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鬼頭莫宏『ぼくらの』感想メモ




3年前に『なるたる』を読んで以来、早く読みたいな~~と思っていた鬼頭莫宏の代表作『ぼくらの』、無料公開してますね!(今日まで)

ということで、この機に乗じてよーやく読んでみました!!

「感想メモ」といっても、今回は読み進めている最中にメモを取っていなかったので、すべて最後まで読んだあとでの感想となります。



※ネタバレ注意



2025/3/23(日)

おもしろかった!!
『なるたる』から引き続き、「性」や「生殖」を絡めて「生」の意味を問うハードコアなジュブナイルSF(ミリタリー要素アリ)であるが、より完成度が上がっていると感じた。エンタメ性が高く、かなり万人受けする名作だと思う。比較するなら『なるたる』のほうがややサブカル寄りという印象なので、作家生活を重ねる中で順当にマス向けの傑作を描くことができるようになっている例かもしれない。(この作家のことをなにも知らないのでテキトー言ってます すんません)

まず第一に、絵がとても上手いですよね…… 華奢な体躯のキャラ絵もそうだし、背景/風景もすごく好き。市街が舞台の主となる作品ではあるが、だからこそ序盤やそれ以降もたまに差し挟まれる田舎の田園風景シーンにはいちいち惹き込まれてしまった。

マンガとしては、ほぼ同じ構図のコマを2つ並べて、僅かな変化で仕草をあらわす演出などがよく効いていた覚え。契約者ひとりひとり椅子が浮かび上がる設定なんかも、ひじょーにマンガ映えする良い要素だった。

SF面に関して。わたしはそもそもバトルものがあんまり刺さらなくなっている上に、巨大ロボット戦は輪をかけて興味がない対象ではあったので、基本的には流し読みしていた。バトルの戦術面でそれなりに面白く読める部分はあったが。つくづく自分はSFが苦手だなーとは再確認した。

基本的に、話のスケールがデカくなればなるほど物語への関心が薄れるため、多世界SFであることが明かされた時点で、根本的には、というかこのストーリーの根幹には冷めてしまった、というのが正直なところ。

純粋な〈敵〉だと思っていた怪物が、実は自分たち主人公勢と本質的には対等な存在者(人間)だったことで物語の視点が一気に相対化されるやつ、この歳になると流石にわたしも類例にたくさん触れてきて慣れがあるため、衝撃は受けなかった(その「類例」の多くは本作より後発の作品であろうが……)。もっと若い頃、中高生くらいのときに読んでいれば新鮮に感動できたのかもしれない。

とはいえ、多世界ものが明かされるのは物語のせいぜい中盤くらい(マキ編、第28話)であり、本作はその種明かしを前提として、そこからさらに何重もの展開と盛り上がりを用意しているところが名作たるゆえんだろう。

そして、「相手もぼくらと同じ生身の人間であり子どもである」ということが、向き合って葛藤すべき命題から、踏み越えるべき単なる "前提" となるのは、すぐ次のキリエ編、第32話の例のシーンだろう(マンガであることを駆使した簡潔にして鮮やかな演出!)。

以降は、別世界との邂逅=世界の命運を賭けた決闘であることが主人公たちにも読者にも共有されたうえで、いろんな決闘のバラエティを見せてくれた。

見事な設定のひとつに、個々のバトルで、こちらとあちら、いずれの世界が戦場となるのかは始まってみるまで分からない、というのがある。ある程度勝ち星を上げてきたグループ(世界)は、ホームでもアウェイでも事前にかなり戦略を立てて準備をしてきている。そのため、ハワイまで逃げての超遠隔ミサイルぶっぱを選択する敵にこちらの世界の全勢力を賭して対処しようとする回=カンジ編や、逆に自分の世界をハナから捨てて共倒れに持ち込もうとする敵を制限時間(48時間)以内になんとかあぶり出して説得しなければいけない回=コモ編など、単なる巨大ロボット同士のバトルの繰り返しに留まらない多彩な展開でこちらを楽しませてくれた。

15名の子どもの命が一回ずつ消費されながら〈敵〉怪獣をしていくことが運命付けられてしまった、という大枠の設定から、当初はどうしても単調なストーリーラインを想像したものの、全65話ほとんどだれることがなかったのは本当に偉業と云う他ない。

