祈ることすら罪ならば 第3話
「今日からここが君の部屋ね。」
局長室から出た後、案内されたのは2LDKの広い部屋。
風呂トイレ別。最低限の家具も置いてある。
「一人暮らしには広すぎませんか?」
「そうかな?普通じゃない?もっと広い部屋もあるよ。」
ぐるりと部屋の中を見渡す。
普通じゃなくなった自分がこんな広い部屋に住むのはなんだか申し訳ない気がした。
「奴隷がこんな豊かな暮らししていいんですか?」
冗談っぽく笑えば、結が何言ってんだこいつとでも言いたげな顔でこちらを見ていた。
「国のために人生捧げるんだ。それに見合った報酬をもらって何が悪い。当然だろ?」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ。」
子どもがこんな広い部屋で一人暮らしをするのはどう考えても普通ではないと思うのだが…。
「これ、君用の新しい端末。運営委員会専用の端末なんだ。この部屋の鍵もこれに入ってるから。」
結から端末を受け取る。
「君が使ってた端末は使えなくなるから必要なデータは写しといてね。」
「あの、端末は家に置いてきちゃったんですけど…。」
端末を持ち歩いていない後ろめたさに恐る恐るそういえば結は不思議そうに首を傾げる。
「当たり前だろ?国民用の端末なんてうるさくて持ち歩いてられないよ。」
そう言われて実紀は初めて気づいた。受け取った端末はオルゴールが鳴っていない。
「あの端末は普通の人間を管理するための物だからね。特別な私達には必要ない物だよ。」
管理?確かに端末に送られてくる運営委員会の命令に従うのが境の国の普通だ。僕達はいつだって普通に縛られて生きてきた。
(これじゃどっちが奴隷かわからな…。)
「どうかしたの?」
難しい顔をして黙ってしまった実紀に結が優しく問いかける。
「わかってる。混乱してるんだよね。大丈夫。最初はみんなそうなんだ。君もすぐ慣れるよ。」
結の左手が実紀の頭を優しくなでた。
「君は今、普通の形が変わっていくのを見て戸惑ってる。わかるよ。自分の当たり前が崩れるのは怖いよね。」
結の声はどこまでも優しい。そしてどこか寂しそうだ。
結は実紀を通して過去の自分を見つめていた。五百年前の自分。当たり前の日常がいつまでも続くのだと愚かにも信じていた自分。
「ねぇ、実紀。」
「はい、先生。」
頭をなでていた手がそっと頬まで下りてくる。結の手が実紀の頬を優しくなでた。
「君はどうして私の特別を望んだの?私の特別を望んで何故無効化の咎が生まれる?」
「僕は…。」
あの時は咎に目覚めたばかりで混乱していたからあっさり言えたが、面と向かって言葉にするのは恐ろしかった。結に否定されるのが怖い。
「怒ったりしないから教えて。」
優しい声に促され覚悟を決める。
「僕は誰かの特別になりたかった。一人ぼっちになって寂しかったから。誰にも殺すことができないあなたを殺せたら、あなたの特別になれるんじゃないかって思ったんです。」
「そっか…。」
優しく笑っていた結の顔からすっと笑顔が消える。
「誰かの特別になりたいって感情は間違った感情じゃないと思うよ。一人ぼっちは辛いよね。寂しさは簡単に人を殺してしまう。」
結の声はとても寂しそうだった。
「先生はどうして不老不死を願ったんですか?」
「私の咎の属性は停滞。現状維持を望む者に現れる咎だ。」
結は左手に刻まれた烙印が藍色に光る。
「私ね兄弟がいるんだ。7人兄弟でね。血は繋がってないけどみんな私の大切な家族だ。家族全員不老不死で、私が一番最後に不老不死になったから、私が末っ子みたいなものかな。」
結は懐かしそうに目を細めた。
「私もね君と一緒。一人ぼっちになりたくなかったんだ。みんなが不老不死なのに自分だけ仲間外れにされるのが怖かった。」
結が実紀の目をまっすぐ見つめる。
「ねぇ、実紀。」
「はい、先生。」
「私一人ぼっちはいやなんだ。家族とずっと一緒が良かったんだ。」
「はい」
「だから不老不死にまでなったのに。結局バラバラになってしまった。一緒じゃなきゃ意味がないのに、死ねないし殺せないだろ?だから、この五百年我慢して生きてきたんだ。」
結は実紀の手を取って自身の心臓に実紀の手を当てる。
「ねえ実紀。殺してくれるかい?私と私の大切な家族を。」
実紀は息を呑む。
「殺せるだろうか?今まで普通の人生を歩んできた君に。」
物騒な話をしているというのに結の笑顔はとても優しい。
「私のために君は普通を捨てられる?」
考える暇もなく実紀の烙印が赤く光った。
「捨ててみせます。先生が僕を必要としてくれるなら。」
結の心臓の上で実紀の咎が燃えるように光っている。
「殺してみせます。あなたの特別になれるなら。」
その答えに結は幸せそうに笑った。
「そうか…。君が私を殺せるのなら、君は私の特別だ。」
それは思わず誰もが息を吞むようなとても美しい笑顔だった。
***
次の日。インターホンの音で実紀は目を覚ます。
端末から鳴る起床時間のアラームの音以外で目覚めたのは初めてだった。
