動けないのは、弱いからじゃない
プロローグ
「高卒なんて、今どき珍しいよね」
懇親会の席で、笑いながら言われた。
悪気はなかったと思う。
周りは理系の有名大学を出た人たちばかりだった。
話し方を聞いているだけで、頭の良さが伝わってくる。
みんな、いい人たちだった。
話題は、大学時代のことになった。
私には、それがない。
聞かれたらどうしよう、とドキドキしながら、
黙って笑顔で話を聞いていた。
いい人たちだから、責めることもできない。
だから、黙って我慢して、この時間をやり過ごすしかなかった。
でも私は、グラスの水を飲みながら、密かに悔しさを抱いていた。
振り返ると、私を動かしてきたのはいつも、悔しさだった。
その感覚を放置できなくて、
資格を取り、勉強し、書き続けてきた。
これは、モヤッとしたまま諦めなかった人間の記録です。
励ましは書いていません。
ただ、言語化しようとしました。
時間を少し、巻き戻させてほしい。
第1章「そのうち何とかなる、と思っていた」
10年前の私は、のんきだった。
仕事をして、遊んで、給料日を楽しみにして、
週末に何を食べるかを考えていた。
でも、心の奥に引っかかっていたことがある。
思い出すのは、東京への出張のときのことだ。
隣のテーブルのOLが、こう言っていた。
「高卒と一緒にしないでほしいよね」
見知らぬ他人の会話だった。
でも、ああ、そういうものなのか、と思った。
そういう目で見られてしまうんだ、と。
求人情報の学歴欄で感じていたことが、
日常会話の中にも、普通に存在していた。
仲のいい友人が、こう言ってくれたことがある。
「大卒の人たちと肩を並べて働いている高卒って、
むしろすごいと思えばいいんじゃない?」
素直に、嬉しかった。
でも、心の奥底では、コンプレックスが渦巻いていた。
言葉では受け止められても、
感情までは、簡単に書き換えられなかった。
わかっていた。でも、向き合えなかった。
正社員として安定して働けている。給料も出る。
その安心が、不安に蓋をしていた。
「そのうち何とかなる」は、楽観ではなく、先送りだった。
心理学では、これを「現状維持バイアス」と呼ぶ。
安定は人を守ることもあるが、気づきを遠ざけることもある。
そんな日々が、ゆっくりと終わっていった。
勤めていた会社の解散が、社内で話題になり始めた頃のことだ。
突然ではなかった。
でも、現実として受け止めるまでに時間がかかった。
空気が変わっていく中で、じわじわと実感が迫ってきた。
「このあと、どうしよう」
初めて自分の人生を、自分ごととして考え始めた。
転職するか、グループ会社に残るか。
選択肢を前に、頭をフル回転させた。
上司たちが心配して、面談を設けてくれた。
「どうするつもりですか」と聞かれても、
「んー、どうしましょうね。どっちでもいいんですけどー」
と答えていた。笑
本当はギリギリまで、答えを出さなかっただけだ。
表向きはのんびりしているように見えて、
内側では、静かに分析を続けていた。
この道に進んだら、どうなるのか。
それぞれの選択肢を、自分なりに検討した。
その中で浮かんできたのが、「学歴の壁」だった。
これを、打破することはできないのか。
そのアイデアが浮かんだ瞬間、
社会人でも通える大学を調べ始めた。
学費、勉強方法、時間の使い方。
情報を集めて、シミュレーションした。
学費は、案外安かった。
時間も、工夫次第でなんとかなりそうだった。
「いけるかもしれない」
そのとき、ふと思った。
振り回してきた会社を、今度は私が利用しよう。
グループ会社に残って、給料をもらいながら学ぶ。
次にこういう機会が来たとき、
ちゃんと動けるように、準備しよう。
どうしても引っかかっていた「学歴」のコンプレックス。
これを解消するなら、今しかない。
そう決めて、通信制の短大に入学した。
しんどかった。休日はレポートに費やした。
それでも少しずつ、前に進んでいる感覚があった。
そんな中で、心理学と出会った。
「こんなことが、言語化されているんだ」
初めてテキストを開いたとき、素直にそう思った。
人の感情や行動に、名前がついている。
「なんとなく」と思っていたことが、
ちゃんと言葉になっている。
そのことが、ひどく新鮮だった。
面白い、と思った。
そしてやがて、こう思うようになった。
「心理学は、人を助けられるかもしれない」
でも、その時は家のことがあった。
その先へ進む余裕は、なかった。
