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うつぶせになれるというたったそれだけのことで、こんなに自由なのか。出産直後の日記

二度目の産育休中。時間がないようで、ある。つまり、じっくり料理をしたり、腰を据えて大事な話をする時間はないのだけど、頭の中であれこれ考える時間は、案外ある。というより1日の大半が抱っこや授乳で手がふさがっているため、音声コンテンツを聞くか、思索に耽るかばかりをしている。

そういうこの春の日記🐤

4/26 (日) パフェを食べるなら、今

産後2日目の朝。産婦人科の病院で目が覚めた。正確には、目を開けて一瞬自分がどこにいるか分からず、夢の続きの古いパチンコ屋の残像が流れたあと(なんの夢?)ああ病院のベッドか、と納得した。

カーテンから漏れる光に顔が当たっていて、「しがいせん…」としかめつつ、思考停止でスマホを手に取りSNSを開くと、人気エッセイ作家さんの投稿を見かけた。

産休に入る前、わたしの頭の中はいつも7割くらい「仕事ができるようになりたい」が占めていた。「できるようになる」というのも、だいぶ抽象的だけど、とにもかくにも私は焦っていて、本を読むにしても仕事関連の本か、仕事に役立ちそうな記事を、と思っていた。

思っていただけで、実際には小説や歌集もちょこちょこ読んでいたけれど、それは私にとって生命活動に必須ではない、チョコやクッキーのような位置付けで、主食は常に仕事や経済の理解に役立つ情報であるべし…という、強迫観念めいた気持ちがあった。

今思えば、手っ取り早く仕事に役立てようと思って読むものは、実は気休めであることが多く、どちらかというと、サプリみたいなものなのかもしれないけれど、とにかく早く「できるように」なりたかった。

そんな状態にあって、多くの人がおすすめしているその作家さんのエッセイを読むというのは、もはや人気店を予約してパフェを食べに行くくらい贅沢なことのように思われ、「いつか、その時が来たら…」と大事にとってあった。

産休に入ってちょうど1ヶ月、おとおい第二子が無事に産まれた。二度目の出産だからといって、妊娠期間〜分娩にいたるまで、何一つ慣れて簡単になった、ということはなく、すべてちゃんと大変だった。

病院のベッドの上でゴロゴロしつつ、退院後の寝不足×24h育児マラソン生活を想像する。

パフェを食べるなら、今だ。

いったんそう思うと、気持ちは止まらない。スマホの上で素早く親指を動かし、しっかり覚えていたエッセイの名前を打ち込み、電子書籍を探した。

ベッドでまどろみながら本を読むのに最も快適な姿勢をとるため、ぐるんっとうつぶせになろうとして、はたと止まった。

一体、いつぶりのうつぶせなんだ。一昨日まで、はち切れんばかりの大玉スイカのようなお腹を抱えていたので、うつぶせどころか、仰向けになるのも一苦労だった。

おそるおそる、肘をついて、お腹をベッドにつけてみる。赤ちゃんが出て行ったあとに残された、張りを失ったお腹。特に痛いとか苦しいということもなく、スマホをいじるのにぴったりなポジションに四肢がおさまった。

このまま突っ伏してもいいし、横にゴロンっと、アシカのようなポーズにすらなることもできる🦭

うつぶせになれるというたったそれだけのことで、こんなに自由なのか。

開放感と、寝起きの気怠さの両方に包まれている間、ものの数秒でエッセイのDLは完了していた。

出産お疲れ様でした、自分。パフェはすぐそこ。


4/27 月 お達者で


早くも明日退院。昨日、うつぶせの自由に感動していたというのに、今朝はパンパンに張った胸の痛みで目が覚めた。ホルモンの働きぶりには畏れいる。私が怠けている間にもしっかり母乳を作り出していたのネ…

おかげで胸の張りが辛過ぎて、またもやうつぶせできない身体になった。うつぶせの自由、束の間すぎる。

産院というのは不思議なところで、その時たまたま出産日が近かった女性たちが、数日間だけともに同じ施設に宿泊し、入れ替わり立ち替わりしていく。

今回お世話になったところは、ベッドは個室だけど、食事は食堂でみんなでとるスタイル。最初は、産後の無防備な姿・頭・メンタルで、他人と食事を共にするなんて…と思っていた。

