My バックボーン探しの旅(仕事はツラいよ?!)
ニーチェの言葉という本の29項目目に、『仕事はよいことだ』とある。
曰く、職業はわたしたちの生活の背骨になる。背骨がなければ、人は生きていけない。仕事にたずさわることは、わたしたちを悪から遠ざける。くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。そして、こころよい疲れと報酬まで与えてくれる。
考えてみたら、今までの人生、ひとつところに長く勤めあげたというのはなかったけど(専業主婦の時代もあったから)それなりに色々な業務、色々な雇用形態で仕事して来た。
独身時代は大手ではないけどそこそこの規模の出版会社で雑誌の営業事務の仕事。本が好きだから本当は編集とか出来たら楽しかったかもだけど、そこの会社だけかあの時代だったからか?はわからないがだいたいどの雑誌も編集部の人は来るのが早い人で午後2時頃、皆が揃うのは夕方。夜中仕事して朝帰りが通常勤務。会社にいるのを見ていても、ダラダラおしゃべりしていたり緊張感があまりない馴れ合いな感じがあまり好感持てず、しかし締め切り前になると空気が一転してピリついて来て、イライラが部屋中に充満。それ周りにも迷惑じゃん?!だったら普段からもっとちゃんとしてればいいのに、と編集部の働きぶりを見ているうちにあっち側へは行きたくないと思うようになり。だけど営業の仕事も面白いかと言えばそうではなかった。新規開拓は業務になかったけど、集金とか広告の材料を受け取りに行ったり、当時まだパソコンなんてものがない時代、広告の版下も写植を貼り付けて作るのだけどスプレーのりが臭いし、みんな忙しいから机の上とかでかけるからあちこちベタベタが取れないし。臭いといえば、あの頃はタバコがどこでも吸えてさらに出版会社なんてところは、まー編集も営業も男性も女性も吸ってない人はいないレベル。灰皿はいつも溢れて机の上に汚らしい灰のカスが溜まっていて。私は、両親共にスモーカー、そして親の職業の関係で集まって来る人々ももれなくスモーカーで幼少期の頃からタバコは大嫌いで、大人になってもあんなもの絶対吸うまいと心に固く誓っていた。だからそもそも、自分がそんな会社に就職したのが間違いだった。一日中、ひとりで会社の窓という窓を開けて回る日々(空気清浄機なんてシャレたものもなかったし)。でも同期で入った人達とは気が合って、よくコンサートとかごはん行ったり、私は大学(短大)がアメリカで日本の大学生活の経験ないから、ある意味会社がそんな場所みたいで楽しかったから仕事出来ていた。
この時は正社員だったから、ボーナスもいただいて。当時バブル真っ最中で証券会社とかマスコミ関係の友人は女性でも驚く額もらってましたが、まあ比べても仕方ない。しかし、残業手当が1円もつかなかったのはさすがに・・・。営業部も忙しいのに変わりはなく、編集部と違って朝から出勤してだいたい残業、下手したら泊まったりした事もあり、若かったのと仲間がいたから出来ていたけど1ヶ月の給料を時給計算してみたら400円にもなっていなかった事実。バブルの恩恵など一切ナシ。
付き合っていた人とそろそろ結婚か?を機に、アルバイトから始めて約3年勤めて退職。高校時代から実家から遠い学校に通うので家を出て(出されて)いたので、結婚前はしばらくぶりに千葉の実家へ住むことになったが、何しろ東京と違って仕事がない!しかしちょうど新しくオープンする小学生の英語塾で先生の仕事が出来ることになり。塾の仕事は、どこもそうなんだろうと思うけど時給は確かに良いけど、それ以外にしなければいけない持ち帰りの仕事とあと予習しておかなければいけなかったり、、こちらも3年続けていよいよ結婚が決まったのでまた東京へ戻ることになったので退職。結婚して最初の子どもが生まれるまで5年あって、その間は適当にアルバイトとか派遣登録して短期の仕事をして。1人目の子どもが生まれて、6年後2人目、下の子が小学校に上がるまでの14年間はどっぷり専業主婦。
