寄り道や遠回りをしてたどり着いた場所は『no⁺e』でした
「最近、晩ご飯を一人で食べることが多くなったなぁ」
夕暮れ時、ご飯を作りながらキッチンでそう思った。
「そういえば、音がない」
田舎町の雑音といえば、車の走る音がたまにブーンと聞こえるくらい。
それでも、子どもたちが学校から帰ってくるこの時間帯は、いつも賑やかなはずなのに『シーン』としてる。
いつもとは違うこの違和感と、すりガラス越しのオレンジ色の物悲しい風景が「私、・・ひとりだ」としんみりさせた。
自分が立っているキッチンごと、どこか音の無い異世界に行ってしまったかのような静けさ。
「怖い」
このまま誰も帰ってこないんじゃないかと、心配になってくる。
トントントン、まな板で野菜を切る音だけがはっきり聞こえる。
外は真っ暗になり、寒空の中大学から帰ってきた息子の「ただいま」という声で我に返り、異世界から引き戻された。
「あぁ、子育てが終わったんだな」
子どもたちのすべての時間を把握していたあの頃とは違う。
子どもたちは、私の知らない自分たちの世界を生きている。
私はもう、必要ないのか・・。
急に訪れたこの虚無感に、気持ちがついていかない。
自分でも処理しきれないでいる揺らいだ気持ちを、夫や子どもたちに知られたくない。
そう思い、どうにかやり過ごすことだけに集中した。
心がぽっかり空いたこの状態を、隠すのは大変だ。
平常心を維持するはずが、いつもより落ち着いた口調でしゃべったり、変にテンション高めなお母さんになってしまう。
いつもボケっぷりを発揮している私は、いつもどおりが難しい。
『心ここにあらず』だと何もかもが、ぎこちなく感じる。
私の変化に気づかない家族を横目に、喪失感は増すばかり。
心がザワザワして、ザワザワして収まらない。
得体のしれない何かに追い立てられるように、焦りが押し寄せてくる。
相談できる友達もいない、これといった趣味もない、家事や子育てしかやってこなかった私の心の声が、「何かはじめなきゃ」「何かやらなきゃ」「何か・・なにか・・・」と叫んでいる。
長い専業主婦人生、途中パートに出たことがありました。
パン屋さんでレジ打ちから焼成まで一通りやって、毎回楽しく通っていましたが、私には仕事内容がハードすぎて身体を壊し家事育児との両立が難しくなり働くことをやめました。
絶滅寸前とまで言われるようになった専業主婦を、社会に貢献していないという罪悪感を抱きながらも続けている私にとって気を紛らすために外に出て働くということは、怖くて選択肢として考えられないのです。
喪失感を覚えたあの日をきっかけに、今まで心の中にしまってあった罪悪感や葛藤が一気に掘り起こされてしまいました。
複雑に絡み合ったいろんな感情が私の心を支配していたこの数週間の間に、ふと、忘れていた記憶を鮮明に思い出すことがあったんです。
それは数年前、スマホ会社に行った時のこと。
当時高校生になる息子のスマホの購入と、自分もガラケーからの遅咲きのスマホデビューをするために訪れたお店で、担当してくれた店員さんのパソコンさばきが私を虜にしたのです。
その店員さんは、顔は斜め右のパソコン画面の方向に、指先は私たち親子が座るカウンター正面のキーボードにあって、目にも止まらぬ速さでタタタタターーっとデータを打ち込んで「こちらでお間違いありませんか」と笑顔でプリントアウトした紙を見せてくれたんです。
『かっこいい』と、心の中で感動しました。
そこから数年が経った今、頭の片隅に眠っていたその時の記憶が思い浮かんだんです。
「そうだ、これだ!」
タイピングができるようになっても、家にいるだけの私には何の役にも立たないけれどなぜか不思議と、これしかないと確信しました。
やっと『何か』の答えが見つかったようで、気持ちが晴れてきました。
ある日、正常なふりを続けている私は娘に、「来年大学卒業したら、パソコンってどうするの?」と聞いてみました。
娘は、「もう使わないと思うよ」と私に好都合な返事をしてくれたんです。「それじゃあ、お母さんが使ってもいい?」と、密かに隠し持っている喪失感を紛らすために、『パソコンがどうしても欲しい』と思っていることを悟られないように、しれ~っと聞いて「いいよ」という答えを待ちました。
これで、数カ月後にはパソコンが手に入る。
あのときの店員さんのようにキーボードを打つには何をすればいいのか、それまでにまずは下調べをしよ。
「へぇ〜、タッチタイピングっていうんだぁ」