だから、その気持ちは心の奥にしまった。
しまったまま、しばらく忘れていた。
転機になったのは、スクーリングだった。
自分の親と同じくらいの年齢の方々が、真剣に学んでいる姿が目に焼きついた。
弱音を吐いていられない、と思った。
誰かの姿が、自分を動かすことがある。
短大の卒業が決まった頃、母が入院した。
仕事が終わると、毎日母の病院へ向かった。
その後買い物をして、帰宅して夕飯を作る。
父の3食分の食事も作り、洗濯をする。
朝は早く起きて家事をこなしてから、出社する。
余裕など、なかった。
気づいたら、1ヶ月で3kgも痩せていた。
暇を見つけては、ただ眠った。
自分では気づいていなかった。
体の方が先に、限界を知らせていた。
母の病気が落ち着いた頃、通信制大学への編入を決めた。
立ち止まるより、動いていた方が自分らしかった。
ところが、大学の勉強を始めて間もなく、今度は父が要介護になった。
仕事をして、介護をして、レポートを書いた。
一息つくたびに、次がやってきた。
家族が協力してくれた。
兄弟と相談しながら、病院の対応を分担した。
看護休暇も介護休暇も、フルに使った。
それでも、父も母も病気を抱えていたから、
病院が重なることもあった。
父の食事制限は、かなり厳しかった。
つくりだめをして、できるだけ効率よく準備した。
でも、手を動かしながらいつも思っていた。
食べたいものを、食べさせてあげられない。
年齢を重ねると、美味しいものを食べることが
楽しみになる方も多い。
なのに父は、食べたいものが食べられない。
申し訳ない、という気持ちと、
可哀想だな、という気持ちが、
頭の片隅からなくならなかった。
常に疲れていたから、しっかり休んでいた。
この状況でも立ち止まるという選択肢は無かった。
考える余裕もなかった。
介護が長くなるにつれ、父の状態は少しずつ変わっていった。
いつかは来る、とわかっていた。
頭のどこかで、ずっとその日のことを考えていた。
そして、父が逝った。
それでも、突然やってきた。
その朝だけは、何も考えられなかった。
お葬式が終わるまでは、しっかりしなければと思っていた。
母を支えなければ、と。
だから泣かなかった。泣けなかった。
でも、ふとした瞬間に、涙が溢れた。
誰もいない部屋で、急に。
自分でも気づかないうちに、泣いていた。
悲しいのか、疲れているのか、
それすらよくわからなかった。
消耗しきっていた。
時間を見つけては、ただ眠った。
眠ることしか、できなかった。
ただ、何かが終わった、という感覚だけがあった。
相続手続きが終わり、訪れた静かな週末。
ぼんやりとした時間の中で、ふと思った。
「このままでいいのだろうか」
そんな時に得た、キャリアコンサルタントとの相談の機会。
「今後の将来を考えると、何かしたい。
でも、何がしたいのかわからなくて」
そんな漠然とした悩みを話した。
大学で学んだ心理学が楽しかったこと。
自分のこれまでのこと。
気づけば、たくさん話していた。
「話を聞く態度が、キャリアコンサルタントに向いていると思います」
その一言に、つい乗ってしまった。笑
自分では気づいていなかった強みを、
他者の目が見つけてくれた。
それもまた、言語化の力だと思う。
キャリア理論の「計画された偶発性理論」という考え方がある。
キャリアの転機の多くは、綿密な計画からではなく、
偶然の出会いや予期せぬ一言から生まれる。
大事なのは、その偶然に気づき、乗っかれるかどうかだ。
「このままでいいのかな」と問い続けていたから、あの一言が届いた。
何も感じていなければ、聞き流していたかもしれない。
もう一度、動いてみようと思った。
キャリアコンサルタントの勉強を、始めた。
正直、自信がなかった。
高卒から大卒になった。
肩書きとしては、変わった。
でも、心の奥底は以前の自分のままだった。
一緒に学ぶ仲間たちが、みんな「すごい人」に見えた。
自分だけが、場違いな気がした。
それでも、できることはあった。
コツコツと、粘り強くやること。
それだけは、誰にも負けない自信があった。
毎日、キャリアコンサルタントの勉強と向き合った。
仕事が終わっても、休日も。
テキストを開き、問題を解き、また開いた。
派手さはなかった。
でも、続けることだけは、やめなかった。
第2章「忙しいのに、前に進んでいない気がする」
キャリアコンサルタントの勉強を始めて、変わったことがある。
自分の感情に、名前がつけられるようになった。