下の子が小学校に上がってから、そろそろ何か仕事を始めないと・・・という気持ちになり。その頃はまだ今みたいにスマホも普及していなかったから毎回地下鉄乗るたびに無料のタウンワークを持ち帰り、これは!という仕事に○を付けて履歴書を片っ端から手裏剣のように送ったけど、現実はキビしかった。履歴書ではなく電話でとりあえず申し込むところもあったので電話したら、チャラそうなお兄ちゃんが出て「すんませんねー、今回の募集は30代までなんすよー」と電話切られたり。その時もう40過ぎてたので・・・。自分で言うのもなんだけど、自分は歳よりは大体若く見られることの方が多い。面接まで漕ぎつければなんとかなる!と思ったけどまず年齢の壁とキャリアのなさでそこまで到達せず。最初は、時給の希望とかもあったけどあまりにも落とされまくって、もはやそんな贅沢は言ってられなくなった。とりあえず子どもが夏休みに入ったら実家で子ども達を預かってもらえることになっていたので、発想を転換して実家の近くで何かないか?と実家に行った時に新聞の求人欄を見たら球根の仕分けの募集があり、実家の近くに住みガーデニング関係の仕事をしている妹に相談してみたら「1日炎天下で地面に散らばってる球根選分け、倒れるよ!」と言われ、そうだよなー、しかも時給も東京に比べたらめっちゃ安いし、、と、やはり東京で探すことに。結構いい線まで行ったのが蕎麦屋のバイト、ネイル禁止は全然わかるけど、髪の毛を真っ黒に染めることと大晦日は必ず出勤と言われてムリかも、と。最終的に面接後、明日から来てくださいと言われたのが物流企業でのメール便仕分け。とにかくその時はやっと自分も仕事が決まった!という高揚感でいっぱいだったが、母に言ったら「なんで留学までさせてそんな仕事、、○○君(夫の名前)はあなたにそんな仕事させて平気なの?」と、なんだか人に言えないような仕事をするような下向きな気分になってしまったが、父の方は「どんな仕事だって本人が頑張ってみると言ってるんだからいいじゃないか」と応援してくれた。面接の時に、自腹でヘルメットと作業靴、軍手を買うように言われ、なぜメール便なのにそんなものが必要なんだ?と疑問はあったがとりあえず出勤。いや、メール便だからそんなに大変じゃないと思ってたら紙もまとまるとすんごい重さ。ドサッと届いた山のようなメール便をまずはその倉庫の管轄の6区に分けて、その後それぞれの区の何町何丁目単位でボックスに入れて行く作業。トラックそのまま乗り入れる倉庫だから開けっぱなしのエアコンなしでちょっと仕事しただけで大汗。無我夢中で働いて午前中終了、やれやれと思ったら「午後からはクール宅急便のお手伝いに行ってもらいます」と。えっ?!そんなの聞いてない!クール宅急便業務はベルトコンベアに乗っかって次から次へと来る荷物をピックアップして所定のコンテナへ入れる作業、終わったらもうヘトへト。仕事終わって作業靴脱いで靴下も脱いだら湯気が出て来た。1日ヘルメット被っていて髪の毛は汗でべっしゃり、茄子のヘタのようになっていて全体的に汗臭くてとても仕事帰りに寄り道など出来ず。私と同じ日にバイトに入った人が何人かいたけど、若い男の子はすぐに来なくなって残ったのはもう後がない私のようなおばちゃん達。やっぱり根性が違う。しかも1週間で2キロも痩せて仕事しながらダイエットも。転んでもタダでは起きんわー。当初1ヶ月限定アルバイトだったけど、まだ続けられるなら続けて欲しいと言われ、延長。しかし、シフトが朝7時から午後3時で夏休みで子ども達が不在の時はまだ良かったけど、朝は5時30分に出なきゃで学校始まったら子ども達より早く家を出ることになり、夏はその頃から明るいからいいけど、だんだんと日も短くなって来て朝起きても暗いし、朝出勤前に洗濯物干すのは大体4時で干しながら一体自分は何をやっているんだ、と気が滅入って来て。
