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南アフリカで発達した耐地雷装甲車とは

2009年に月刊コンバットマガジンに寄稿した耐地雷装甲車に関する解説です。南アフリカが非対称戦向けに開発した耐地雷装甲車がアフガンやイラクの戦いで注目され、その技術が世界中に伝播しました。

対戦車地雷3個を直列にして敷設したものを強制爆破。地雷の爆発の激しさがわかるだろう。

 2009年当時イラクやアフガニスタンで行われている戦闘では米軍のMRAPを始めとして、多くの装輪式の耐地雷装甲車が各国の部隊で使用されている。これらの戦いはいわゆる非対称戦争であり、米国をはじめとする近代的な装備の正規軍部隊に対して、現地の武装勢力は地の利を活かしたゲリラ戦を挑んでいる。このような戦いで、武装勢力の有用な兵器が地雷やIEDである。

 元来、地雷は一定の地雷原を設定し、そこに敷設することによって、敵部隊(特に機械化あるいは機甲化された部隊)の進撃を阻むために対戦車地雷を敷設、その対戦車地雷の除去を妨害するために対人地雷も合わせて敷設する。あるいは小規模な拠点防御のために、その周辺に対人地雷を敷設するなどという使い方が主流であった。

 ところが戦後南部アフリカでは武装勢力やゲリラは地雷をまったく異なる使用法を用いた。南部アフリカでは60年代に多くの黒人国家が独立したが、ポルトガル領のアンゴラ、モザンビークなどは依然植民地であり、旧英領だった南アフリカやローデシアでは種差別を是とする白人政権が存在していた。これらに対して黒人武装勢力は国外に拠点を持ち、ソ連や中国、北朝鮮から物資の供給や訓練を受けて本国に浸透していった。

 これらのゲリラや武装勢力にとって地雷は極めて有用な兵器であった。火力、装備、兵力ともに貧弱な彼らが交戦すれば、例え待ち伏せをかけて先手をとっても、味方に被害がでるのは必定である。仮に人的な被害が無くとも貴重な弾薬を多量に消費する。

 ところが例えば夜中に敵のパトロールが通りそうな道路に地雷を仕掛けておけば、交戦する必要がない。地雷原を形成するではないから多量の地雷は必要ない。兵器、物資、人的資源に余裕のないゲリラにとってはうってつけの戦法である。

 このような地雷の使い方は大戦中にレジスタンスなども行ない、アフリカ南部での戦いが初めてではないが、彼らは徹底して地雷を活用した。敷設する際にも一個だけではなく、二個三個と直列に重ねたり、TNT火薬や砲弾などを組み合わせて威力を上げたり、ブービーとラップと組み合わせたり、今で言うIED的な使い方もおこなって、戦果の拡大を狙った。

 このような戦法は正規軍に一度に多大な損害は与えられないが、確実に損害と消耗を与えることができる。敵にしれみれば前線と後方の区別無く損害が発生するし、しかもそう簡単に防げないので将兵に対する精神的なプレッシャーが極めて大きい。しかも敵には一矢も酬えないという悔しさや無力感が募る。

 また人的被害も年間を通せば無視でないし、蝕雷による死者やけが人を後送する負担も決して少なくない。そもそもアフリカ南部では白人は黒人に対して少数派である。とろこがローデシアや南ア国防軍の将兵は主として白人兵からなっている。黒人には徴兵の義務はなかった。これは政府が黒人が兵器の扱いを覚えることを警戒したからである。

 将兵の損害は白人の人口減少にもつながるし、損害分の兵員の補充も楽ではない。無理して徴兵の枠を広げれば、産業界や経済活動にも大きな悪影響がでる。このため政府も軍も自軍の損害には極めて敏感であった。
しかもゲリラ達は軍だけではなく、民間人もターゲットにしていた。そもそも軍が通る道路は民間人も利用するわけだが、それ以外にも白人農家が経営する農場や集落の付近にも積極的に地雷が仕掛けられた。つまり地雷を使った軍民を問わないテロである。筆者はこれを「貧者の戦略爆撃」と呼んでいるが、七〇年代初頭からこのような地雷による攻撃が本格化した。深刻化する地雷の脅威に対して、南アやローデシアは共同で耐地雷戦委員会を設立し、耐地雷装甲車の開発や、道路や平地の効率よい地雷処理な方法など対抗策を講じるようになった。

 地雷の爆発は基本的に上部に指向し、その威力は地面から遠ざかるに従って急速に減退する。この特性を活かして様々なソリューションが検討され、耐地雷装甲車が開発されてきた。まず前後の車輪を出来るだけコンパートメントから離すという手段がある。これだと車輪部分は吹き飛ばされるが、被害はコンパートメントまでは及ばない。現在の耐地雷装甲車はコンパートメントの前にエンジンを搭載しているボンネット型が多いが、これはコンパートメントから少しでも前輪を離し、被害を局限するためである。

国営のメカム社(現デネル社メカム事業部)の試作した耐地雷装甲車の一つ。70~80年代にかけて多くの試作車輛が試作された。



 次いでV字型の底部である。これは舟形底部とも呼ばれる。車輛の底部が平たいと、蝕雷した際の爆発をもろに受けるが、底部に角度を付けると爆発と爆風を左右に逃がすことが出来る。先に述べたように地雷爆発エネルギーは距離が離れると大く減損するので、車体下部も、ある程度地面から離した方が爆発のエネルギーが減損し、被害を極小化できる。
このV字型をモノコック装甲と組み合わせると極めて高い耐地雷性を有する。V字型の底部はペイロードとしては事実上活用できないので、装甲車の車高はどうしても高くなる。

キャスパーの兵員室後部ドアを開けると、V字型の底部の様子がよくわかる。


対人地雷を踏んでも大丈夫なように、鉄製のタイアを装着したキャスパー。地雷処理などに使用される。



 被発見率と被弾率を下げるために装甲車輛は出来るだけ車高を低くするのが常道であり、車高が高いV字型構造をもった耐地雷装甲車はその分不利となる。だが、南部アフリカでは乾燥したサバンナや砂漠が多く、非常に見晴らしがいい。このため、車高が高い方が敵を早く発見できる。南アなどの装甲車は運転席は勿論、兵員室にも大型の防弾窓を採用しているが、高い車高と合わせて状況把握能力を高めるためである。通常であれば欠点とされた車高の高さを積極的に利点に変えたわけだ。これはPKOや停戦監視などの任務にも適していた。

 更には車体の外側にロールバーを装備することも行われた。蝕雷の際に横転しても、その被害を最小限に食いとめるためだ。だが、後年車体規模が大きくなり、車体に充分な強度が与えられ、ロールバーは次第に使われなくなっていった。

 当初のポーキィ、レオパルド、スピィーネコップといった耐地雷装甲車はかなり「普通」の装甲車輛と比べると異様というか、怪しげな形状をしていた。またアプローチの異なる装甲車輛が南アとローデシアで多数製造された。軍のみならず、民間でも車輛や農業トラクターに耐地雷構造や装甲が施されるようになった。現在では道路の地雷処理システムであるチャービーシステムの装甲車輛がこのような形を留めている。

チャービーシステムの先頭車輛、ミーアカットは初期の耐地雷装甲車同様、車体前方に前輪を配し、V字型の底部を持っている。

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