寝癖を手櫛で適当に直しながら扉を開ける。
「おはよう、実紀。」
「姉さん…。」
「実紀も咎人になったって聞いたから、朝ご飯一緒に食べようと思って。」
「うん…。」
話したいことは色々あったがグッと飲み込む。佐代との食事の時間を台無しにしたくなかったから。
佐代の手にも烙印がある。
お互い烙印は見えているのに咎については触れなかった。なんとなく姉さんが咎について話すのを嫌がっているように見えたから。
食事をちょうど終えた頃、もう一度インターホンが鳴る。
扉を開ければ男性が二人。いつも佐代を家まで送ってくれていた二人だ。
「おはよう。僕達の事覚えてる?」
「いつも妹が世話になっている。」
親しげに手を振る優しそうな男性と軽く頭を下げる堅苦しそうな男性。
「妹?」
「この二人は高槻真白先輩と安護先輩。美波ちゃんのお兄さんなの。」
「「よろしく」」
美波に双子の兄がいるのは知っていたけどこの二人がそうだったのか。
世間は狭いなと実紀は思う。
「家に荷物取に行かないといけないだろ?」
「僕たちが送るよ。」
真白が車のキーを見せながらニコっと笑った。
***
「あんたのせいよ!この疫病神!」
リビングで実紀の帰りを待っていた母に運営委員会に入ることになったと伝えた途端、母は怒り狂った。
母が佐代に向かって皿を投げつける。
真白が佐代を引き寄せ安護が佐代の前に出た。二人が佐代を守ってくれる。
「馬鹿で鈍間なあんたが家族の足を引っ張るから!あの人は死んで!今度は実紀まで!」
怒りに任せヒステリックに叫ぶ母。いつも通りの光景だ。父が死んでから母は姉を責め続けている。この光景こそ、実紀にとって日常だった。
「前々から思っていたんだが、これのどこが普通なんだ?」
心底不思議そうに安護が首を傾げる。
「普通に強く執着するのは普通のことだよ。僕達が恵まれているだけだ。」
先程までの優しさはどこへやら。真白の声は酷く冷たい。
「あんたが実紀をおかしくしたの!あんたさえいなければ!」
醜く喚き続けている母。これが普通…。この国の普通…。
本当に…?
普通の形は変わるものだと昨日知ったばかりじゃないか!
変えよう、僕の中にある普通を。実紀は烙印の刻まれた手をギュっと握りしめた。
「黙れ!」
思っていたより大きな声が出た。声に込めるのは積年の恨み。
自分はもう普通ではないのだ。恐れるものなど何もない。
「僕が特別になったのは僕の問題だ!それに!もし原因があるなら、どう考えたって母さんのせいだろ!姉さんを悪く言うな!」
生まれて初めての口答え。ついに言ってやったぞとどこか誇らしさすら感じていた。怒りに震える母が今度は実紀に向かって皿を投げた。
急に飛んできた皿を実紀は避けれない。皿は実紀の頭に直撃した。
「実紀!」
佐代の悲痛な叫び。
痛みに頭を押さえて蹲れば手が濡れる感覚。手を見てみれば手にはべっとり血がついていた。佐代が実紀の元に駆け寄ってきて実紀を優しく抱きしめる。
「外道が…。」
怒りに満ちた真白の声がする。
「兄さん…?」
真白が一歩母の方へと踏み出す。真白の右手に刻まれた写真模様の烙印が黄色く光った。現れたハンマーを真白が強く握る。
「兄さん!」
安護の切羽詰まった声に顔を上げる。
真白は笑っていた。真白が母に向かって思いっきりハンマーを振りかぶりながら狂気的な笑みを浮かべている。
ゴンっと鈍い音がして母さんが倒れる。倒れた母さんの周りには写真が散らばっていた。写真は時間が経つと少しずつ薄れ消えていく。
「安心して。殺してないよ。」
先程の恐ろしい笑顔とは打って変わって優しい笑顔。
「僕の咎だ。属性は理想。殴った相手の記憶を消す咎だ。子どもに怪我をさせた記憶なんてない方が幸せだろ?」
恐怖と痛みに体を強張らせている実紀を佐代が強く抱きしめた。
「ごめんね。ごめんね、実紀。私が…私が当たればよかったのに。」
佐代の手が実紀の頬を包む。目の端で佐代の手が灰色に光るのが見えた。
「姉さん…?」
佐代の包帯模様の烙印から包帯が出てくる。包帯が実紀の頭を包んでいく。「代わる…。私が代わるから。あなたはどうか傷つかないで。」
頭から痛みが消える。
その瞬間。佐代の頭から血が流れた。
「姉さん!」
「大丈夫。」
姉さんは痛そうな顔をしているが、それもすぐに収まる。
流れていた血が傷のあった場所へ戻っていく。まるで結の切り飛ばした腕が戻ってくっついたように。
「姉さん…?」
その時、実紀は気がついた。自分以外の三人の腕に赤いブレスレットがつけられていることに。
(先生の咎だ…。)
不老不死なのだ。この三人も。
「どうするんだ?それ。」
安護が母のことを指差す。
「局長に連絡入れるよ。後は監理局が判断してくれるでしょ。」
真白はそう言うと端末を取り出し電話をかけた。
怪我を肩代わりする姉さんの咎。
記憶を消し飛ばす真白さんの咎。
自分の記憶すら信用できないのなら、僕は何を信じて生きればいい?
頭の中で先生が優しく笑っていた。