職場も暑いとはいえ夏の間は汗をかいて肉体労働の爽快感もあったけど、元々寒いのが苦手なのに暖房ナシ開けっぱなしの職場は冷蔵庫。足の裏含め全身ホカロン貼っていてももう芯まで冷える。とどめは、年末になり普通の宅急便とクール宅急便が普段の倍以上になってメール便ではなく1日そちらに回って1日通常宅急便はアマゾンのプレゼント攻撃、クール宅急便は冷凍クリスマスケーキ、おせち、新巻ジャケに追われて。専業主婦の頃のママ友さんにそんな話をしたら、大変ねー、私には出来ないわー。だいたい、その仕事似合ってないよ」と言われたけど、大変でも似合ってなくてもなんでもそこに放り込まれたらやるしかないんだ!と。その頃、たまたま女性誌・テーマは『ママになってもキラキラしたい!お仕事もしたい!』という記事を見たら復職は文房具メーカーの事務♪とあり、ロングの巻き髪に高そうなスーツの上下、ブランドバッグを下げて出勤とあって、あまりにも現実離れというかヘルメットに作業靴の自分とは遠すぎてすぐに雑誌を閉じた。今でも覚えているのがツィッター(当時)で森永卓郎氏が「どんな仕事でもこんな時代に仕事をしていること自体が尊い」という投稿をしていて、その言葉にずいぶん励まされた。しかし、さすがに寒さと疲れ、腰痛も発症して限界を感じ半年で退職。だが今でも働き出した最初の仕事がそこで、社会の縮図を見た気がして勉強になった。若い女性社員さんがフォークリフトを器用に操縦しているのを見て、カッコいい!私も免許取ろうかなと一瞬思ったりもして。毎朝、田町の駅にあるそこの会社専用のバス停からバスに乗り、橋を渡って倉庫に行くのだけどバス停にバスが着くと夜勤終えた人達が降りて来て。バスの中にはなんとも言えない疲労の空気が重く漂い。バイト以外の社員さんと話す機会もあったりすると、有名外資系の企業で働いていたけどメンタル病んでしまってこちらへ転職、「ここは疲れるのはカラダだけだからいいよ!」と言ってたり。そこで働いて以来、家に届けてくれる宅配の人にも心からいつもありがとうございます!という気持ちになり。
物流仕事で私がくたびれ切っているのを見るに見かねて?!子どものママ友さんが短期のお仕事を紹介してくれたりしてなんとか仕事をつないでいき。そのパターンは直接そのママ友さんと関わる訳ではなく、きちんと勤務先が決まっていてそこで派遣登録みたいな形で働いていたから良かったけど、直接知り合い関係でのお仕事は本当に失敗だった。その頃、たまにランチへ行っていたまた別のママ友さんがいたのだけどその人の旦那さんが外資系保険会社でトップになったことのある人物で、その後自分でコンサル会社を起こしていて私が仕事探してる、という話をしたら「パパのところでお手伝いしてくれたら」と言ってくれて。その旦那さんとは、何度か子どもの交流の時に顔を合わせたことはあるけど話はしたことがなく、働くにあたって面接に行ったらいきなり自分の自慢話が始まって、いつになったら具体的な仕事内容の説明があるのかと思ってずっとはあ、はあ、それはすごいですねと聞いていてようやく自慢話が終わったら唐突に給料いくら欲しいですか?と聞かれ、えっと思ったら向こうがこれでいいですか、と金額を提示、時間もこちらでいいですかね、それで良かったらじゃあお願いします、と一方的に告げて去っていった。まあ、その時の印象がここで働いて大丈夫なんだろうか・・・だったけど、やっぱりその直感は正しく、とにかく自分を大きく見せることに意識を集中しているような、いいこと言うけどすべてが表面上だけ。まあそれをブランディングとも呼ぶのだけど。そこで働いている女性2人もそれぞれクセが強すぎるし、どっちかが不在の時はもうひとりの悪口、社長とはどういう関係なのか謎だし。仕事内容もよくわからなかった。そのうちに最初に向こうが決めた給料も私がその金額を提示したものでもないのに、やっぱり時給にしてくださいと言って来て。言われた時給も物流会社で働いている時の時給と一緒で、だったら余分なストレスない分、まだそっちの方がマシ。結局、数ヶ月でストレスで出来たことのない吹き出物が顔中に広がって辞めたけど、それ以来そのママ友さんにも連絡していない。そこで得た教訓は、とにかくなまじ知り合いのところでは絶対に働かない方がいい!ということ。知らなければあの人いい人だよね、で終わっていたのが仕事で関わると色々な部分が目に見えて来てしまって。そして辞める時も、間に入ってくれた人の顔を潰す訳にいかないとか気を遣ってホントに仕事以外の余計なストレスが大きすぎる。
