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『プリパラ』1期(38話まで)の感想メモ





私はこれまで、おジャ魔女やプリキュア、アイカツ、プリリズといった所謂「女児アニメ」を観たことが一切なかった。自分にとってアニメとは深夜アニメのことだし、特に青春群像ドロドロアニメを好んでいる身としては、明るくキラキラしているイメージの女児アニメに手を出すことはまったく考えていなかった。子供向けの低俗なものと見なしているのではなく、単純に自分のアニメ趣味の興味範囲外、のっとふぉーみーであろうと思っていた。

しかし、人文系の教養がある知人から「思想的にもエンタメ的にもプリパラは観るべき。まずは1期……いや1クールだけでも」と強く薦められ、仕方なくニコニコ動画dアニメ支店で観始めた。

以下、1期38話までを観ている最中にとった自分用メモのコピペである。

各話のリンクも貼ってあるが、入会しないと視聴できないので各自対応してほしい。







9話まで

みれぃの家庭裁判所回はギャグがくっそ面白かった。

なおちゃん回は泣いた。
最後、プリチケを校長に取られているなおちゃんにらぁらが自分のプリチケをパキって渡すシーンは、
「パキって一緒にライブした友達と交換」するための存在であるプリチケを、交換ではなく贈与に用いるという意味で非常に意義深く、
それがらぁらとなおちゃんの和解の証であり、らぁらの優しさの体現でもあった。要するに、とても感動した。


虹ヶ咲アニメOPの「なんて正確な音程!」弾幕はそふぃのデビューライブが元ネタだったのか。果林先輩と声優が同じなのね

プリパラに行くことで理想の輝く自分に変身できる設定に対して、そふぃだけはプリパラではなく、レッドフラッシュが変身装置となっている。


プリパラの作中設定がよくわからん。
プリパラ筐体があるプリズムストーンは全国各地にあって、共通のプリパラ空間へ繋がっている?
そもそも世界スケールがあの街しかなく、プリズムストーンもあの1つだけ?
アイドルとしてステージに立つ子以外にも、ほとんどの子がプリパラに行く目的は観客としてライブを楽しむこと。
しかしプリパラでは衣裳や外見は自動的に変わる。
すなわち、キラキラ衣裳への変身がアイドル性と直接結びついてはおらず、キラキラ衣裳を着たからといってアイドルになる必要はない。
観客として楽しむのも、アイドルとして舞台に立つのも自由。(しかしアイドルレベルはある)

プリチケの設定もよくわからんが、プリパラでの衣裳はどうやって決まる?
途中でなりたい自分イメージが変わったら衣裳も自動的に変わるのかな

あと「女の子のもとにある日プリチケが届く」という設定も謎だ。
理想の自己像が確立された子の元に届くとか?ずっと届かない子はいるのか?
タイミングの差は、特権的な存在による女子間の差別ではないのか?
掘り下げに期待



10話

テニス部の背が高い子はプリパラ入場変身後もその「男らしい」(差別表現)ままでいてほしかったけど、本人がカワイイのを望んでいるんならしゃーない
この時点ではプリパラは女性の女性らしさに関するクリシェを再生産する装置であると批判されても仕方ないが、まぁ今後それを打ち破ってくれるのだろう。

そふぃの1人での外出→結局プリパラにたどり着けず生き倒れる展開はとても良かった。
「挿入歌が負けた!?」コメに笑った。



18話 レオナ回

すごく良かった。泣いた。
姉のドロシーや周りの皆に同調して生きてきたレオナ(付和雷同)がシオンに叱責され、1人でビデオを作るよう言われる。
ここでてっきり、「自分の意見を持って行動することは大切だ」とレオナが成長する話だと予想したが、いい方向に裏切られた。

自分に懐いてくれた幼稚園児たちの笑顔を見て、レオナは「自分は皆の笑顔が見たかったんだ」と気付く。
同時にシオンも「レオナは皆のためになることをしたい人間であって、自分の思いが無いわけではない」と考えを改める。
利他精神の利己性に、本人と他人が両側から接近して理解する(2人が話し合うわけではなく、それぞれに気付く)という解決法が見事だった。

双子や姉弟関係に弱いので、ドロシーとレオナは刺さる……


ただ、現時点で一番好きなのはダントツでそふぃ。
彼女のようなマイペースのんびりキャラが癖(ヘキ)なので。ガルパンのミカさんや丸山ちゃん、デレマスの森久保など。
アイドルとして覚醒していないふにゃふにゃ状態が好き。ずっとふにゃふにゃしててほしい。ずっと光合成しててほしい。

現実世界でのレオナの身体的性が男性であるとカミングアウトしたとき、そふぃが無表情で全く驚いてないのが最高だった。
あんまり興味がないんだろうな(レオナに興味がないというわけではなく)

そふぃとレオナのふわふわコンビもとても良い。
終盤でレオナがそふぃに感謝を述べても、それに対してそふぃの反応が薄かったのも良かった。

以前も言ったが、プリパラという装置を通過することで理想的な輝かしい自分に変身するキャラたちのなかで、
そふぃは唯一、プリパラではなくレッドフラッシュという別の(より素朴な)装置によって変身する異端の存在である。
「プリパラさえあればわたしの夢が叶えられる」という、全ての変身願望がプリパラに収束していくプリパラ至上主義的なグロテスクな側面を作品の内側から破壊する契機を、そふぃとレッドフラッシュに見てしまう。
推しキャラの欲目ではあろうが、そういう点でもそふぃが好きだ。



19話 みれぃ&クマ回

プリパラに来た子とマネージャーがどうマッチングするシステムなのか気になる。
特に決まってなくて自由に捕まえて契約するシステムなのかな。

2年以内にスカウトできないと送られるマスコットの墓場こわすぎ
人間(女子)にとってはユートピアだけど、マスコットにとってはディストピア的な側面もあるのか。
というか、マスコットはどういう経緯で生まれるのか?あいつら年取ったり死んだりするの?


