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一ヶ月の過酷な断食を体験して

今年も世界中のイスラム圏でラマダン(断食月)が始まった。私は2015年8 月までの2年間、JICAの外部専門家としてイラクに赴任しており、この間に一度断食に挑戦したことがある。

振り返ってみて、断食の経験から得たものは大きかったのでここでその様子を紹介したい。


ラマダンとはイスラム教の暦上の期間の名称である。イスラム教徒はこのラマダンの時期に断食することが義務付けられている。

イラク人の同僚によれば、現代のラマダンには食料が豊かでなかった時代のことを思い出して自分たちを戒め、また貧しい者たちの苦しみを知ることで慈悲の心を呼び覚ますという意義があるという。

ラマダンは一ヶ月間にも及ぶが、飲食が禁止されるのはこの間の日の出から日の入りの時間までである。逆に言えば、この時間以外は自由に飲食が許される。

日出と日没の時刻は時期や地域によって異なるが、私がいた7月のイラクでは日の出が朝3:15頃、日の入りが夕方7時半頃であった。日が出ている間は皆体力を使わないように気を使い、勤務時間を短縮する会社も多い。日が沈み、1日の断食が明けるとイフタールと呼ばれる食事が取られる。

イフタールとは特定の料理の名前ではなく、断食後に最初に食べる食事のことである。日沈直前のレストランはどこもイフタールを待ち侘びるお客様で満席になる。この時期は誰しも家族や友人と共にイフタールを楽しむのが風習のようだ。

日沈を知らせるアザーン(礼拝)の放送が街中に鳴り響くと、皆一斉に食事を開始する。半日以上待ちわびただけあって、どこのテーブルにも大量の食事が次々と運ばれ、通常の1日分以上の量になることも少なくない様子である。

一ヶ月も断食を続ければさぞダイエットに有効だろうと思われがちだが、このイフタールのために逆に太ってしまうという人も多いようだ。


ラマダン中の生活リズムは人によって異なるだろうが、私は食事を数回に分けて少量ずつ摂りたかったため、食事が許される19:30~03:15の時間を有効に使って1日2食を取るようにしていた。

夕方、仕事を終えて部屋に戻るとすぐに夕食の支度を始め、19:30の日没とともに料理を食べ始めた。なお最近は断食の解禁時間を知らせてくれる専用のスマートフォンアプリがあり便利である。夜8時過ぎ、夕食を取り終えるとすぐに就寝する。そして翌朝2時半頃に起床してすぐに朝食を取るのである。

問題は、この早起きが辛いだけでなく、起床後すぐにそれほどの量の食事を摂取できない点である。いろいろ試した結果、食欲増進のために香辛料の効いたカレーを作り置きしておけばそれなりの量を簡単に摂取できるとわかった。そして3:15の日の出直前に大量の水を飲んで1日に備えるのである。これを4週間続けた。

最初の数日間は空腹感が強く、面倒なことに手を出してしまったと思ったものだが、一週間も経つと身体が慣れてきたのか空腹感はさほど気にならなくなる。

それよりも私が辛かったのはコーヒーを飲めなかったことだ。私は仕事中に頻繁にコーヒーやチョコレートをつまむ習慣があるのだが、これが禁じられていることが意外と大きな心理的負担となった。

コーヒーを淹れるために席を立つという行為自体が気分転換になっていたのもこの時に初めて気づいた。断食中は当然ながらランチも取らず、トイレへ行く回数も減るため、会議がなければ1日を通して席を立つ理由が無くなるのである。

ところで、私が断食に挑戦しようと思ったのは、イラクの同僚たちがどのような気持ちで断食に挑んでいるのかを知りたかったからだ。ラマダン中は同僚らの体調や感情に特段の配慮が必要となるが、そのためにも断食がどれほど辛いのかを理解したいと思っていた。

また、イスラム行事の中で最も大変とされる断食を共にすることは彼らの文化を尊重する姿勢を示す最良の手段であるようにも思えた。


そんなこんなで一ヶ月の断食を耐え忍んだが、挑戦してよかったと思える。その理由は、まず、生活にリズムができたことだ。朝型に切り替わったおかげで始業前の時間を有効に活用できた。朝が弱い自分には断食がなければ朝方へ切り替えるきっかけなど永久にこなかっただろう。朝2時半の起床は辛いが、それ以上に朝食を抜く方が辛いので起床せざるを得なかった

次に、僅かにではあるが神様の存在を感じられたような気がした。断食中にはしばしば目にした食べ物をつまみたい誘惑に駆られることがある。こっそりとつまみ食いしたところで誰に責められるわけでもないのだが、誰かが自分の背中を見ているような気になるのである。おそらく今まで断食を貫いてきた自分自身が「ここまで頑張ってきたのにここで破ってしまうのか?」と問いかけていたのだと思うが、神様に見られるという感覚は案外このようなものなのかもしれないと思った。

そしてこれが一番大きな収穫であるが、ムスリムの同僚らとの絆が強まった。私が断食をしていると知ると例外なく全てのムスリムの方々が喜んでくれた。外国人が自分たちの文化を尊重しているという風に感じてもらえたのであろう。また、夏季のラマダンは日の出の時間が長いため特に過酷なものとして認識されており、これを共にやり遂げた達成感を共有できたことも嬉しかった。

私が尊敬する上司の言葉に、「仕事で来たからにはその国を好きにならねばならない」という言葉がある。プロフェショナリズムを感じさせるこの考え方が好きなのだが、現地の文化を尊重し、実際に体験してみるというのはその地に愛着を持つ有効な方法だと感じた。

一ヶ月間の断食は容易ではないが、その達成感は大きくまたムスリムの仲間との仲を深めることは間違いないので、今後イスラム圏で暮らす可能性がある方はぜひ一度挑戦してほしい。

※この記事は国際開発研究者協会の「SRIDジャーナル第11号」(2016年7月発行)の「徒然草」に寄稿したエッセイ「ラマダン断食から得られたもの 」を転記したものです

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