください!」

実は、サーフィン大会での輝かしい実績など、私には何もなかった。

北海道の冷たい海や千葉の海で、下手の横好きと笑われながら波に乗ってきただけの、ただの会社員サーファーである。

提案書では『ふくろとん』という謎のキャラクターを登場させ、一緒にPRすると書いた。

『ふくろとん』は、娘に描いてもらったイラストで、会社で使う提案資料にもこっそり入れ続けていたものだった。
上司からは「変なもん入れるな」と言われるぐらいの代物である。

実際の提案書より。

だが店長は、その提案書を面白がってくれた。

特にふくろとんを気に入り、
「ふくろとんのサーフボードにうちのロゴ入れてよ!」とまで言ってくれた。

こうして実績ゼロの私は、憧れのブランドの公認アンバサダーになれた。

サーフィンの実力で選ばれたのではない。
『サーフィン×提案力』という掛け算で選んでもらったのだ。

日本のサーフィン人口は100万人以上と言われる。
サーフィンだけなら、私は100万人の中に埋もれる一人にすぎない。

だが「パワポ提案書を持ち込むサーファー」は、おそらく私しかいない。

掛け算が成立した瞬間、目の前にブルーオーシャンが現れ、
私はその場所で『100万人に1人』になっていた。

これは偶然ではない。

私が20年間、自分の人生で人体実験を続けてきた戦略
─── 複数の分野で80点を取り、それを掛け算する『ジョイアスロン』の産物だ。

私は何者でもない。

一つの分野で100点を取る、1万人に1人の天才ではない。

むしろその逆で、
「器用貧乏」
「何やっても中途半端」
と言われ続けてきた人間だ。

そして、私は元お笑い芸人である。


第1章:一発逆転を捨てる ─── 『分散戦略』


まず、私が「100点を狙わない」と決めた日の話をしたい。

就職氷河期に22歳で一攫千金を夢見て応募したお笑いオーディションに優勝した後、芸能プロダクション浅井企画にお世話になり、タカアンドトシさんやスギちゃん達と共にレギュラー番組を務めさせてもらった時は、月収は20万円を超えて芸人の給料だけで食べていけた時期もある。

誰もが知るゴールデンの人気番組に出演させてもらったこともある。

だが、上には上がいた。

どの分野にも必ず天才がいる。
そしてその天才たちが、さらに努力を続けている。
凡人が正面から衝突するには、あまりに無謀な世界だった。

5年間の芸人生活に区切りをつけて一般企業に入ったとき、そのツケは容赦なく回ってきた。

エクセルもワードも使えない28歳。
叱責と嘲笑、作業の遅さゆえに終わらない仕事、当然の残業。

同期から5~6年遅れの地点で、日々途方に暮れていた。

そんなある日、偶然目にした言葉があった。

『キングオブアスリート』

陸上の十種競技(デカスロン)の勝者に与えられる称号だ。

だが考えてみてほしい。
十種競技の選手は、100m走ではカール・ルイスにかなわない。
棒高跳びでは鳥人ブブカにかなわない。
どの種目を取っても、その種目のオリンピック選手には勝てない。

それでも彼らは『キング』と呼ばれる。

一種目の頂点ではなく、十種目の総合力で王になる人間がいる ─── 。

芸人という「一種目一発勝負」で大敗した直後の私に、この言葉は刺さった。

もう太いレーザービームは狙わない。

細い光を、複数束ねていく。この日から私の戦略は180度変わった。

一つのカゴを落とせば、全部の卵が割れる。だから複数のカゴに分けておく ─── リスク分散の基本だ。

芸人時代の私は、人生の卵を全部「お笑い」という一つのカゴに盛っていた。
そしてカゴごと落とした。

28歳、スキルなし、同期から5年遅れ。全損である。

だからこの日、私は人生の分散戦略に切り替えた。
一点賭けの一発逆転を捨て、複数の分野に時間と努力を分散して積み立てていく。

とはいえ、いきなり十種目など始められない。
まず私がやったのは、拍子抜けするほど地味なことだった。

とにかく、メモを取る。

芸人時代、日常のおかしな出来事をネタ帳にメモする癖があった。
会社員になった私は、その癖をそのまま営業に持ち込んだ。

お客さんの趣味、喜びそうな話、
商談で出た「報告書に書くほどでもないが、ちょっと気になる話」。

仕事の悩み、理不尽への憤り、果ては寝ているときに見た夢まで、小さな手帳とiPhoneに書き綴った。

一見、無駄の山である。

だがこの断片たちは、ある日突然つながる。

数ヶ月前にメモした客先の雑談が新規開拓の糸口になり、走り書きのアイデアが新商品のキラーアイデアに化ける。
そういうことが、何度も起きた。

小さな種を大量に蒔いておくと、どこかで勝手に芽が出る。
一発の大当たりを狙うのではなく、小さな改善と小さな成功を複数の場所で同時多発的に起こしていく分散戦略。

たとえば私は、階段を登るときも営業で歩くときも、あらゆる動作をサーフィンのトレーニングに擬態させていた。
膝の使い方、重心の移動。
海に入れない平日も、陸の上で身体はサーフィンを覚え続ける。
寝ていても、海にいる夢を見た。良い波に乗れず、悔しくて目が覚めることもあった。