ニコ動で観ていると、プリパラのギャグ描写に対して「女児アニメなのにこんな描写やっていいのか?(or理解できるのか?)」的なコメントがあるが、むしろ女児向けだからこそだろう。
プリパラのギャグ描写は味付けが濃い。過剰で、ネタをネタとして振り切っているぶんわかりやすい。だから子供でも「これはギャグなんだ」「笑うところなんだ」と直感的に理解できる。(逆に、曖昧だったり両義的だったりする展開・表現はあまり見られない。これは当然だろう)
あと密度も高い。好きあらばネタを仕込んでくるし、フラットなシーンでも画面のどこかに遊びを入れていることが多々ある。
こうした遊び心はとても好感が持てる。
なんか高密度・高速かつ全力でフザケている感じはまんまピンチョンっぽいんだよな



20話 ピザvsお好み焼き回

普通に良かったけど、どちらの店も父親が料理を作って母親が校長へ給仕をしていたのがちょっと残念だった。性役割の固定
まぁそこまで目くじらを立てなくてもいいことかもしれんが。

そういやプリパラのライブはプリパラ外でも観れるのか(プリチケが届いていない一般人、大人も観れるのか)
ソラミのライブをらぁら妹と母がガッツリ観てたよな。
だとしたら校長にらぁらの件すぐバレそうだが



21話 そふぃ様親衛隊解散回

最高だった。泣きながら笑ってた。
海辺で魚を渡して引き止めるくだり、天才だろ
親衛隊の返しが、魚に関係ないそふぃの身の回りのことなのが良い。
互いに会話が成立していないように見えて、意図するところは同じという……

みれぃのマジレスによるオチの付け方もクソワロタ




24話 校長過去回

20話で校長にみれぃママが給仕するのは意味があったのね



25話 (2クール目最終回?)

「理想の自分に変身できる」というプリパラの効果によって、校長とみれぃママは秒速してしまったという皮肉
そんなことでw とも思えるが、この展開はプリパラに伴う、見逃してはならない構造へと肉薄しているのではないか。



38話

1期38話観終えた。

ファルル、最後数話のらぁらとの絡みで一気に株を上げてきたな。
典型的な人間性ファシズムではあるが泣いた。ヴァイオレットエヴァーガーデンも観たら普通に好きかもしれん。

ファルルは結局プリパラから出なかったな。

女子の理想への変身を叶える装置であるプリパラのなかで生まれ、一切変身をしないファルルがラスボスというのは考えさせられる。(機械から学習して人間性を得ていく変化はするが)





<まとめ>

評判通りかなり面白かった。

基本的に1話完結で分かり易い落としどころ・感動ポイントがあるので視聴ストレスがきわめて少なく、また各話のテンポも非常に良いため、すいすい観進めることができる。精神安定剤として服用するオタクがたくさんいるのも頷ける。エヴァやピンドラとは大違いだった。

ただ、そのあまりの前向きさ・善性のために、連続視聴し過ぎるのもかえってツラい面はあった。だいたい6~8話ほど一気見すると善性の過剰摂取のために脳が拒否反応を起こしてくる。適度な用法・用量で使用するのが得策だろう。

特に気に入って号泣した回は上で書いてあるが、38話全体を通してダレることはほとんどなかった。やはり1話完結というフォーマット、それから毎話ライブというフォーマットの強みを感じる。毎話プリパラでのライブシーン、それも同じ曲・ダンスを使い回す手法にははじめ驚かされた(深夜アニメのアイドルものでは観たことがない)が、ニコ動のコメントの力もあって飽きることはなかった。(ファルルのソロ曲の「何曜日は○○」という歌詞に合わせて曜日ごとに視聴者が観るアニメを書き込むテンプレが、挙げられている作品名から時代性も感じられて楽しかった)

3DCGによるキャラのモデル、ダンスのモーション、ライブ演出などのクオリティは噂通りとても高かった。繰り返し鑑賞に堪える水準が保証されている。

また、そもそも「プリパラ」というアーケードゲームの販促のためにコンテンツが作られているという根底の姿勢じたいがとても新鮮だった。おそらく小中学生まで観ていたスーパー戦隊/仮面ライダー以来のことで、新鮮というより懐かしかったというのが正確かもしれない。
自分がふだん観ている深夜アニメは基本的にこうした露骨な販促要素は無いが、そうした一種の「透明性」がいかに特殊か(アニメに販促が無いのはけっして当たり前ではない)というのを思い知らされ、アニメオタクとして1つ成長できた。

観るまでは「販促ありきのアニメより、そうした露骨な商業性からは独立して純粋に作品だけの質で勝負するアニメのほうが良い」というような思想を無意識に持っていた節がある(ことに本作を観て自覚させられた)が、このテーゼは誤りだと今なら言える。「1話ごと必ず販促要素を入れなければならない」という一種の”枷”が一般に作品の面白さを損なうことはない。むしろ、創造性や面白さは、そうした枷から生まれてくるのであるとプリパラを観て感じた。完全に”自由”な媒体は存在せず、何らかのフォーマットを敷くことで初めて何かが表現できる。(これはクリシェだ)

リベラル思想的には2期からが本番らしいのだが、まだ観ていない。気が向いて観始めたらきっとすぐに駆け抜けてしまうだろうと思う。


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