縦書きと横書きは異なる読書体験である
「縦書きと横書きは、文字の向きが違うだけである」
この様に思っている人が多いのではないか。しかし、縦書き文章と横書き文章で、その読む感覚が違う、という体験をしたことがある人も多いはずだ。
実は、縦書きと横書きは、読者にとってまったく異なる読書体験なのである。
それは、眼球運動が違う、ということなのである。これは当たり前のようでいて、実は根本的な違いを生んでいる。
人が文章を読むときの眼球運動は、横書きでは左右方向が中心となり、縦書きでは上下方向が中心となる。
神経学では、水平方向と垂直方向の眼球運動は、一部異なる神経回路によって制御されていることが知られている。
この違いは、小さなことではない。
水平方向の視線移動は、私たちが日常的に周囲を探索するときの動きに近い。林の中で獲物を探すときも、道路を歩いて周囲を確認するときも、基本的に視線は左右へ走る。情報を集めるための運動である。
一方、縦方向の視線移動は、一つの対象を見つめる動きに近い。滝を眺める。雨を目で追う。一本の木を見上げ、見下ろす。探索というより、観察である。
そもそも人間の目は横に二つ並んでいる。このことからも分かる通り、水平方向の視野のほうが生きるためには必要だということである。したがって、ふつう、水平方向のほうが、垂直方向よりも眼球の運動速度が早い。
だからこそ、横書き文章を読むのは、早く、情報を追いやすい。縦書き文章を読むときは遅く、文章を味わいやすい、という感覚が生まれてくる。
このように、両者は異なる体験なのだ、ということになってくると、たとえば横書きのWeb小説を、そのまま縦書きの書籍へ流し込めば、本来の持ち味が失われてしまうことは当然である。
書籍化に当たって縦書きに変更し、さらには空白行を詰めたり、行間を詰めたりすれば、それはもはや別の作品なのであって、作者がそもそも意図した効果は失われてしまっている。
横書きで効果的なテンポが、そのまま縦書きで美しく響くとは限らない。
つまり、縦書きと横書きでは、美しいと感じる文章そのものがちがうのである。
言葉選び、一文の長さ、語尾の響き、文章全体のリズム。それらは、作者がどのような読書体験を想定して書いているかによって、少しずつ姿を変える。
したがって、縦書きで読まれることを前提とする作品であれば、執筆の段階から縦書きで書いたほうが、作品全体の呼吸は自然になるだろう。
最終的に句読点の位置くらいは修正できても、言葉選びの感覚までは直せない。
音楽制作にたとえるなら、マスタリングだけで解決できる問題と、そもそもはじめから変えないと解決できない問題との違いである。楽器やメロディはマスタリングでは変えられない。
私たちは、つい「文章」だけを見てしまう。
しかし、読書とは、文章だけではない。
目の動き、読む速度、頭の中の声、句読点による呼吸、改行による間。そのすべてを含めて、「読書体験」なのである。
縦書きと横書きは、同じ作品の異なるレイアウトではない。演出が違うのである。同じ脚本でも監督が違えば別の作品になるだろう。同じ楽譜でも指揮者が違えばかなり変わる。縦書きか横書きか、というのはそのくらい大きな違いなのである。