もう知り合い関係は懲り懲り、と派遣会社何社か登録してみたけど年齢の問題もあるのかとにかく決まらない時は全然決まらなく、それはそれで自分を完全否定されている気持ちになり、メールが来るたび最初の文面で、またダメか、、とガクッ。ようやく仕事が決まったのが区役所。物流業務はとりあえずカラダが資本だったけど、今の時代事務の仕事はまずはパソコン。最初に勤めていた出版会社を辞めるちょっと前に、マッキントッシュの四角いパソコンが初めて導入された世代なので生まれた時からパソコンある生活の若い者にかなうワケがないし、もうわからないことを聞くのが恥ずかしいという年齢でもなかったからどんどん聞いて、おかげさまでずいぶん上達した。
そこの区役所で4年近く働き、一度区役所で働くとその次も区役所の仕事がけっこうすんなり決まって、結局2つの区役所で合計8年くらい勤務。区役所というところは、住民票だの戸籍だのを取りに行く時とか用がある時以外は行かないのが自分も含めて大多数だと思うけど、働いてみてわかったのはそうでない人もけっこういるんだ、、と。なんなら毎日窓口に来ている常連さんも、、だいたいお年寄り。話を聞いてもらいたいだけなんだけど、ああ毎日長時間来られたら職員の人も仕事どころじゃなく、しかし職員さんは優しく聞いてあげていて。あとは電話もけっこうかかって来るのだけどその電話もメンツはだいたいいつも一緒。こちらはお年寄りというよりはちょっと何か病んでる感じで。電話をとって、ああいつもの人だ、、と思ってその人が指名する職員さんに代わってもらおうとしたらちょうど離席中、そのことを伝えたら急に私に向かって色々と文句を言って来て、なんで対応が出来ないの?!と怒鳴られたから私は派遣なので、と伝えたら派遣なんかに用はないわよ!とガチャッと一方的に切られ。ある時は窓口に見た目からして横柄な中年男性が現れた、と思ったらびしょびしょの傘を窓口のカウンターにバーンと置いて、「私は高額納税者だ!」と大声で。そしたら隣の窓口で相談していたおじさんが、「おい、濡れた傘そんなところに置くな!」と怒り。しかし、自称高額納税者は謝りもせず、また私は高額納税者だ!と、、いや、たとえそうだとしても濡れた傘をそんなところに置いていい権利はないでしょうが。その後もずっと横柄でキレ散らかしていて、あまりにも酷いから動画撮影しておこうかと思ったくらい。感心するのは職員の人もそういう人の扱いに慣れていること。いちいち気にかけていたら務まらないんだろう。公務員は確かに安定かも知れないけど、区役所は特別職(建築など)以外は3〜4年で部署異動があるから窓口業務とかはホントに色々と引きずってしまう人は大変だろうな、と。最近、区役所とかにも『ストップ!カスハラ!』というポスターが貼ってあるのはいいことだと思う。区役所は誰でも来られちゃうのがいいところでもあり、そうでなくもあり。もはやカスハラと言うよりクミハラ(区民ハラスメント)。しかし職員の方も、レベルというか差が大きいな、ということは感じた。優秀な人は本当に素晴らしい、もっと違うところでも活躍出来るんじゃない?とアドバイスしたくなってしまったりだけど、言っちゃ悪いけど中には税金泥棒と呼ばれても仕方ないような方もごく少数ですがいらっしゃり。しかしその世界は完全なる年功序列なのでどんなにシゴ出来でもサボっていても給料変わらないという。区役所みたいな場所で長く働くには、些細なことで怒ったりイライラしない、とかそういう特性が必要な気がした。競争社会ではないから、だいたいの人が穏やかでいい人、たまたま私が恵まれていたのかもだけど。何かで当ててみたい!という人には向かない職業かも、だけど物流業界同様、まあどんな仕事も多かれ少なかれそうなんですが、そこで働いてくれている人達がいるから社会が滞りなく回ってくれているので。