調べれば調べるほど、早く始めたい。
数ヶ月も待っていられない。
あぁーどうすれば、どうすればと考えて思いついたのが、古いiPad。
娘の高校受験用に買ったiPadでしたが、どうも紙での勉強が合っていたみたいで結局私のおもちゃになっていましたが、自分のスマホを手に入れてからどこかにしまい込んでいたことを思い出したんです。
iPadに無線で繋げられるキーボードを買って、練習を始めてしまおう。
そうたくらむと、ワクワクが止まらない。
いつもなら、パソコンが手に入るとわかっていれば、いつか必要なくなるキーボードだけを買うなんて絶対にしないところだけど、自分を見失っている今は、この[焦り]からいち早く逃げ切るにはこれしかないと、安寧をお金で買うことにした。
早速Amazonで探して、注文。
今までパソコンを操作するといえば、筆ぐるめで年賀状を作成することがメインでほかは簡単な調べ物をするくらいで、頻繁に使うことはありませんでした。
パソコンを扱う環境に居たことがない私は、たまに自治会の役員が回ってこようものなら、名簿を作るのに1日では終わらず次の日も引き続き作業しないと終わらなくて、完成させるのに数日かかるほどでした。
人差し指で、キーを2、3文字打っては画面で確認、違う文字を打ってしまって、また打ち直す。
その繰り返しで肩と目、頭まで痛くなってしまうからパソコンはもちろん苦手。
そんな我が家のパソコンは、使いすぎで内部が壊れるはずもなく画面の無理な開閉で負荷がかかり物理的に破損し、その寿命を迎えてそのまま放置状態。
パソコンを触らなくてはいけないと思うだけで嫌悪感を感じる私が、タッチタイピングができるようになるのかわからないけれど、自分の再起がかかっているから意気込みは十分。
数日後、キーボードが配達された。
家の中で一人、Amazonの段ボールから宛名の紙をはがし、まずは個人情報を確保。
今までの沈んだ気持ちとは違い、ワクワクしながら段ボールの中で緩衝材に
埋もれているキーボードの箱をとり出す。
商品が動かないように平らな段ボール板とキーボードの箱がピッタリと、がんじがらめにくくりつけてあって身動きが取れないようにしてある。
そのフィルムをはがすのに時間がかかり、ようやく取り出すことができたキーボードは、思いのほか薄っぺらくておもちゃのように軽かった。
神聖な場所を作り出す儀式のように、段ボールや入っていた箱をいつもより丁寧に畳んで、いらないものをゴミ箱に捨てて周辺をきれいにした。
さてと。
テーブルにキーボードをまっすぐ置いて、キーを押してみる。
ノートパソコンのような薄いキーで、押した感じは今まで触ったことがあるキーボードとさほど変わりはないけれど、それでも自分専用だと思うと可愛く思えてくる。
早速、iPadに接続しよっ。
キーボードを選んでいたときから、どうやって繋げるかもついでに調べていたから、YouTube先生に登場してもらおう。
私が買ったキーボードと同じタイプのものを、iPadに繋げる方法を教えてくれる動画を見つけていたから、それを参考にしていく。
今回は、Bluetoothで繋げるキーボードだから、その手順で始める。
動画を低速で流し一時停止しては操作し、巻き戻しては何を言っているのか、もう一度聞き直す。
そのやりとりを何度もやって、なんとか繋げることができた。
動画というのは本当にありがたい。
内容が丁寧で、無知な私にもわかるように解説してくれる。
説明書だけでは理解できず、挫折していたかもしれない。
「メモのアプリを開いて、aを打ってみてください。aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaと打ってみて、画面に文字が映し出されたら繋がっていますので、これで完成です」とYouTube先生の言葉通りに自分のiPadにも文字が映し出されて、次に進むことができた。
「ありがとうございました」
一人でいることが多いせいか、画面の中の人に話しかけてしまう。
ここからが本番。
タッチタイピングを教えてくれる先生の動画を探す。
これもだいたい目星をつけていたから、すぐに再生をする。
やるとなったら、基本に忠実にタイピングを習得したい。
目標は、あの店員さん。
キーボードを一度も見ることがなく、顔の向きが固定されていて姿勢も美しかった。
それを目指そう。
背筋を伸ばして、動画の先生の説明を聞く。
まずはFとJのポッチを見つけること?
