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ちょっと休憩【偽お嬢様―人生初の融資交渉】オバハンの独り言―12 父の話①

戦争真っ只中に生まれた父は

“昭和のオヤジ”そのもの

 「苦労は買ってでもしろ!!」

「わしは、裸一貫から会社を始めた」


が口癖で
、もちろん私は甘やかされて育ってはいない
というか、年に数回しか現れなかった父



父は7人兄弟の次男
祖父は小学校の校長をしていたが
かなり"破天荒な人"だったらしい

自宅にわざと火をつけ、ボヤ騒ぎを起こし
その騒ぎに紛れて、
愛人のもとへ向かった夜もあったそうだ
その間には2人の子どもまでいたという
なので兄弟はほんとは9人

戦後間もない時代
食べる物にも困るような暮らしの中で
そんな祖父の存在は
家族にさらに大きな負担をかけていたのだろう

父は幼い頃、一家全員で学校の空き教室
住んでいた時期もあったらしい
そんな極貧の時代から父は働いて、働いて、働いて

1960年代に心斎橋大丸で働いていた父と母
その後母と結婚し、姉と私が生まれた

父親になり、更に父は働いて働いて
会社を一代で築き上げた

   まさに“叩き上げ”の人間だ

(父紹介はこちらから↓)


18歳の私は、一度だけ

「自分で商売をしたいので、
                                  力を貸してください」

と、父の会社へ頭を下げに行った事がある



── 18歳の私は父の会社に到着した
天王寺の駅近に父は自社ビルを構えている
“社長室”はこのビルの最上階

10代の私には、そこはもう完全に別世界で
心臓をバクバクさせながら、エレベーターに乗った

社長秘書らしき綺麗なお姉さんが

コンコン…    と社長室のドアをノックし

   「お嬢様がお見えです」


いやいや…  私は
そんなお嬢様ではなくてですね…
ただの金欠の娘で…

そして通された社長室で
私の目に飛び込んできたのは
昔、トロフィーを掲げ
クラウンで帰宅していた頃の面影を残す
少し老けた、あの“昭和の親父”だ!

「あぁ…      何年ぶりやろ…」
と感傷に浸りかけた私
そして、やけに眩しくみえる父

かなり近寄りがたいオーラを放っている
“昭和のラスボス感”がすごい

私はかなり緊張していた…

父は、社長室の端に作られた
謎の“室内パター練習場”でパターゴルフをしていた

   カコン…

社長室で何したはるんや……
数年ぶりの再会

父は振り向き、チラッと私を見て
「まぁ、座れ」
また無言でパターを打つ

私は変な汗をかきながら
小さな声で言った

 「あの…

    商売がしたくてですね…



   少しでいいので

   お力をお借りできませんか…」

    『偽お嬢様、人生初の“融資交渉”』


すると父は、間髪入れずこう言った

 「よっしゃ、わかった!」

 「ラッパ買うたるから

      屋台から始めろ!」

 「屋台が成功したら、金出したる」



私がしたいのはですね…   屋台ではなくてですね….

10代の私は何をいわれているやら
理解不能だった…

姉もまた若い頃、融資交渉に失敗した過去があり
あと数年で還暦を迎える彼女ですが
今だに父を恨み続けている
この二人は会うことこそないが
昔からかなり相性が悪い



今になって思うのですが…

あの一言のおかげで私は

【妙な肝っ玉と、妙な生命力】を

身につけたような気がする
もちろん屋台はひいてはいませんが…

私の“何くそ根性”は
たぶん、
あの"ラッパ屋台発言"から始まった‼︎

もしあの時
父が優しくポンとお金を渡していたら
私はきっと若い頃
あんな雑草のような生き方をしていなかったと思う

いや、むしろ、一ヶ月で商売に失敗し
「自分で生きる力」を持たないまま
父のお金だけを頼りに歳を重ねていく

私は母と同じ生き方を
繰り返していたのだろう

そう思うと

父の「ラッパ買うたる」
あの一言が
人生の分かれ道だったのかもしれない 

父とはこの日以来、また疎遠になった…

よし!
この言葉を私もいつか息子に言ってやろう
とずっと思っていた

しかし…
息子もまた10代で家を出て、気づけば15年以上
息子は一度も私に“融資交渉”をしてきた事がない
おそらく彼の中で私は

 「相談すると説教が付いてくる
       めんどくさい金融機関」

なのだろう
トホホッ…

息子よ  いつでもかかって来い!

次回
ちょっと休憩【"24時間かまってくれ男”】オバハンの独り言―13

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