「なんとなく焦っている」ではなく、「自己効力感が下がっている」。
「なんとなくしんどい」ではなく、「役割過多による慢性的な疲弊」。
感情に言葉が与えられると、少し楽になる。
私はこれを「ひとりキャリコン」と呼んでいる。
始めたのは、勉強中だった。
内省を深める練習として。
もともと、私はあまり悩まない方だ。
悩む前に下調べをして、情報を集めて整理する。
それが自分のやり方だった。
でも、そこに「感情」を加えるようになった。
情報だけでなく、自分がどう感じているのか。
何を大切にしているのか。
何が引っかかっているのか。
自分の意思を深掘りすることで、
判断に、これまで以上の納得感が生まれた。
「これでいい」ではなく、「これがいい」と思える。
その違いは、思っていたより大きかった。
そして気づいたら、自分自身に素直になれていた。
異動でストレスが吹き飛んだことも、
きっと関係していると思う。
重しが取れたことで、
自分の感情がよく見えるようになった。
それでも、日常は変わらなかった。
達成感がない。
壁があって進められない。
前に進め、と言われる。
でも、進もうとすると、止められる。
周囲の意見はコロコロ変わり、
理想と現実が、全く噛み合わない。
さらに振り回される日々が重なって、
「どうしたらいいんだ」という疲労感だけが積み上がっていく。
板挟みにあって、もがくことすらできなくなっていた。
知識だけではどうにもならなかった。
「なんのために、これをやっているんだろう」
そう思った瞬間が、一度や二度ではなかった。
「私はここにいていいのだろうか」
その問いが戻ってきた頃、異動の話が来た。
衝撃で、頭が真っ白になった。
でも次の瞬間、一番最初に浮かんだのは
「やっと解放される」という言葉だった。
そのとき気づいた。
試験を目前に控え、プレッシャーで押し潰されそうになっていた。
仕事のストレスも、積み重なっていた。
なのに、それを「しんどい」と認識すらできていなかった。
ああ、私はこんなに追い詰められていたんだ。
他の人の感覚を言葉にしようとしていた私が、
自分の限界に、気づいていなかった。
「内側の消耗」は見えにくい。
しんどさを口にすること自体がはばかられる環境では、なおさらだ。
気づけなかったのは、弱かったからではない。
気づく間もなく、消耗していたからだ。
そして、異動が決まった。
複雑な気持ちを抱えながら、新しい場所へと踏み出した。
第3章「それでも、私は内側を見ていた」
異動先での私は、必死だった。
かねてより希望していた職種だった。
叶うとは思っていなかったから、
あれだけのストレスが一気に吹き飛んだのかもしれない。
嬉しかった。
でも、文化も、働き方も、常識も、全部違った。
しかも「歳を重ねた新人」は新卒の新人とは違う。
役割も責任も、最初から一定のものを求められる。
思っていたより、ずっと大変だった。
新人と同じ資料を読んだ。
手順書を読み、わからない用語は教えてもらった。
年齢は関係なかった。
誰でも、教えてくれる人に頼るしかなかった。
恥だとは思わなかった。
わからないことをわからないままにする方が、
よほど怖かった。
高卒というコンプレックスを抱えながら、
40代で学び直してきた私には、
「また一から始める」ことへの抵抗が
いつの間にか、なくなっていた。
つまづいてきた経験が、こんなところで活きていた。
扱いづらいと思われないように。
少しでも早く、戦力になれるように。
ただ、それだけを考えて動いていた。
頭の中は、不安でいっぱいだった。
いつになったら、戦力になれるのだろう。
足手まといだと思われていないだろうか。
こんなことも知らないの、と思われているだろうか。
説明を聞いても、さっぱりわからない。
いつか、わかるようになるのだろうか。
でも、この職場には助けてくれる人がいた。
わからないことを聞くと、ちゃんと答えてくれる。
大変そうにしていると、気にかけてくれる。
可能であれば、手を貸してくれる。
それがどれだけ、心強かったか。
これまでどちらかといえば、単独で動くことが多かった。
誰かに頼ることが、当たり前ではなかった。
だからこそ、この職場の温かさが新鮮だった。
助けてもらいながら、少しずつ前に進んだ。
不安は消えなかった。
でも、一人じゃなかった。
必死の日々の中で気づいたことがある。
そんなある日、「これか!」と思う瞬間があった。
知識としては知っていた。