ホームポジションをまずは覚えることが、最優先?
FとJのポッチ? あるある。
キーとキーの間の段差でどこを触っているかわからなくなるけれど、これを左右の人差し指の感触だけで探し出せるようになればいいのね。
はい。
それから、右の指でJ.K.L.;、左の指でA.S.D.F、親指はスペースキーと、それぞれのキーに指を添えるこの形がホームポジションと言うのか。
置いてみる。
指が短い私にはキーボードの幅が広くて、指を開いた状態で置かなくてはいけないから変に力が入り指がつりそうになる。
そこまでの流れを確認していたとき、一時停止していた動画をさらに進めるとYouTube先生が、「これだけは必ず守ってほしいことがあります。 キーボードを、絶対見ないでください」と言い切っていた。
ほかの動画では、「慣れるまではキーボードを見てもいいので、まずはキーの位置を覚えましょう」そう言っている人もいた。
どちらのやり方で始めるか迷うけれど、自分の経験上、最初に身につけたことを途中で変えるのは難しいことだと分かっていたから、キーボードを見るクセがつかないように最初から指先を見ないやり方で進めよう!
そう決心して、茨の道を選んだ。
私に選ばれし、茨の先生が続けて言う。
キーボードは、それぞれの指に割り当てられたキーがあり、そのキーを打つことがタイピングをするうえで一番大事です、と。
「それでは、Jを打ってみましょう、それからFを打ってみましょう」
このあたりは置いた指を押し込むだけで画面に表示されるから、なんの問題もない。
JKL;JKL;JKL:、FDSA FDSA FDSAと進めていく。
ここら辺は大丈夫。
「では日本語の母音を打ってみましょう」
a、i、u、e、o
ムズ。
指が・・・。
指の動きがもどかしい。
正しく打っているつもりでも違う文字が表示される。
自分の指先の感覚を疑ってしまうくらい、ほかのキーを打っている。
うぅぅ〜。
最初からデキる人なんていないんだから、まだ始まったばかりだし『この日を記念すべき1日目』として、毎日がんばろう。
今日はこの母音を打てるようになるまで、がんばる。
でも、茨の先生が言っていた「キーボードを絶対、見ないで!」
これをどうにかしないとなぁ~。
頭で理解していても、目が反射的に動いてしまう。
ほかの動画で、対処法があるか探してみると、
「フェイスタオルをキーボードに置いた手の上に被せて、物理的に見えないようにして練習してみてください」
そう言っている人がいて、確かにそれなら確実に見ることができなくなる。
やってみよ。
キーボードが隠れるように両手の上にタオルを被せることが地味に難しかったけれど、これでやっと本格的に始められる。
準備が整った。
さぁ、動画の中の先生と一緒に、a、i、u、e、oの練習から始めよう。
毎日毎日飽きることなく、タイピングをして2年半が経ちました。
あのときの喪失感はもう、微塵もありません。
時間さえがあれば、動画でタイピングの練習方法を調べたり、タイピング練習ができるサイトを探しては取り憑かれたようにタイピングをしていました。
やり始めたときに決意した、『指でキーボードを覚える』という方法で進めてきた甲斐あって、タッチタイピングができるようになってきました。
練習を続けていくうちに打てる文字が増えていくことが嬉しくて、時間を忘れるくらい没頭していたら、気づかないうちに子どもたちに対する心の距離感も正常に保つことができるようになっていて、本来の『ボケっぷりを発揮するお母さん』に戻ることができました。
タイピングの練習をする時、動画を観て自己流で進めてきたことも含めYouTubeには本当にお世話になっています。
そのほかのSNSはあまり縁がなく、ほとんど見ることはありません。
スマホを手に入れてYouTubeが手元で見られるようになってからというもの、自分の料理のレシピを忘れてしまうほど料理動画を見てはその通りに毎日作ったり、コスメ動画では今まで知らなかった情報を手に入れ参考にしてみたり、スマホ初心者に向けた動画は、どれだけ勉強になったことか。
AIを使ってみようと思わせてくれたのもそのスマホ動画の先生で、狭い世界にいた無知な私を、知らない世界の入口に立たせてくれました。
今の情報時代に、私は本当に助けられています。
YouTubeを観てAIに質問すれば、私が生活している世界のことなら何でも解決できると思っています。