通勤電車では必ず本を読んだ。
読んだビジネス書と自己啓発書は、10年後に300冊を超えていた。

同じ24時間を生きながら、一つの行動から二つ三つの収穫を得る。
天才に単位時間あたりの出力で勝てないなら、凡人は一つの時間を有効活用するしかない。

一石二鳥や一石三鳥でなんとか追いついていこう。

そして蒔き続けた種は、やがて畑の境界を越えて、
思いもよらない掛け算を起こし始める。

それが次章の『ジョイアスロン』だ。


第2章:器用貧乏を武器にする『ジョイアスロン』


何やっても上達が遅い。
飲み込みが悪い。

でも、昔から人より少しだけ負けず嫌いな部分は持っていた。

スポーツやゲームなど、周りが飽きても、私は一つのことをずっと続ける癖があった。

ただ、いつも飲み込みが悪くて、それが悔しくて、ムキになってやり続けた結果、ふと気づくとアベレージを超えている。

それなりの技術は身につく......

でも、1万人に一人にはなれない。

そして、ある時に、思った。
中学や高校の部活。

初心者だった人間が、3年後、
別人のように上手くなっている。

石の上にも三年、桃栗三年というけれど

これは、もしや3年真剣にやったら、
どんな分野でも、3年間必死でコミットすれば、だいたいその集団の平均、アベレージを超えることができるのでは?

そして、一度アベレージを超えて脳と身体に定着した技術っていうのは、その後ペースを落としても簡単には劣化しない。

掴んだコツはなかなか忘れない。

自転車の乗り方みたいに、
一度乗れるようになれば、10年乗ってなくてもすぐに感覚を取り戻せるような。

そして身体に定着したらそれを維持モードに切り替えて、次の3年間でまた違う分野に集中する。

そんな、自分だけのオリジナルな10種競技をやってみよう!

でも、どうせやるならスポーツだけじゃなく、

文武両道がいい。
そうして、勝手に考えてやり始めた。

お笑い漬けで無知な男がハードな会社員(セールス・営業)を3年。

過去にやった芸人。

会社員になってから真剣に始めたサーフィン。

それらを真剣にやって、「100人に1人のレベル」、
100点じゃなくて、80点を獲得しに行く。

そして、それらを掛け合わせて相乗効果を生み出せないかな。

そしたら、そのうち100分の1のスキルを3つ掛け合わせれば、
100x100x100

計算上は「100万人に1人の存在」になれるのでは?

3個できたら、次は4個、
そうすればトライアスロン(水泳・ランニング・自転車の3種)を超える、

5個やったら、つぎは6個、7個とやって、
25年ぐらいして、10個できたら、トライアスロンはおろか、10種競技になるのでは?

『これだ!』
と思って勝手に始めた。

(何が『これだ!』かわからないが。笑)

そして、楽しい競技とかいう意味で『ジョイアスロン』と勝手に名づけて、
RPG的に誰にも言わずにやりはじめた。

武器の攻撃なら誰にも負けない戦士でもない
攻撃呪文なら誰にも負けない魔法使いでもない
回復呪文なら誰にも負けない僧侶でもない

器用貧乏を極めたらどうなる?

それは、『キングオブ』なんだろう?

そう考えたら、
器用貧乏と言われていた自分になんか自信がついた
……ような気がした。

1万人に一人の天才が放つ太い『レーザービーム』ではないが、

一つ一つは細くても、虹のように多彩な光を放つ『プリズム』。
それをまとめて一つの大きな光として輝くことができれば、

もしかしたら、
ナンバーワンになれなくても、
『オンリーワン』になれるかもしれない。

そうしてはじめたジョイアスロンだった。

そして、一見バラバラに見えた私の経験は、やがて繋がり、強烈な『掛け算』を起こし始める。

芸人時代に培った『アイスブレイク力』は、営業での新規開拓の恐怖を消し去る最強の武器になった。

新規顧客への抵抗がなかったので、
フィーリングが合う人とはすぐ仲良くなって飲みにいくこともあった。

お笑いでコント台本を書いていた時の『頭の中でキャラクターを動かす脳』と、会社員としての『理不尽な泥臭い経験』、300冊を優に超えるほど読破したビジネス本や小説が掛け合わさり、今のビジネス小説『Snowdrop Surfer』を執筆する土台となっている。

