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蘇我馬子は崇峻天皇、物部守屋は用明天皇、聖徳太子=イエスの母は推古天皇=聖母マリアの魂霊だった!

 先代旧事本紀をよく読み込むことで、天皇家の系図をかなり解析することができると説明してきました。記紀に登場する「物部氏の亦名」は限られているともいえますが、この手法で紐解くと、びっくりするような人物が天皇でもあったことが明らかになります。

 語りたいことは山盛りなのですが、本書は聖徳太子を主役としますので、前半戦はポイントを絞ってお伝えしていきます。以下の図表は先代旧事本紀の系図から天皇を中心として重要人物を抜き出してサマリーしたものです。先達の系図解析を加味すると、この系図も物部氏の後裔たちが意図をもって改編していることがわかりますが、ここは改めて別途とします。

 それでも記紀からではわからないことが多く示唆されています。物部氏の亦名で記されていますが、通説でいう尾張氏・丹波氏・安曇氏、そして蘇我氏と呼ばれる人物たちも含まれています。


先代旧事本紀 物部氏(天皇家)系図サマリー (筆者作成)

 

先代旧事本紀 全文訳 参考文献

ここにはとても多くの物部氏の亦名が記されているのです。


天日槍あめのひほこ(天日矛)命は物部出石心もののべいずしこころ大臣命の考昭こうしょう 天皇

 天日矛命は但馬故事記たじまこじきにて、自らを「安曇氏の祖・稲氷命の五世孫」だと名乗ります。記紀では崇神天皇や垂仁天皇の時代に朝鮮半島から渡来したと時期をずらして記されますが、第五代・考昭天皇です。神道集によれば、熊野三山を開いて活躍されました。安曇氏を出自とする天皇です。
 籠神社の先々代宮司は「饒速日命は天香語山命の5~6世代後に現れた」と語られますので、「饒速日命と同体」とする説も成立します。

 秀真伝(ホツマツタエ)では甲斐国の酒折宮で、自らの息子を何とか次の天皇(孝霊天皇)とするよう近親の氏族に要請しました。興味深いです。
 但馬国一宮「出石神社」の主祭神です。同神社の「八種神宝」は、物部氏の石上神宮に伝承される「十種神宝」の一部だと思います。

 灯鳥ママリさん(トト神)を世に知らしめた You Tuber 「天日矛」さんのご先祖様です。私ももちろん天日矛さんを応援しています。

但馬国一宮 出石神社(HPより)


石上神宮を創った物部伊香色雄もののべいかがしこお命は崇神すじん天皇

 
 本書は神武天皇と崇神天皇は全く異なる時代の異なる人物と比定します。

伊香色雄命は物部氏の中の物部氏です。石上神宮の創設者として歴史にその名を残します。系図解析によれば、天皇位が尾張氏系(孝元・開化)から物部氏系へと移行しました。何らかの政変があったのです。父は大彦命です。

 富士宮下文書で、崇神天皇は「三種神器」を富士王朝から一旦大和に移管して、新たに模倣品を鋳造製作して大和に納めました。富士山にいました。

 神道集では、崇神天皇と三人の皇子(長男・景行天皇、二男・丹波道主、三男・垂仁天皇)の物語を「甲賀三郎物語」として亦名で伝承しています。これは凄い物語です。
 垂仁天皇は諏訪の大神になりました。景行天皇は豊城入彦として毛野の二荒山神社で祀られます。おそらく垂仁天皇はチベットの「シャンバラ」まで行かれていました。やはり海峡国家だったのです。

石上神宮 七支刀 (HPより)


日本武尊やまとたける物部武諸隅もののべたけもろずみ連であり、百済の近肖古王きんしょうこおう(七支刀)だ!

 日本武尊(ヤマトタケル)は景行天皇の皇子ですので、男系では尾張氏になります。記紀では天皇とされることはありませんでした。しかし日本武尊は富士王朝にも乗り込んでいて、その皇女と御子を産んでいます。
 通説では伊吹山の神の祟りにより伊勢で非業の死をとげますが、記紀ではその魂霊は「白鳥となって飛んで行った」と記されています。
やはり鳥人族の神、トト神の分御魂、分魂、少なくとも眷属でしょう。

 同じく記紀では、後に仁徳天皇が日本武尊の墓を開けてみたら「そこには何もなかった」と記されています。日本武尊は亡くなられてはいなかったのです。聖徳太子と同じです。記紀では亡くなったことにして、海峡国家へと海を渡っていった先駆者は日本武尊でした。 

 日本武尊は百済の近肖古王です。百済史ではここでわずかに王統の変更があったことが記されています。元々から素戔嗚尊の後裔親族でしたので。
 秀真伝の最期で日本武尊は「自分は素戔嗚尊の後を継ぐ」という主旨の発言をしています。それは百済の王になるということだったのです。
皇子の仲哀天皇も同行させました。

新たに百済で製作した「七支刀」は物部氏の石上神宮に、そして従来からの「三種神器」の「草薙剣」は尾張氏の熱田神宮に伝えました。二つの氏族が将来ともども共栄できることを祈ったのでしょう。トト神らしいです。

大鳥大社 日本武尊像 (HPより)


仁徳にんとく天皇は物部五十琴宿禰もののべいことすくね連であり、高句麗の広開土王こうかいどおうだ!