家の中の修理したい場所をDIYできるかどうかを確認して、できそうならどうやってやるかまで教えてくれるので、業者に頼まなくても修理できたところが何か所もあります。
それでも、車のバッテリーを交換するため作業方法をAIに聞いた時は、間違った回答を提示されYouTubeで作業工程を確認していなかったら間違っていたことに気づかず、危うくショートするところでした。
その時から、AIも誤った回答をするのだと肝に銘じています。
そんなYouTube好きな私は、家でできる副業というものを知りました。
AIでパソコンの操作方法を勉強してタイピングもできるようになってきたから、もしかして自分にもできるのではと無謀な想像をしてクラウドソーシングサイトに登録をしたことがあります。
ですが、世の中そう甘くはありませんでした。
それでもまた性懲りもなく、LINEスタンプを自分で作って販売することができると、これまた副業関連の動画を観て知り、AIで画像を作ることが好きだった私はそれに挑戦しようと決めました。
とにかく、何か始めてみたかった。
今までの自分なら、きらびやかなネットの中の世界に自分の存在を残すことなんて考えもしなかった。
ネットの中は怖い世界、知識のある人しか入り込めない世界、素人は近寄らないほうがいい、そう思って情報を受け取るだけだった私が、自分が何者なのか分からなくなってしまったあの心の変化を経て、家族に依存せず自分の世界を作り上げるため「絶対に無理、必要ない」と遠ざけていたことをあえてやってみよう、そう心に決めたんです。
まずは画像を作って登録することを目標に、YouTubeで登録方法とスタンプの作り方を観てAIで画像を作成してもらい、『未知の世界を覗いてみる』という気持ちでスタンプを登録しました。
星の数ほどあるLINEスタンプの中で、ひっそりと片隅に間借りしている私のスタンプたちを愛おしく思います。
LINEスタンプを作って登録することは、楽しくて時間を忘れるほどでしたがタイピングが必要かというとそうではない。
せっかくタイピングができるようになったんだから、文章を書くということもやってみたいと思うようになっていた私は、ようやく『note』にたどり着くのです。
LINEスタンプ用に作成した画像が可愛くて、ほかの場所でも見てもらいたいと欲が出てきたときに知ったのが『note』でした。
noteも『noteで稼げる』的な動画で知りましたが、そこはピンと来なくて文章を自由に書くことができるというところに興味が湧きました。
とはいうものの、文章を書くといっても何を書いていいものやら分からなくて私にはハードルが高かったので、見出し画像をメインにしてその画像に沿った文章を書いていこうと自分なりの世界観を決め、ひっそりと投稿することにしました。
初めての投稿。
今までの、内向きな自分がジャマしてきます。
AI画像ありきのLINEスタンプとは違い、文章となると自分そのものだから気恥ずかしさと緊張で手汗が止まらない。
今回は画像ではなく、自分自身が間借りすることに対する不安。
ここでおじけづいたら、元の自分に戻ってしまう。
また自分の狭い世界に閉じこもって、いつものように受け身のままになってしまう。
これじゃあ、だめだ。
変わらなきゃ。
時間だけが過ぎてゆく。
また、明日にしよう。
また、今度にしよう。
そんな日が続いて、思うように気持ちが先に進みませんでした。
投稿ボタンを押す決心が、まだつかないでいるある天気の良い朝、春なのに夏日になるという予報を知り冬のあいだ閉め切っていた窓を開けてみると、さわやかな風が吹き、庭先が光り輝いて見えました。
日当たりの悪い我が家にも、太陽が高い位置から明るい日差しを注いでくれているこの光景を見たとき、自分で作ったAI画像の中に暑い夏をイメージしてできた画像があることを思い出しました。
外の陽気に背中を押されながらその画像に文章を添えていたら、あれよあれよと書きあがり、その流れで投稿ボタンを押していました。
清々しく晴れやかな気持ちで『初めましての投稿』完了。
達成感で、全身の力が抜けました。
自分の想いしか文章に乗せることができない私ですが、「今度はどんな画像を作成して、何を書こうかなぁ」と考えている時間が楽しいです。
突然現れた得体のしれない感情に押し潰されそうになりながら、無我夢中で自分探しをしてたどり着いた場所は、今の自分にピッタリな気がします。