でも、実務を通じて初めて腑に落ちた。
目の前が、開けるような感覚だった。
知っているのと、わかるのは、違う。
わかるのと、使えるのも、また違う。
その隔たりを埋めるのは、多くの場合、経験だ。
異動という予期せぬ回り道が、点と点をつなぎ、線にしてくれた。
理解が深まると、説明できるようになった。
同じ部署の人たちの業務が大変なのはわかっていた。
でも、何がそれほど大変なのか、
腑に落ちて初めて、本当の意味でわかった。
わかると、自分にできることを探すようになった。
結果として、仕事は増えた。
忙しくなった。
大変になった。
前の部署では残業もほとんどなかったのに、
今は残業三昧だ。笑
でも、嫌ではなかった。
意味が見えると、しんどさの質が変わる。
忙しさは同じでも、
「なんのためにこれをやっているんだろう」という問いが、
頭に浮かばなくなっていた。
それを、体で知った。
視野が広がった。
つまづきながらも、確かに前に進んでいた。
そんな日々の中で、唯一変わらない時間があった。
お風呂に入って、ぼーっとする時間。
気づけばそこで、「ひとりキャリコン」をしていた。
最初の頃、こう思ったことがある。
「なんでこんなことを、私が」
でも、そこで止まらなかった。
なぜ「こんなこと」と思ったのか。
それは、その仕事への意義を見出せていないからじゃないか。
「この仕事は、何に繋がっている?」
「これがなかったら、どうなる?」
「誰かに届けるために、必要なことじゃないか」
問い続けるうちに、見えてきた。
「こんなこと」と思っていた仕事が、
実はとても大切な役割を担っていた。
愚痴は、「なんで」に変わる。
「なんで」は、内省に変わる。
内省は、意味を見つける力になる。
いつの間にか、癖になっていた。
資格でも、義務でもなく、ただ自然と、やっていた。
でも、これができない人が本当にたくさんいる。
気づく言葉を持っていないのだと思う。
感情に名前がつかないまま、愚痴のまま、毎日をやり過ごしている。
私にはわかる。
かつての私が、そうだったから。
キャリアコンサルタントの勉強をしていても、自分の限界に気づけなかったから。
感情は、放置すると消えない。
形を変えて、じわじわと蓄積していく。
気づくためには、言葉がいる。
エピローグ「転んだ分だけ、見えてくる」
私はまだ、途中にいる。
完璧なキャリアコンサルタントでもないし、
異動先での挑戦はまだ続いている。
自分のことが見えなくなる瞬間も、今もある。
でも、以前と違うことがある。
点だと思っていたものが、線になる瞬間を知っている。
悔しさを、放置しないでいられる。
転んできた分だけ、言葉にできるものがある。
キャリアは積み上げるものではなく、編集するもの。
点と点をつなぎ、意味を見出していくもの。
回り道も、転んだ跡も、全部、素材になる。
動きたくても、動けない。
そう感じている人に、伝えたいことがある。
動けないのは、弱いからではない。
多くの場合、自分が今どこにいるのかを、
言葉にできていないからだと思う。
でも一つ、聞いてみたいことがある。
自分に、言い訳をしていないだろうか。
止めることは、簡単だ。
始めることより、ずっと簡単だ。
でも、動けない人が「始める」ことは、
本当に大変なことだと思っている。
だからこそ、言い訳で止まってほしくない。
動けない理由を、考えたことがあるだろうか。
仕事、家庭、お金、勇気。
人によっては、複数の要因が絡まっていることもある。
どうしようもないこともある。それは、わかっている。
でも、その理由を言葉にしたとき、
本当にどうしようもないのか。
打開する努力や工夫を、考え尽くしただろうか。
「あの時動いていれば」と後悔しても、遅い。
いつでもやり直せる。
それは本当のことだ。
でも、さまざまな状況が絡まって、
動けなくなる日が来ることもある。
全て自己責任。
誰のせいでもない。
だからこそ、後悔してほしくない。
どうせなら、やって後悔したい。
私はずっと、そう思って生きてきた。
だって、今が一番若いのだから。
言葉にできないものは、扱えない。
でも、言葉になった瞬間、人は少しだけ、動ける。
私がnoteを書くのは、その言葉を一緒に探したいからだ。
励ましたいわけではない。
ただ、言葉にしたい。
転んできた人間にしか、書けないことがあると信じて。
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