でも、全員がすっぴんパジャマで、基本疲労困憊である、という状況もなかなかなく、無防備さゆえに、会話も誰かがマウントをとったり、頭をフル回転させる内容になることもなかった。

取り繕わずポツポツと話したり、あるいは話さなかったりする時間が流れ、段々と食事が心地よい時間になっていった。

2日前に新参者だった私も、今日は「そこのネームプレートを好きな席に置いて食べるんですよ」などと先輩風なことを言っているからおもしろい。

そんなタイミングで、明日はもう退院。

この二度目の出産を振り返る時、あのときの彼女たちは達者だろうか…と思いを馳せるんだろうなあ。たった数日すっぴんを晒しただけの仲なのに、全員の幸福を願わずにはいられない。

4/28 火 メタ神経質

無事退院。雨の予報だったのに晴れていて、春らしい明るい朝。病室の窓から見えた空を「死ぬ時の走馬灯フォルダ」に保存した。

家には強力な助っ人としてお義母さんが来てくれており、今後2週間家事や上の子の育児をサポートしてくれる。

既に夫から、部屋のどこに何があるか等々、申し送りがなされているので、わたしはただただ「ありがたや」という面持ちで椅子に座り、まずはお義母さんの作ったチャーハンをいただいた。

病院のごはんも大変美味しかったけど、やはり自宅で食べるのは落ち着くし、そのファーストバイト(?)がチャーハンというのは、とてもしっくりきた。んまい。

向かいで同じくチャーハンを食べていたお義母さんから「赤ちゃん、環境が変わったのに泣かずに偉いねえ。きっと、神経質じゃないのね。はなちゃんは神経質な方?」と聞かれ、少し驚いた。

これまでの30数年間、自分が神経質とは対極の側にいる人間だと自認してきたし、それは周りの人にとっても、火を見るより明らかなことだろうと思ってきたのだった。

ましてや、私が普段生活している家の中をあちこち見たお義母さんにとって、私が、よくいえばおおらか、あけすけにいえば大雑把である、ということは既に伝わったものだろうと思っていた。

だから、神経質かどうか聞かれ、反射的に「まったく神経質とは無縁であります!」と答えたものの、「ほんとうに神経質じゃないのだろうか」「案外周りからすると神経質なのだろうか」「というか神経質ってどのあたりから神経質?」と、ぐるぐる考えてしまった。

例えば、冷蔵庫に賞味期限の切れたものはたくさん入ってるけど、白ゴマの定位置は決めている。これは神経質なのか…?

例えば、我が家のタオルは、買い替えのタイミングが分からず、9割くらいがパッサパサで薄くなっている。使えるし、よく吸水するし、古さがあまり気にならない。でも、タオルを収納するときに「わ」の向きが揃っていないと、ちょっと嫌だ。これは神経質なのか…

と、その日は一日中「わたしは神経質なのか」という問い自体に、神経質になってしまった。

答えは出なかった。

4/29 水・祝 攻撃の反対はハグ

病院から退院し、赤ちゃんと初めて一緒に夜を越した。睡眠不足の生活、ふたたびスタート。

夜、1歳8ヶ月の長男と戯れる。これまで我が家で赤ちゃんといえば長男のことを指していたのに、急にそのポジションは取って代わられた。

1歳8ヶ月なりに、この変化と折り合いをつけていこうとしている様子が見て取れる。

私のお腹が明らかに大きくなってきた頃から、思い通りに事が運ばないときや、特になんでもない時さえも、親を叩こうとしたり、ものを乱暴に放り投げるような行動があった。

今日も、楽しく遊んでいたところに「歯磨きしよう」と水を差されたのが気に食わなかったのか、遊び道具にしているラップの芯で私を叩いてきた。(これがなかなか痛い)

とっさにドスの効いた声で制しそうになるけど、寂しそうな虚な目を見て、思い直す。

こちらが大人なのでぐっとこらえて、「ぺちんしたくなったら、代わりにぎゅー、しようね」と、むちむちの身体をむぎゅむぎゅして戯れていると、近くで聞いていた夫がボソリと

「攻撃の反対は、ハグかもね」とつぶやいた。

え、名言すぎ…とおもって夫を振り返ると、信じられないくらいのドヤ顔と目が合った。

つづく

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