奇祭
国境の港町は陽炎の中にあった。
オンボロの路線バスから降りるやいなや、塩気を含んだ熱風が体にまとわりついた。蒸し暑さには慣れているはずの地元住民たちも、その肌に大粒の汗を浮かべていた。少し離れたところからでも、彼らの額に浮かんだ汗の粒を確認することができた。水滴がみるみるうちに浅黒い顔に浮かび、頬をつうと流れていく。黄色く細かい砂が積もった地面にぽたりと落ち、小さなシミを作ると、たちまち蒸発していく。私はその様子をぼんやりと眺めた。その光景はまるで映画の一場面のように、ゆっくりと流れていった。現実感を失うほどの湿気だった。
時刻は正午。雲一つない青空のてっぺんから、太陽は容赦なく光と熱を降り注いでいる。バスターミナルの隅で、まずは何をしたらいいのか、私はぼんやりとした頭で考えた。予約していたゲストハウスに行くべきか、それとも昼食を取るべきか。
まずは腹ごしらえをすることにした。バスターミナル近くの大衆食堂に入り、薄汚れたプラスチックの椅子に座る。手の指で器用に食事をとる男たちを横目に見ながら、彼らと同じものを頼む。
まもなく、生まれたばかりの赤ん坊をすっぽりと包めるほど大きなバナナの葉が私の前に敷かれた。濃い緑色の表面に水を垂らし、それを手のひらで薄く伸ばす。その上に大量の白米と、スパイスで煮込んだ魚が載せられる。滝のように汗を垂らしながら、ぶっかけ飯をかき込み、卓上のピッチャーに入ったぬるい水を胃袋に流し込む。煮沸した水道水を使っているのか、水は微かに泥臭い味がした。当然室内に冷房はなく、天井のファンが重たい熱風を怠惰にかき混ぜていた。
集落を目指して、海の方へ伸びる幅広の一本道を歩く。足元のアスファルトから熱が放射され、遠くの景色が幻のように揺らいで見えた。そのまま私の体も溶けていってしまいそうで、頭の奥が微かに痛んだ。
とにかく湿度が高かった。水を含んだタオルを口に押し付けられているような息苦しさを感じた。大きく息を吸うと、熱く湿った空気が肺を満たした。全身の汗腺がたちまち開き、体内の水分が枯渇していくのを実感した。
赤黒く日焼けした男たちは木陰に腰掛け、女たちは海産物の入った大ダライを頭の上に載せて行き交う。すっかり港町の風情だった。外国人が訪れることはめったにないのだろう。村人たちは興味深そうに異国人の私を見やる。しかし、声をかけることもせず、窪んだ瞳をじっと私に向け、私の一挙手一投足を見守っていた。
一本道の突き当たりには、この町を象徴する大きな寺院が建っている。そしてこの大寺院が、何の変哲もない辺境の港町を聖地たらしめ、国中から巡礼者が押し寄せるのだった。門前町に近づくにつれ、通りは賑わいを見せ始めた。沿道に駄菓子や射的などの屋台が並び、子どもたちが元気に駆け回る。私がカメラを構えると、少年たちは剽軽なポーズで写りたがった。少年たちが動くたび、足元で静かに砂埃が上がった。
寺院の周りには赤を基調にした鮮やかで幾何学模様の幔幕が張られ、山車のようなものが外に準備されていた。私が訪れたのは、ちょうど祭りの期間だったようだ。聖地としてあがめられている国境の町で、何か祭事が見られるかもしれない。私はその僥倖を喜んだ。
海沿いのゲストハウスで荷物を下ろすと、次の町へ移動する列車の時刻表を確認するため、鉄道駅へ向かった。その駅は各線の終着駅であるはずなのに、ターミナルとは思えないほど小さな駅舎だった。開放的な造りの構内にはさわやかな海風が通り抜け、ひんやりとしたタイルの上に布を敷いて寝ている人が何人かいた。
窓口で必要な情報を聞き出して外に出ると、遠くから鉦や太鼓の音が聞こえてきた。祭りの行列がやってくるのかもしれない。音の鳴る方へ足を向けると、果たして老若男女の集団が連れ立って歩いて来るところだった。各々が手元の鳴り物を打ち鳴らし、陽気な若者たちは小刻みにステップを踏みながら、行列は私の前を過ぎてゆく。日本の神輿や山車を彷彿とさせるような、軽快で懐かしみのある音色だった。