 記紀における「応神天皇(履中天皇)と仁徳天皇の激突=皇位継承」は、三国史記と連動させてよく読み込むと凄まじいものがあります。
 応神天皇は仲哀天皇の弟、即ち日本武尊の息子(次男)だったのです。つまり男系でいえば尾張氏です。神功皇后の皇子ではありません。後に「八幡大菩薩」ともなって大和王権の守り神になります。

 この時代の三韓の歴史で大きな事績を残すのは「高句麗の広開土王」です。通説では高句麗の第19代王です。ここで「海峡国家」という大きな歴史的な視点から解析する必要があります。

 ここで日本の応神天皇と三韓の王者を争った高句麗の広開土王とは、記紀をよく読み込めば、そこに日本の天皇としての皇位継承を巡る争いが明確に記された仁徳天皇しかいない!と比定することができます。

中国 吉林省 広開土王碑 (Wikipedia)

 参考までに、神功皇后は仁徳天皇の妹・物部五十琴姫なのです。

 記紀では仁徳天皇の時代に、突然と、高句麗の軍隊が大和王権の都を親善訪問して、天皇の前で弓矢の試技を披露したことが記されています。違和感がないでしょうか? 一般的には高句麗は仮想敵国と考えられるでしょう。

 わかりました。違うのです。仁徳天皇は、応神天皇から后の一人を譲り受けた上で入婿し、大和の王(天皇)として皇位継承しました。高句麗の王は本来の王統(長寿王)に禅譲してきました。大和王権の都が高句麗の軍隊を静かに受け入れることは、この皇位継承が背景にあったのです。

 記紀に記された物語を三韓の歴史「三国史記」と重ね合わせながら読み解くと、もの凄い迫力をもった海峡国家の物語となります。機会あればまた。


物部尾輿もののべおこし欽明きんめい天皇で百済くだら聖明王せいめいおう(三韓の王者)、蘇我稲目そがいなめ宣化せんか天皇で新羅の真興王しんこうおうだ!

 百済の聖明王は日本に仏教を公伝した王として有名ですが、実は日本の欽明天皇と同体=物部尾輿だったのです。仏教導入に関して積極的だったのは兄である蘇我稲目(物部荒山連)でした。この兄弟はとても信頼関係が厚く仲が良かったのです。

三韓 国境の推移

 三韓も時代と共にその国境は変化します。
百済の聖明王(物部尾輿)は、高句麗の都まで軍隊で攻め込んで大勝利しました。三韓の王者と呼ぶに相応しい大王だったのです。
 そして高句麗の皇女を日本に連れてきて、兄・宣化天皇(蘇我稲目)の妃としました。この皇女、ペルシャあたりの出身でしょうか? ここが謎なのですが、蘇我馬子の母です。蘇我氏の血の原点はここにあります。

 蘇我稲目は、これまで大和王権の慣習だった百済の王には就任しませんでした。新羅の王=真興王として仏教導入のリーダーとなりました。この後に新羅から多くの仏像が大和王権に持ち込まれるのは、蘇我氏のリードによるものでした。蘇我馬子も神仏習合を強力に推進しました。

広隆寺 弥勒菩薩 半跏思惟像


蘇我馬子そがのうまこ物部石上贄古もののべいそのかみにえこ連(馬古うまこ連・恵佐古えさこ連)であり、崇峻すしゅん天皇&孝徳こうとく天皇だ!

 蘇我馬子の母は高句麗の皇女です。馬子は、やはり日本古代史において「化け物」や「怪物」と呼んでもよい存在だと思います。

 とても長生きしました。推古天皇を妃として全盛期を迎えました。
年老いてからもとても若い皇女を妃として娶りました。四人の妃がいます。年老いてからも精力絶倫でした。

 天皇として二回(崇峻天皇・孝徳天皇)即位しました。通説で崇峻天皇は蘇我馬子に殺されて葬儀もなかったとされますが、これも死んだことにして海峡国家を渡っていった(百済~新羅の真平王)ということです。

 新羅の王になりました。百済の最期の王(義慈王)にもなりました。
聖徳太子にはいろいろと世話になったのだと思います。
 しかし欽明天皇(物部尾輿)と同じく「三韓の王者」になるという夢を果たすことは遂にできませんでした。

 蘇我馬子は、物部氏の系図では欽明天皇の皇子として、物部石上贄古連という亦名を持ちます。敏達天皇、用明天皇(物部守屋)、推古天皇(布都姫夫人)と兄弟妹とされています。これも入婿の扱いです。

蘇我馬子の墓とされる 石舞台古墳


用明ようめい天皇は物部守屋もののべもりやで聖徳太子(イエス)の父ヨセフだ!

推古すいこ天皇は物部布都姫夫人もののべふつひめのおほとじで聖徳太子(イエス)の母マリアだ!そして宇迦乃御魂うかのみたま命の再来でもあった!


 ようやく聖徳太子に近づいてきました。この時代への繋がりの背景を理解するために、神武天皇以降の重要な人物について簡潔に説明してきました。古代史の研究はどうしても現代に近い時代からより古い時代へと一歩ずつ順番に解析していく傾向があります。しかしそれでは限界があり、より古い時代、すなわち超古代からの流れを土台とする必要があると痛感しています。

 既に長くなりましたので、次回以降に続きます。


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古代史には様々な見解があり、本書と本noteは筆者独自の考察になっていますので、その点はご注意ください。

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