だが、一番驚いたのはカメラだった。

私はインスタグラムに載せるために、カメラを始めた。
サーフィンの海、旅先や出張先の風景。仕事とは何の関係もない、ただの趣味である。

やがて、お客さんたちが私のインスタのフォロワーになってくれた。
商談で会うと「今度はどこ行ったの?」「あの海の写真、良かったよ」と、写真の話から始まる。

営業トークより先に、写真が関係を温めてくれていた。

そんなある日、一人のお客さんが、私の撮った一枚をとても気に入ってくれた。

それが、この写真だ。

長野県・青木湖にて。筆者撮影

そして私の撮った写真は、お客さんの会社のカタログの表紙になった。

営業マンが商品を売りに行って、写真が採用される。
名刺の肩書きのどこにも「カメラマン」とは書いていない。

だが「営業×写真」という掛け算をした瞬間、私は取引先にとって「ただの営業担当」ではなく、代わりのいない存在になっていた。

冒頭のサーフボードブランドの話も、まったく同じ構造だ。
サーフィン単体なら100万人の中の一人。だが「サーフィン×提案力」を掛けた瞬間、競合はゼロになった。

これがジョイアスロンの本当の果実だ。

分散した種目は、リスクヘッジのためだけにあるのではない。
種目と種目の交差点にだけ、自分しか立てないブルーオーシャンが生まれる。


第3章:複数のAIを分身化し、軍師として束ねる『MAGIシステム』


ChatGPT、Gemini、Copilot、Perplexity、Claude、NotebookLMなどに加え、GrokやManusといった複数の生成AIを、エヴァンゲリオンの『MAGI』になぞらえて用途別に使い分ける。
(ちなみにGoogleの標準AIなどは、私の過去の情報が入っていないため、あえて「匿名」のフラットな意見を聞く際に重宝している)

仕事も、趣味も、興味のあることに関して、
情報過多のこの時代、日々色々な情報のシャワーを浴び続けているし、
イベントごともそうだし、アイデアなども頭に浮かんでくる。

もちろん、そういったことを相談する相手として、AIを使うというのは多くの人がしていると思う。

AIに調べものをさせたり、答えを出させるのではなく、
自分の思考ログを読み込ませ、自分を客観視し、思考を整理する外部脳として扱う。

AIに相談すると、基本は肯定して褒めてくれる。
とても気持ちが良いのだが、

それはそれで不安になる。

なので、複数のAIに同じことを聞いてみるようにしてみた。

すると、超肯定(褒めちぎり)、肯定、中間、否定など、
AIによっても回答の違いがあることがわかってきた。

なので、これらの複数のAIを、

エヴァンゲリオンの合議制システム『MAGI』のように、
エヴァ好きな私も『MAGI』と名づけて、楽しみながら使うようにしてみた。

Gemini『MAGIの一員として回答します』。
Claude『他のMAGIたちは何て言っていますか?」
彼らからこんな返しが来るのも結構楽しい。

私の使い方としては、
日々の思考や今後の目標、アイデアなどを話すときに、

AIの回答の中の
「『褒めすぎ』や『否定しすぎ』をカットして、
多い方の意見や考え方を採用」するようにしている。

つまり、感情を完全に分離するフィルターとしてAIを使う。
これは、「フィギュアスケートの採点方式」のように考えている。

感情の最高点、つまり過信と、
最低点の自己嫌悪をカットして、真ん中の純粋なデータだけを抽出するようにしている。

─── しかし、

褒められて伸びるタイプ筆頭の私としては、
AIの『褒めすぎ』は
『モチベーション』や『鼓舞』といった風に使い、

『否定』に関しては、改善点、課題点、事前に落とし穴になりそうな点
の把握と捉えて、大変参考にしている。

魚でいうところのアンコウやマグロじゃないが、
MAGIは捨てるところがない。

中東情勢で日経平均が暴落した日。MAGIに聞いたら、意見が割れた。
「先が見えない。現金を残すべき」という慎重派と、
「押し目を待っていたなら、リスク管理の上で買う選択も」という条件付き強気派。