信仰心の篤い地域を旅すれば、どこででも見ることができるような祭りの行列だ。しかしそのとき、一瞬だけ私は異様なものを視界にとらえた。顔のあたりに長い鉄の棒を携えた人が歩いて来るのだ。はじめは、棒状のものを顔のあたりに掲げているのかと思った。しかし、よく見ると違っていた。私は目の錯覚を疑った。行列の先頭を歩く人間の両頬を、槍のようなものが貫いていたのだ。槍の長さは、成人男性が両手を広げたよりも長く、綱渡り師がバランスを取る時に持っている棒に似ている。棒の太さは、人体を貫通しているにしては太く、一生傷跡が残ってしまうのではないか、と心配になるほどだった。
私はあまりの光景に言葉を失い、茫然として目の前で行列を見送った。現実味を失うほどのこの蒸し暑さが、私に冗談を見せているのではないかと勘ぐってしまわずにはいられなかった。
衝撃の光景を頭の中で反芻しながら、海に向かって歩き始めると、私はこれが冗談でないことを思い知るのだった。注意して周りを見れば、この異様な行列はそこここの路地に現れ、例の状態で町を練り歩いている人が何人もいた。どういう基準で人選されているのかは分からないが、年齢はまちまちで、女性の姿も一人だけ見かけた。彼らは一様に目がうつろで、意識が朦朧としている。周りの人間が太ももや肩を揉んでサポートしたり、水を飲ませたりしているのだが、棒が両頬に刺さった状態で水など飲めるわけがないのだ。口に注がれた水は、あごを伝ってむなしく地面に流れ落ちる。地面にできた黒いシミは、すぐに蒸発した。
棒を貫かれている人、あるいは彼らをサポートしている人たちは、一体どのような心境でこの祭事に臨んでいるのだろうか。この町の祭事には、なぜここまでの苦行が必要なのだろうか。彼らは一体何に祈りを捧げているのだろうか。その上位の存在は、本当にこのような苦行を喜んでいるのだろうか。私の脳内にいくつもの疑問が渦を巻く。
祭りは夜になると賑わいを増す。
日が暮れる頃、寺院の方向へ足を運ぶ。町中の全ての人が集まっているのではないかと思うほど、幾重にも人垣ができていた。人々の話し声がざわめきとなって空へ昇っていく。私は人の波を掻き分けるように、通りの中心へ進む。祭りの熱気は最高潮に達していた。
ちょうど寺院の入り口の前だった。一人の若い男が、山車に乗せられた十字架のようなものにその痩せた体を縛られていた。両手を広げ、両足を閉じた状態で木に縛られ、まるでキリストの磔刑を再現しているかのようだった。彼の両側には、同じくらいの年恰好の男が数人いて、暴れる生贄を必死に宥めていた。体操選手や野球のピッチャーが手につけるような白い粉を、暴れる男の両頬に乱暴に塗りたくる。その粉には何か神経に働きかける作用があるのか、十字架の男の挙動は徐々に緩慢になっていった。あるいは、自らの運命を観念したのかもしれなかった。
そして周りの男たちによって、彼の頬にも太い槍が貫かれたのだった。それはいとも容易く、あっという間の出来事だった。
当事者だけでなく、聴衆の中にも正気を失っているのではないかと思える人が大勢いた。会場全体が異様な熱気に包まれ、誰も彼もがトランス状態だった。異国の奇祭は間違いなくクライマックスを迎えていた。私はその中で一種醒めたような感覚がありつつ、その一方で得体の知れぬ興奮に包まれていた。会場全体には人々の狂気が生み出した熱狂が昇華し、あるいは何か良くない成分が充満していたのかもしれない。私の精神も高揚していた。
その後、彼がどうなったのか私は知らない。わけも分からぬまま、いつの間にか私はゲストハウスに帰っていたのだった。