元々が出版会社勤務だし、家族親戚一同、あまり固い職業とは縁がないハズなのに、なぜか区役所連チャン、その次は国立大学のお仕事が決まり。本郷三丁目にある大学で2ヶ月限定。こちらはキャンパスが広くてお昼もあちこち食べられる場所に困らず、学食も充実、スタバもあるし環境は素晴らしかった。さすがにこちらの学生さん達は学食で食べてる間も友達との話題は勉強、しかも笑いながら。そしてキャンパス内のドトールのテラスでランチしていたら教授らしき方々が「テラス席はミラノ以来ですよー、ハハハ」と。
なんかもう会話のスケール違いすぎ。そしてなぜかこちらもシリーズ化して、続いてお茶の水にある国立大学での勤務。こちらは1年限定。私は区役所でも国立大学でも、仕事は主に経費精算(元々理系でもなく数字も得意でないのに)で、こちらの大学でもその業務だったがここでの仕事は、レアな体験だった。動物実験用のマウスの搬入立ち合い、それに伴う実験室の予約管理、麻酔の貸し出しなど。まったく知らなかった世界。こちらの大学は実は私の家の近くで歩いて通勤していたのだが、自分自身が小さい頃こちらの大学病院の歯医者に通っていたことがあり、歩いて病院の近くに来るといつもたくさんの犬の鳴き声が聞こえて来て。なんでだろう?と不思議に思い。その後、親の仕事の関係で東京を離れたのでこちらの歯医者に通うこともなくなり犬の鳴き声のこともすっかり忘れていたのだが、今回こちらで働くようになり、あの鳴き声は動物実験用の動物のものだったのでは!?と気がついて。現在は、動物達は防音の建物の中で管理されているから鳴き声が聞こえることはないし、1年に1度、実験動物慰霊祭も行われている。倫理観、飼育環境も時代と共に変化してゆくものなのだろう。こちらの大学では予算の関係で派遣を雇うのは1年限定だけど、よかったらこの先も職員として引き続き働いて欲しいと打診され。とても有り難かったのだが、こちらでの勤務は動物達の健康状態優先のため、日光がまるで当たらない・どんなに土砂降りでもカンカン照りでもまったく外の様子がわからない・狭い部屋にもうひとりの人と1日中ずっと一緒にいないといけないという閉塞感を感じていたのでせっかくですが、とお断りした。
本郷三丁目の大学では、職員の方との関わりが主で直接教授の方と関わる機会はあまりなかったけど、こちらの大学では教授から直に仕事を教わるため、何人かの教授との関わりがあった。皆さん良い方々だったが、頭が良すぎてちょっと変わってる方が多い印象。病院の先生方とも接点があり、未来の医療の発展のために日々研鑽を重ねている姿に感銘を受けた。
仕事の契約が終了して、次がなかなか決まらない時には繋ぎで短期アルバイトも。面白かったのは、中学生のテストの採点バイト。想像したのは、赤ペン片手にひたすら答案用紙と格闘、だったけど実際は高層ビルのワンフロアを借り切って何百人もの人達がパソコンで作業。全国で行われるテストの採点だから、日本中の中学生の答案用紙をこなすため、まずは英数国のグループ分けして毎日同じ箇所の答え合わせを延々と。私は国語担当だったけど、SNSで見かける珍回答ってヤラセなのかな?!と思っていたが、いやいや中学生の脳みその柔軟性はすごすぎた。会場は私語厳禁でシーン・・・としているのだが時々登場する珍回答に笑いを堪えるのが大変だった。