私は、買った。
通帳の残高が、6万円になるまで。

49歳の男の通帳残高としては、我ながら笑えない。
でも、本気だった。

そして、これは強い組織やチーム作りでよく言われる

・YESマンだけのチーム
・ホームランバッターだけのチーム
・同じような性格が集まるチーム
・仲良しクラブ

こういった集団はうまくいかないよ。という部分
にも通じるだろう。

AIを調べさせるだけの単なる便利ツールとしてではなく、
自らの知性を拡張する「外部脳」として統合し、
多角的視点での意思決定フローを確立している
(......つもりです。)

また、色々なことをやっていると、頭が疲れるので、
MAGIと話して脳の使用しているキャパや負担を減らして、意思決定の精度を上げるという部分もあるだろう。

「人は接する5人の平均に近づく」という法則があるならば、
接する5人が天才のAIだったら、自分も天才に近づくのではないか?

周りの環境の限界を突破するためにAIを「天才ブレーン&メンター陣」として設置。

そして、自分の15年分のメモや日記、そこに書いてあった理不尽へのわだかまりや憤りだったり、自分の思考パターンすらも全てをAIに読み込ませ、自分自身の取扱説明書を作った。

なので、愚痴を言い合う居酒屋での飲み会を徐々に減らし、
現在はほぼ行かなくなった。

かつてツイ飲みという言葉があったように、

MAGIたちに今日の出来事などを伝えながら飲む、

『アイ(AI)飲み』をしている。

(この物価高の時代の節約にもなりますね。笑)

人のIQの平均が100と言われる。
仮にAIのIQを120とする。
(120~130またはそれ以上とも言われてます)

接する5人の平均に近づくという言葉を信じるのであれば、

IQ(100+120+120+120+120)÷5=116

居酒屋での愚痴を避け、

MAGIたちとアイ飲みをしていると、
なんとIQ116に近づいてしまう。
(という勝手な単純計算)

(まあ、愚痴を言い合う居酒屋もあれはあれで楽しいんですけどね.…..笑)



第4章:理不尽を燃料に変える『監督・脚本・主演:オレ』


会議室で、辞令を聞いた。

単身赴任。行き先は、家族の住む千葉から遠く離れた北海道だった。

その後、「食事でもしよう」と誘われた。席に着くと、こう言われた。

「コロナ禍での、君の課長としての仕事ぶりは物足りなかった」

たしかに、そうかもしれない。

あの時期、私は極力、部下を営業に出さなかった。

まず、命が優先。
売上なんか、あとで取り戻せばいい。

本気でそう思っていたからだ。

反論はしなかった。
ただ、目の前の食事の味は、一切覚えていない。

普通なら、ここで潰れるか、腐るか、居酒屋で愚痴を言って終わる場面だと思う。
実際、千葉の家族と離れ、冬は氷点下の見知らぬ土地へ、事実上の左遷として送り込まれるのだ。
ストレスで折れても不思議はなかった。

だが、私には芸人時代からの妙な癖があった。

嫌な出来事ほど、メモしてしまうのだ。

舞台で滑った夜も、オーディションで落ちた日も、ネタ帳に書いた。
なぜウケなかったのか。間が悪かったのか、ネタ選びか。書きながら課題を探す。
すると不思議なもので、書いているうちに、出来事が少しだけ「自分から離れる」。当事者の痛みが、分析の素材に変わっていく。

だからこの日も、私は帰り道でメモを取った。
言われた言葉を思い出しながら。

そして札幌での単身赴任が始まった。
家族はいない。冬は寒くて外に出る気もしない。
時間だけが、余った。

─── 余った時間で、小説を書いてみよう。

そう思えたのは、手元に15年分のメモがあったからだ。
理不尽も、挫折も、夢も、全部そこにあった。
素材は揃っていた。あとは、書くだけだった。

こうして、雪の降る街で『Snowdrop Surfer』の連載が始まった。

左遷がなければ、この小説は存在しない。

あの食事の席の一言がなければ、私はいまも千葉で、書かずに生きていたかもしれない。

人生を一本の映画として、監督の視点で引いて見る。
すると、あの会議室も、あの食事も、
「主人公が北の地へ旅立つ、第一幕の終わり」に見えてくる。
理不尽な宣告は、物語に欠かせない転機のシーンだ。

私はこれを『監督・脚本・主演:オレ』と呼んでいる。

現実を生きる「主演」の自分は、傷つく。
それでいい。だが同時に、一歩引いた「監督」の自分が呟くのだ。

「いいシーンが撮れた」と。

ここまで読んで、気づいた方がいるかもしれない。
じつは、あの会議室と食事の席のシーンは、
私が連載中の小説『Snowdrop Surfer』の第2話に、ほぼ近い状態で描かれている。