寝苦しい夜だった。エアコンのない小部屋で熱帯夜を凌ぐのは至難の業で、私はじっとりと汗ばんでいた。天井で小さなファンが回っていたが、それは気休めにしかならなかった。空気中の湿度がそのまま水滴になって皮膚にへばりついているようだった。
それに、あの光景だ。辺境の港町で繰り広げられる狂乱の奇祭を目の当たりにした私は混乱していた。混乱し、興奮状態にあった。しかし、体は疲労を感じていて、今すぐにでも意識が遠のいていきそうだった。
私は夢と現実の間を行き来していた。不意にドアの外が騒がしくなった。この国の人間は真夜中でも声をはばかるということをしない。おそらく隣室に宿泊している団体が、外から帰ってきて廊下で何か話しているのだろう。
半覚醒状態の頭で、私は奇妙な妄想にとらわれた。もしかしたら半島の住人たちが私を外に連れ出しに来たのかもしれない。この辺境の港町で、東洋人の私はいやでも目立つ。今にも安宿の薄いドアは蹴破られ、私は羽交い締めにされ、十字架にはりつけにされるのではないか。そして、白い粉を両頬に塗られ、そのまま左頬から槍を突き刺されるのではないか。
「この部屋に外国人がいるぞ。次はあいつの番だ」
そう言っているのが聞こえるじゃないか。逃げなきゃ。今すぐこの宿から、いや、この町から逃げなければ。でも、体が動かない。私の頭はしきりに警告音を鳴らしているが、体が言うことを聞かない。安宿のドアは薄く、頼りない。私は体をこわばらせた。ほら、今にもそのドアが蹴破られるぞ。覚悟はいいか。頬を貫かれる覚悟はできているか……。
夜明けの一時間前に目覚ましが鳴った。寝不足の体は重く、頭の奥がどんよりと重い。
軽く顔を洗って、ゲストハウスの外に出る。外はまるで夜明けの気配を感じられないほど深い闇だった。小さく街灯に照らされた路地を歩き、沐浴場へ向かう。相変わらず湿度は高いが、夜明け前の空気はひんやりとしていた。
薄暗い街灯の下で、何人かの巡礼者が話し込んでいる。お揃いのシャツを着て、黒い腰巻きを巻いた彼らのそばを通り過ぎる時、昨晩の滑稽な妄想を思い出した私は少し警戒したが、彼らは私を見向きもしなかった。
浜辺に三つのゲートが並び立つ沐浴場には、たくさんの巡礼客がいた。しかし、昨晩の狂乱が嘘のように平和だった。波の音に混じって人々の話し声が聞こえる。まるで全てが悪い夢だったかのように、穏やかな夜明け前だった。
私は露店で買った小さな紙コップのチャイをすすりながら、水平線に赤みが差すのを待った。けだるい体に、熱くて甘いスパイスティーが沁み渡った。
間もなく、漆黒だった海にかすかな彩りが与えられる。私は縁石に腰掛けて、人々の様子を見ていた。腰巻きを巻いた男たちが、鮮やかな民族衣装を着た女たちが、目覚めたばかりの海へ入っていく。胸の前に両手を合わせ、あるいはそれを空高く掲げ、何かに祈りを捧げる。静かに、熱心に、ひたむきに。波打ち際で戯れる人もいる。昨晩の狂気に満ちた祭典を反芻しながら、私はその平和な光景を漫然と眺めていた。
完全に太陽が町を照らすのを見届けてから、私は安宿に戻った。そして、そのままベッドに倒れ込み、寝落ちした感覚もないまま泥のように眠った。
再び目覚めたのは二時間後だった。体にかかる重力はすさまじく、頭には靄がかかっているようだった。寝汗を吸ったシャツが冷たく肌にへばりついていた。少し熱があるようだった。
冴え切らない頭で、私は次の町へ移動することに決めた。このままこの地にとどまっていたら、じわじわと生気が吸い取られてしまうような気がしたからだ。取り返しのつかなくなってしまう前に、私は重い体を引きずりながら町のはずれにあるバスターミナルへ歩いて行った。