15人の子どもを順番に「主役」(=犠牲者)にしていき、彼/女ら一人ひとりの家庭環境や思想といったバックグラウンドを描き、〈死〉に向かう過程でその人間的な成長をドラマチックに描写していく、なかばオムニバス形式の構成がこれ以上ないほどに活かされていたといえよう。

ひとつひとつの話をみれば、その多くが家族愛やきょうだい愛を素朴に肯定する人情噺だったり、恋愛や友情や性愛のもつれを扱う三文ドラマだったりと、実にベタなテーマを扱う内容であり、それ自体がものすごく深かったり感動的だったりするわけではない。せいぜい、よくあるお涙頂戴な悲劇だと頭では理解しながらホロリと涙を流すくらいだ。
(※わたしの涙腺は非常に弱いため、かえって「泣いた」ことと鑑賞体験の良質さはシビアに切り離している。つまり号泣したとしても「陳腐でしょうもない作品だった」と切り捨てることがよくあるし、そうして何の矛盾もないと考えている。涙は単なる生理的現象なので。)

親の水商売ゆえの校内いじめや児童買春など、個々の要素が80年代っぽさがすごかったので、はじめはもう少し古い漫画なのかと勘違いしたほどだった。(まぁ自分が生きたことない80年代について何を知ってるんだという感じですが……)

それでも、オムニバス形式の強みとして「数打ちゃ当たる」というのがあり、例えば心臓移植ドナーが関係するヘテロ三角関係の回(モジ編)はストレートに自分好みだった。やっぱり安直なはなしだなぁとは感じるものの、『なるたる』の5巻辺りでもこんなかんじの三角関係エピソードあったような……と思いながら性癖に素直になって楽しんでいた。

そして、そうした個々にはベタな「回」が繰り返されながらも、そこでメインとなる子どもたちの物語とはまた別の、よりレイヤーが上の大きな物語が徐々に動いて進んでいく構造がじつに巧みだった。

序盤はまず、契約者の子どもたちが政府軍やマスコミから次第に特定されていき、「大人」キャラもまた物語の中心に躍り出ることで単なるジュブナイルとは違う位相も獲得していく。そうして、大人と子どもの関係、特に親子関係が主題の位置を占めてきて、そこから世代間の愛や継承、そしてそれらを生物学的に成立させるための生殖・性といったテーマにも繋がってくる。ここら辺が上で『なるたる』との共通項として挙げたところだ。

ただ、(もうほぼ覚えてないけど)『なるたる』と再び比べるとすれば、あちらが少女/女性の性嫌悪や生殖嫌悪といった方面から生殖主義についてしっかりSFをやっていたとするならば、『ぼくらの』はより社会的で "真っ当" なテーマを志向しているように読んだ。理不尽に死を運命付けられた子どもたちの群像劇のなかで「それでも生きているならば必死に生きなければならない」というような、これだけ切り取るとかなり説教臭いものを、なんとか切実さを失わずに表現していたと思う。

それでもなお、個人的にはやっぱり根本的にノれないが……
その不一致の具体的な表出として、田中さんがめちゃくちゃカッコいい魅力的なキャラクターであると同時に、彼女の言動や思想にはとても賛同しかねるものがあったことが挙げられる。

また、自分が死んだあとの世界/社会に対する願いや責任を(キャラが)否応なしに考えさせられる物語なので、次代再生産主義というか、どうしても保守的なところに落ち着いてしまうのが合わない。

もちろん保守的なのは『なるたる』からも受け継いだ必然的な構造であるし、今作ではそうした「このあとも続く世界(地球)」という大前提が、終盤の展開によって徹底的に相対化されているし、最終的に無事にこの「ゲーム」に勝利したのかも分からず、なにより今後もまた次のゲームが始まってしまう可能性が常に残されている……という、気が滅入る根本設定があるため、いずれにせよかなりシビアな物語ではある。とはいえ、そうした、いつ潰えるともしれない風前の灯火のような命=世界、という世界認識からは、やはり特攻の自己犠牲を尊ぶような危うさ(あるいは薄っぺらい自己閉塞的な頽廃性)を排除することが難しい……。

ともかく、「命の尊さ」といったド直球に道徳的すぎる主題を真正面からあつかったSF作品として、ひとつの成功を収めていることは間違いないだろう。それはなにより、この物語がおよそ15名の子どもを主人公とした「群像劇」である点に、作中で明瞭に必然性を与えながら、それを先の主題へと鮮やかに繋げて昇華させていったことにある。