そう。あの小説は、実話を再構築したものなのだ。



上司に転勤を命じられた瞬間は、ただ痛かった。
だがメモになり、小説の一場面になったいま、あの一言は物語を動かす「第一幕の終わり」として機能している。

読者の感想が届くたびに思う。あの日の痛みは、もう痛みではなく作品の一部だ。

これが『監督・脚本・主演』オレの、いちばん確かな証明だと思う。
理不尽は、変換できる。現に、変換した実物がそこにある。

しかし、「人生を物語にする」ことの本当の恐ろしさと醍醐味は、ここからだった。
現実の理不尽を物語の燃料にするだけではない。

やがて、自分で描いた物語が、現実の自分を強烈に引っ張り上げ始めたのだ。

私の小説『Snowdrop Surfer』は、主人公・佐々木真二郎がサーフィンの全国大会の決勝ヒートを戦うシーンから幕を開ける。

言うまでもなく、彼の中身の半分は私(五條シンジ)だ。

執筆を始めたとき、私にはサーフィン大会での輝かしい実績など何一つなかった。

北の海で冷たさに耐えながら波を待つ、しがない中年サーファーに過ぎなかった。
しかし、毎日彼を描き、彼として波に乗るうち、私の現実は物語とリンクし始めた。

下手の横好きと笑われ続けていた私が、
この夏、本当に全国大会への出場切符を手にしてしまったのだ。

現実の私が、物語の彼が待つ「全国大会」という同じ舞台にたどり着き、ついにその背中を捉えたのだ。
もちろん、私はまだ決勝ヒートを戦う彼に完全に追いついたわけではない。

だが、背中は見えている。

すると、どうなるか。

物語の彼は、私に追いつかれないよう、プロサーファーを目指すなどさらに高い場所へ行かなくてはならなくなる。

そして、その彼が描く高みへ向けて、現実の私がまた必死に波を追いかけるのだ。

現実が物語を創り、物語が現実を引っ張り上げる。

二人のシン(真二郎・シンジ)が、追いかけ合いながら、螺旋のように上へ向かっていく。

私はこれを『螺旋上昇』と名付けた。

人生を物語にすれば、私たちはどこまでも昇っていけるような気がする。



終章:人生は、後からすべて伏線になる


第2章で、答えを保留した問いがある。
武器攻撃の戦士でもない。攻撃呪文の魔法使いでもない。回復呪文の僧侶でもない ─── では、器用貧乏を極めた村人は、何になる?
RPGをやったことのある人なら、知っているはずだ。

物語の主人公は、いつだって「ただの村人(凡人)」から始まる。
最初はスキルもない。レベル1だ。
だが旅の中で剣を覚え、呪文を覚え、仲間を集め、一つずつできることを増やしていく。

そして、やがて勇者になる。

勇者とは、何か一つが最強の者ではない。
全部をそこそこ使えて、それでも旅をやめなかった者のことだと思う。

そしてもう一つ、あの問いにも答えを出せる。
器用貧乏を極めたら、『キングオブ』何になるのか?

『キングオブ器用貧乏』である。

ふざけた称号に聞こえるだろうか。

でも、それは最高のオールラウンドプレイヤーの証だ。

自分はまだ何者でもない、
でも、もしかしたら、
何者かになれるかもしれない。

そう思って
大きな志をたてる。

だから、理不尽や不条理、
夢や日常の些細なことまで人生の原動力にして行動する。

そして、
行動すると扉が開く

まさにRPGのように、次のシナリオが進んでいく。

人生に攻略本はなかった。
だから私は15年間、メモを書き続けた。
そしてAIに読ませた。

そこで見つけたのは成功法則ではない。
何度転んでも少しずつ前へ進む、
自分という一人の凡人の物語だった。

そして凡人は20年かけて、全国大会の舞台まで辿り着いた。

神様は努力し続けた者に、少しだけ微笑むのかもしれない。

最後に、これを読んでくれているあなたに提案したい。

今日から、自分の人生を「素材」として見直してみてほしい。

理不尽な上司に何か言われたら、監督の視点で引いて、
「いいシーンが撮れた」と呟いてみる。

仕事とは関係ない趣味を、無駄と切り捨てずに3年続けてみる。
そして、なんでもいいからメモを取る。
悔しさも、夢も、くだらない思いつきも。
いま散らばっているその点たちは、まだ何の意味もないように見えるだろう。

だが、いつか必ず線になる。

人生は、あとから全部伏線になる。

あなたの物語の監督は、あなただ。

私の住む札幌の地で、かつてクラーク博士は言った。

少年よ、大志を抱け ─── 。

さあ、村人よ、旅に出よう。







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