New York Knicksから学べる、ブランドが “文化” になるプロセス - Ami Hirano
半世紀以上の時を経て、ついにNew York Knicksが再びチャンピオンになった。ニューヨークの街は、単なるスポーツの勝利を超えた熱気に包まれた。長年応援し続けてきたファンは感情を抑えきれず、若い世代はこれまで知らなかった高揚感を初めて体験し、まったく異なる背景を持つ人々が道で抱き合い、叫び、喜びを分かち合った。街全体に、どこか魔法のような空気が流れてた。
もちろん、優勝は決して一人の力だけで成し遂げられるものではない。だが、どの時代にも、そのチームが何を目指し、何を体現しようとしているのかを象徴する存在は現れる。そして今のKnicksにおいて、その存在は間違いなくJalen Brunsonなのだと思う。
彼から学べる知恵は、個人レベルだけでも数多くある。第4クォーター終盤、まるでプレッシャーが存在しないかのようにフリースローを沈める規律。7フィートを超える相手が待ち構えていても、恐れずペイントに切り込む大胆さ。流れが悪くなった時にチームを落ち着かせるリーダーシップ。「戦い続ける、少しずつ積み重ねる (“keep fighting, keep chipping away”) 」という粘り強さ。アスリートは、人間の持つ理想的な資質を凝縮した存在として見られている。だからこそ、彼らはスポーツを超えて象徴的な存在になっていく。けれど、私の中で特に印象に残っているのは、Brunson個人の凄さだけではなく、彼の意思決定の背景にある、よりマクロな視点である。
2024年7月、BrunsonはKnicksと4年総額1億5650万ドルの契約延長にサインした。あと1年待てば、スーパーマックス契約によってさらに1億ドル以上を得られた可能性もあったと言われている。もちろん、早期に契約することには安定や将来的なメリットもあり、この決断を単純な “自己犠牲” として語るのは正確ではない。だが、それでも興味深かったのは、彼が目の前の数字だけではなく、その先にある “より大きなもの” を優先していたように見えたことである。
あらゆるものが短期的な最大化へ向かっていく時代において、これはより意外に感じられる。仮に彼がより大きな契約を待っていたとしても、誰も責めなかっただろうし、それは極めて合理的な判断でもあったはず。しかし、彼の決断が関心を惹くのは、目先の “指標” の先に、築こうとしているシステム全体を見ていたことにある。彼の選択によって生まれた財務的な柔軟性は、Villanova大学時代のチームメイトたちの再集結や、追加補強の可能性にもつながった。だが、才能ある人材を集めれば、すぐに信頼やリズムが生まれるわけではない。チームには共有された感覚を育てる時間が必要であり、街にも新しいチームダイナミクスと空気と繋がりを感じる時間が必要になる。信じる力 (belief) というものは、内側でも外側でも、一朝一夕には再構築されない。53年間優勝から遠ざかっていた間も、熱狂的なファンは残り続けていたが、同時に、長い年月の中で少しずつ離れていった人々がいたのも事実。Knicksが再びニューヨークのカルチャーの中心に戻ってくるまでには時間がかかった。ケミストリー、継続性、長期的な競争力を軸にしたKnicksのカルチャーは、繰り返し積み重ねられることで、徐々に “アイデンティティ” へと変わっていった。そして、それは決して瞬間的につくれるものではなかった。だからこそ、この週末の光景は、単なる優勝以上の意味を持っていたように思う。それは、ニューヨークという街が、長い時間をかけて再びKnicksと感情的につながり直していく、その頂点のような瞬間であった。
この一連の流れを見ていて、ブランドにも通じるものがあるように感じる。今、多くの意思決定は、四半期ごとの可視性や即時的なアトリビューション、短期最適化によって動いている。もちろん、それ自体が悪いわけではない。現実的なビジネスの数字は重要であり、短期的な成果を求められる場面も当然ある。ただ、あらゆる判断が “すぐ測れるもの” だけによって支配され始めると、ブランドは本来築こうとしていた “より大きなもの” を少しずつ見失っていくことがある。本当に価値のある投資ほど、形成途中では非効率に見えることがある。そして、Knicksと同じように、それらは形になり始めるまで数値化しづらい。パフォーマンスマーケティングやプロダクトキャンペーン、四半期KPIは重要で、それぞれに明確な役割があるが、それだけでは長期的な情緒的つながりは生まれにくい。なぜなら、それらは本質的に「取引」や「可視性」「コンバージョン」を最適化するためにつくられているから。
一方で、ブランディングとは、人がそもそも “なぜその存在を気にかけるのか” をつくる行為なのだと思う。それは、アフィニティであり、記憶であり、アイデンティティであり、時間をかけて育まれる信じる力 (belief) である。そして、その信じる力はスイッチのようにオン·オフできるものではない。必要なのは、繰り返されるシグナルであり、一貫性であり、共有体験であり、 “単なるプロダクト以上の何か” が全体をつないでいる感覚である。つまり、ブランディングとは単発のキャンペーンというよりも、人々が情緒的に “属したい” と思えるエコシステムを育てていく営みに近い。
だからこそ、私にとってBrunsonの決断が興味深いのは、単に年棒を減らしたことではない。彼が、自分を取り巻く “より大きなシステム” に投資することの、目に見えない価値を理解していた点にある。その投資先は、単なる選手名簿ではなかった。ケミストリーであり、信頼であり、最終的にはKnicksというチームのアイデンティティそのものだった。カルチャーを取り巻く信じる力は、スプレッドシートだけでは生み出せない。何十年にもわたる情緒的アフィニティは、パフォーマンスマーケティングだけではつくれない。人、哲学、カルチャーの整合性が、長い時間をかけて積み重なることで、少しずつ複利のように育っていく。
最初は、誰もがその方向性を理解しないかも知れない。けれど、ある瞬間にすべてが噛み合い始めると、その影響は当初の投資を遥かに超えるものになる。そして最後には、街全体が叫び始める。“My mayor still Muslim, my bagel’s still Jewish, the Pope’s on our side — Knicks in five.”
Written by Ami Hirano, Director of Strategy