何度も言及されている通り、この作品では次々に命を落としていく15名の「主人公」は相対化されている。それは「敵性地球」の存在が鏡像的に明らかになるからではなく、彼/女らが生きているこの地球ひとつに視野を狭めたとしても、そこで生きる名も無き人々の命の重さが決して軽んじられないからだ。性暴力サバイバーの本田千鶴(チヅ)が加害者に復讐する際に無関係な人々を巻き込んで殺戮したことに対して、彼女の親が非常に重く受け止めて、娘の罪を背負って被災者救援活動に一生を捧げていく結末が象徴的だろう。

彼女らは確かに理不尽に命を賭して「地球」を守らされて可哀想だが、かといって、そうした命が掛かっていない膨大な能天気な市民たちに理不尽な暴力を跳ね返していいことにはならない。というよりも、彼女らは、極限状態のなかで、自らが最後までより善く生きるために、安らかに満足して死ぬために、必死にそうした倫理に縋る。残された者たちも、死んでいった大切な人の罪や責任を尊重して、自らが少しでも幸福に生きていく糧とする。

こうした倫理道徳へのアプローチによって、この物語には固定的な「主人公」はいなくなる。たしかに作中でより詳しく親身に背景や感情が描写された人物には、読者もより親近感が湧いて「死んでほしくない」と思ってしまうものだが、そこでいちいち悲しんでいては物語のスタート地点に逆戻りしているも同然である。悲しんでは駄目だということではなく、その悲しみの背後にある不均衡な構造に自覚的になりながら、なお個々の死を悼んで必死に生きようとせよ(生きるしかない)、ということだ。

わたしはそれぞれのお涙頂戴なエピソードを読んでそれなりに感動してはジャンクに消費したものだが、そうした「群像劇」が、メインのキャラクター以外の作中の人々へもアクロバティックに普遍化されていくなかで、他者の命を奪いながら生きていくこと、自分が死んだあとの世界に託していくことが倫理を越えて迫真的に描かれる構成に本作の傑作たる所以をみる。



……まとめると、

ものすごく刺さったわけではないし、(SF)ジャンル的にも(保守)思想的にもあんまり好みでないが、万人受けする傑作SF漫画であることは否定しようがない……と思いました!

『寄生獣』とか『亜人』とかに近い読み味で、かつ、終盤で評価が落ちるようなことがなかったのがすばらしいと思います(『亜人』は終盤ダレた)。

ただ、あまりにエンタメ完成度が高いため、(逆張りで?)よりコアな『なるたる』のほうが、どちらかといえば好みかもなぁ……と感じています。

まぁ内容ほぼ忘れてるんですけど……

「女」であること、「母」であること、といったテーマはやはり『なるたる』同様に色濃く、フェミニズム的にいろいろと興味深くはありました。もちろん一定のミソジニーを見出せるものの、それは前述の通り必然的な保守主義然のために要請されているものでもあるため、単純に否定はできない……というような印象も『なるたる』のときに書いた気がします。

……これ別に「鬱漫画」に括られるようなもんじゃなくね??という素朴な感想も、『なるたる』とまったく同様です。

にしても、これって「鬱漫画」か? いちばんそれっぽいのは「鬼」編(6巻)くらいで、あとは最後まで読むと全然そういう作品じゃないと了解されるはずだと思うんだけど。『寄生獣』とか『ザ・ワールド・イズ・マイン』や『ファイアパンチ』を鬱漫画のくくりに入れてる人がそう言ってるんなら分かるけど。

最終的に(というか途中からも明らかに)「生命とは何か」「生殖とは」みたいな大文字の思弁的エスエフ的なものが軸であることは隠していないので、『おやすみプンプン』とも『ミスミソウ』とも『空が灰色だから』とも全然異なるジャンルだろう。

あと、鬱とか胸糞とか感じるまでもなく普通にストーリーがちゃんと面白いのもある。面白さが勝ってる。というか、面白さのために整合的に組み立てられているので、やはり理知的な えすえふ の趣が強い。

鬼頭莫宏『なるたる』感想メモ

こういう指摘じたい、既読者には当たり前すぎて(わざわざ話すような議題ではなく前提であり)、せいぜい未読者を示すためのマーカーとしての役にしかたたない代物ではあります。





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