lynch.「OBLIVION」
その音が鳴り響いた瞬間に、はっきりと胸がしめつけられた。嬉しさでありながらも、痛烈な痛み。
今から、12年前。2014年4月9日に発売されたアルバム『GALLOWS』に収録された曲、「OBLIVION」はライブでそう聴ける曲ではない。
リード曲でもなく、アルバムの8曲目という位置にある曲。そんなこの曲が私は最初に聴いたときから、好きだった。際立った派手さがある曲ではないのだが、幸せからは遠い物語と、せつなくも疾走感のあるサビの旋律は、孤独に音を身体に充満させて没入感に導いてくれる。また、「ロマンティックハレーション」という不思議な言葉選びも、聴く度にクセになり、何度もこの曲ばかり聴いてしまうほどお気に入りの曲となった。
私が最後にライブでこの曲が聴けた体感を記憶しているのは、2015年10月20日、HEAVEN’S ROCK さいたま新都心 VJ-3だ。このときは、2015年10月7日にリリースされたアルバム『D.A.R.K. -In the name of evil-』を引っ提げたツアーだったため、まさか、前年に発売されたアルバムから「OBLIVION」が演奏されるとは思わず、まっすぐに、聴けて嬉しい! という感情が込み上げていたことをよく覚えている。
このとき、会場には、lynch.を愛している男性の友人も来ていた。彼は周りの友人たちにまさにlynch.を「布教」していた。会場では別々に観ていたのだが、ライブが終わったあとに合流した。そのときに彼が開口一番にこう言った。
「『OBLIVION』を演ったから、きーちゃん!! って思っちゃったよ!!」
そう、私がこの曲が大好きだということは、彼だけに話していた。私は彼のその第一声が嬉しくて、「そうなんだよ! わあああああ!! と思っちゃったよ!!」と、喜びを言葉で返した。また、何よりこの日のライブが良かった。それについては、過去に連載していたウェブマガジン、アパートメントでも記述している。
その興奮のまま、二人で新宿で並んでラーメンを食べて、いつまでもlynch.の良さについて語った。ラーメン屋さんから出て歩いた、夜の路地裏の景色まではっきり覚えているくらい、本当に楽しい日だった。好きなバンドを語り、同じライブを見て、好きな曲について話せる。私が人生で好きな時間はこういう時だ。
その大切な友人は、2016年8月30日に突然、心臓の病で亡くなった。前日の夜には「明日は、lynch.のライブだね」とLINEで話していた。それが最後のやりとりだった。
2026年6月14日
lynch.、川崎CLUB CITTA'。この日は単発のワンマンライブ。SNSでは、セットリストはギターの悠介さんが考えたということが明かされていた。
ライブでは、最後に演奏されることが多い「ADORE」が1曲目だったところから、私がこの日のセットリストで感じたことは、イギリスのロックバンド、Coldplayのライブで経験した、全曲クライマックスのセットリストのような感触だった。
その中で、「MELT」から続けて「OBLIVION」が演奏された。「MELT」自体が、激しさから、すうっと、lynch.というバンドが奏でる音の世界に引き摺り込まれるような感覚になっていくので、その状態から「OBLIVION」のイントロのドラムが鳴った瞬間に、胸をしめつけられるどころか、あ、ダメだと思った。このまま、堕ちていくと。
恋焦がれるように好きな曲が、あまりにも久しぶりに聴けたのだから、そのまま陶酔すればいいものの、無心にはなれなかった。全く予想だにしていなかった曲がきたときの何が起きているのだというような動揺と私の頭の中での混乱が感情の文字になって、ずっと頭の中を駆け巡っていた。
lynch.のライブは、音が鳴った瞬間にぎゅっと心臓を掴まれたような気持ちになる。切なさと激情の入り混じった彼らの音楽は、余計なものを私から遮断する。
「知ってしまったら戻れない愉楽の世界へ。」【lynch.「EVOKE」(2015年8月5日リリース)】
そこからは、かつて自分が書いた上記の言葉のような感覚に。lynch.のライブは、自分の中で人生の大事なポイントになっているライブがいくつかあって。そのときのライブの最後の曲は、ほぼ、あの曲だが、これでその曲がきたら、とどめだな思っていたら、きた。
「A GLEAM IN EYE」。
この曲をライブで聴いて、泣かなかったことはない。1番最初に「A GLEAM IN EYE」をライブで聴いて、涙が出てきたのは、2011年6月1日の新宿歌舞伎町でのフリーライブ。
あの時。この曲が演奏されているときに、空を見上げたら、雨が降ってきて。それ以来、自分の中でのlynch.のエポックメイキングなライブのときにはいつも雨が降っている。
あれから、15年後の6月に、川崎CLUB CITTA'でのワンマンライブで、ダブルアンコールとしてこの夜を締めくくる曲として演奏された「A GLEAM IN EYE」を聴きながら、「あぁ今日は晴天だったのに、突然の大雨が降ったのはそういうことか」と思ってしまった。
ライブの帰り道、込み上げる涙が止まらなかった。その涙を止めたくなかった。周りから不審がられても、自分の感情を抑えることなく、泣きながら歩いた。音楽で動かされた自分の心を無かったことにしたくなかったからだ。
最近の私は、死者に対して、適切な距離を取れていると思っていた。
2016年に親友を亡くし、2020年に父を亡くし。大切な人がこんなにも早く旅立ってしまうのかということを、2026年に至るまで何度も経験した。慣れたわけではない。ただ、誰かが死んだときの自分の心の守り方を少しづつ身につけてきたのは事実だ。それ故に、彼らが旅立ってしまった「現実」に意識をフォーカスするようになっていた。
「OBLIVION」を聴いたときに、この世を去った友人の存在を強烈に感じた。「最近、僕のこと忘れてない?」と問いかけてくるかのように。
この地上から姿は無くとも、確実に私の、今を生きている人生にも、彼らは確かな繋がりを保っている。それは何年経っても、永遠に変わらないことなのだと、痛烈に感じた。「あなたが常に意識しなくても、僕らは必ずここにいるよ」と言われたような気持ちになった。
「OBLIVION」の言葉の意味を改めて調べたときに、はっとした。日本語に訳すと「忘却」、そして「無意識」。
記憶の中に、揺さぶられないように仕舞い込んでいた感情が、目の前で生きている人間たちが「OBLIVION」を奏でたことによって、一気に吹き出した。
同時に「好きなバンドを語り、同じライブを見て、好きな曲について話せる。私が人生で好きな時間はこういう時だ。」という、輝くばかりの悦びも呼び起こした。
止まらなかった涙は、何よりも「私」である感情の表れだった。
それは、愛しい痛みだった。