短期では、あとひたすら1日中データ入力という仕事もした。これはカラダ的にキツかった。誰とも喋ることなく、自分が機械の一部になったかのようにひたすら入力・・・カラダが固まって、朝、全身が痛くて起きられなくなってしまった。たまりかねてヘッドマッサージへ行ってみたら施術してくれる人が私のアタマを触った瞬間、わっ!と小さく叫んで「お客様、アタマがボーリングの球のように硬くなっています!」と、、この仕事は2ヶ月と期間決まっていたから良かったけど、それ以上は自分にはムリ。給料以上に整体とか眼科とか頭痛外来とか健康維持にお金かかってしまう。しかし仕事している時にちょっと話した同じバイトの人は、人と関わる仕事が苦手だからむしろこういう仕事の方がいい、と言っていて。そうか、仕事って誰かにとっては苦痛でも違う人にとってはやりやすい、だとか向いている、ってことになり、上手いこと出来てる。
仕事内容は、1番最初の物流会社以外はどこで勤務してもまあ大体似たような感じではあるし、そこで何かを達成したい、とか大それた希望があるわけではないから仕事内容での辛さというのはない・ただ暇はホントに辛い・けれど、今まで2箇所、どうにもその職場の雰囲気とか働いている人がダメでメンタルやられそうになって自分から辞めたことがある。カラダの辛さは寝れば治るけど、メンタル辛さはどうしようもない。
一言で言って、意地悪な人がいる職場はムリ。
今の職場はオフィスもキレイで、人も良いし、仕事内容にも文句はなく3年勤務して来たけど、最近になり心が揺れることがあり。
派遣で働いているのは自分で選んでいることだし、ボーナスは出ないことや在宅勤務が出来ないことなどはもちろん承知の上。
しかし、この前夏のボーナス前に会社内用のサイトを見たら、昨今の物価上昇を踏まえて社員には通常のボーナスに加えて15万円支給とあって。さらに、会社の業績が良いのか給料が14%くらいUPするとの記載も。
知らなくていいことは知らない方が幸せなのかも知れない。だけど知ってしまったからモヤモヤして来て。物価上昇は皆平等に困っているワケで、それは派遣も一緒。その意味合いの支給であるなら、同じ額とは言わなくても少しは社員以外にも支給してくれたりしたら、わー、そこの会社はすごい理解ある!器が大きい!ってなるんじゃないか。さらに言えば、自分は3年勤務してその間、時給は10円も上がっていない。しかし派遣の場合、そんな文句を言えばじゃあもっと条件のいいところを探したら?ってなり、それはもっとも、でも生意気なことを言うようだけど、雇っている側としたって数年働いて仕事覚えて周りの人達ともうまくやっていけてる人がやり甲斐キープ出来るようにした方が、また一から新しい人に仕事教えて覚えてもらう作業よりよほど効率がいいと思うのだけど。
それと、自分で選んで納得しているとは言え、やっぱり社員の人との間にはいろんな場面で距離を感じることがあり。
ひとつ気になり始めると、今まではわかっていて割り切っていたこともいちいち気になるようになり。
かと言って、では社員になって働くというのも正直もうキツいな、と。
そんな風にウダウダと考えてしまうのも時間のムダのような気がして来ているのも、自分が今年還暦になったからなのもある?
契約して勤務している間は、自分のためにも楽しく仕事しようとずっと心がけているけど、それが難しくなって来たらやっぱり違うことを考えないとダメかな、と。
今まであちこちの場所で、その時その時にフィットした背骨で自分なりにベストを尽くして来てほんの少しは世の中にも貢献出来たりしたかも知れない。
1番は生活のために、今後も仕事はして行かなくては。仕事は好きだし、働けるうちは働こう!って考えだからこれからも頑張るつもりだけど、子ども達もほぼ自立した今、見返りを期待するワケではないけど自分が納得する人生を送るために、自分の心が動くこと、もしかしたら自分にしか出来ないことを仕事にしてみたいと強く思うようになった。
まずは、小さな一歩から!
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