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その仕事は、いつからその人の仕事になったのだろう―曖昧な役割を、誰かが補っている組織でー

1.「それ、誰の仕事だっけ?」

職場には、ときどき「これ、誰の仕事だっけ?」となる仕事があります。

新しく始まった仕事だったり、いくつかの部署にまたがっていたり。以前は誰かがやっていたけれど、その人が異動や休職、退職をしたあとになって、正式な担当者が決まっていなかったことに気づく場合もあります。

誰の仕事かは、はっきりしない。
でも、仕事そのものは待ってくれません。

お客さまへの連絡が必要だったり、今日中に何かを決めなくてはいけなかったり。誰かが対応しなければ、次の仕事も止まってしまいます。

そしてまた、その仕事について少し知っている人が対応します。

前に似たようなことをしたことがある。関係者の連絡先を知っている。たまたまその場にいて、声をかけられた。あるいは、困っている人をそのままにしておけなかった。

最初の理由は、ちょっとしたことだったかもしれません。

そして、その人がひとまず対応したことで、仕事は先へ進みます。

大きな問題にはならなかった。
お客さまも困らなかった。
周囲の人も、ほっとした。

その場では、それでよかったのだと思います。

でも、仕事が無事に進んだあと、「次からは誰が担当するのか」まで話されるとは限りません。

すると、同じようなことが起きたとき、前回対応した人に、また声がかかります。

「前にもやっていましたよね」
「この件なら、あの人に聞けば分かると思います」

そうして、一度だけの対応だったかもしれない仕事が、少しずつその人のところへ集まっていきます。

正式に任されたわけではない。
役割として決められたわけでもない。

でも、周囲から見ると、その人の仕事のようになっている。

その仕事は、いつからその人の仕事になったのでしょう。

もしかすると、はっきりした境目はないのかもしれません。

2.対応できた人が、対応する人になっていく

一度対応した人には、その仕事についての経験が残ります。

誰に連絡すればよいのか。
どこに必要な情報があるのか。
どんな順番で進めればよいのか。

最初は手探りだったとしても、一度経験している分だけ、次は少し対応しやすくなります。

周囲から見ても、まったく知らない人に頼むより、以前対応した人に聞くほうが自然です。

「あのときは、どうしましたか」
「今回もお願いできますか」

そうやって声をかけられることもあれば、特に誰からも頼まれないまま、同じような連絡が届くこともあります。

「ああ、また来ているな」

そう思って、そのまま対応する。

前回も自分がやったから。
誰も動いていないから。
このままにすると仕事が止まるから。

最初に動いたのも、何か特別な能力があったからとは限りません。

困っている人を放っておけなかった。
そのとき一番急いでいた。
その仕事が進まないと、自分が一番困った。

そんな事情や善意から、目の前の仕事に手を伸ばすこともあります。

そして、対応する回数が増えれば、知っていることも増えていきます。

知っていることが増えると、さらにその人のところへ情報が集まるようになる。情報が集まるから、またその人が対応する。

対応できた人が、いつの間にか「対応する人」になっていきます。

本人も、その変化をはっきりとは意識していないかもしれません。

また来ているから対応した。
前回のことを知っているので、今回もその続きを進めた。
誰かに説明するより、そのまま自分で済ませたほうが早かった。

その一つひとつは、自然な判断に見えます。

周囲も、その人に仕事を押しつけようとしているわけではないのだと思います。

誰に頼めばよいか分からない。
でも、以前対応した人なら知っているかもしれない。

そんな小さな安心から、その人に尋ねたり、その人が見えるところへ情報を置いたりします。

ただ、それが重なると、「知っていますか」という確認が、「お願いします」という依頼に近づいていくことがあります。

さらに繰り返されると、依頼する言葉さえなくなり、その人が対応することが自然な前提になっていきます。

その人の予定に、いつの間にか仕事が入っている。
関係する連絡が、だんだんその人宛になる。
問題が起きると、まずその人の名前が挙がる。

誰かが正式に決めたわけではなくても、周囲の認識の中では、その人が担当者になっていく。

対応できるようになったから任されるのか。
任され続けたから、対応できるようになったのか。

その二つを、あとから分けるのは難しいのかもしれません。

3.曖昧さがあるから、仕事が進むこともある

役割や責任は、明確なほうがよい。

そう考えるのは、とても自然なことです。

誰が担当するのか。
誰が判断するのか。
何か問題が起きたとき、誰が解決に向けた対応を主導するのか。

それが分かっていれば、迷う時間は減ります。何かあったときにも、相談する相手を探し回らずに済みます。

でも、実際の仕事では、すべての役割をあらかじめ決めておくことは難しいのだと思います。

これまでになかった依頼が来ることもあります。人の異動や休職、退職によって、それまでの役割分担が急に変わることもあります。いくつかの部署にまたがり、どこか一つの仕事とは言い切れないこともあります。

小さな組織では、一人がいくつもの役割を持っていることも珍しくありません。

そのたびに、正式な担当者や判断の手順が決まるまで待っていたら、目の前の仕事が止まってしまうことがあります。

だから、その場にいる人たちで相談する。
分かる人が、分かるところまで進める。
その時、手の空いている人が少し手伝う。
必要であれば、普段の役割を越えて対応する。

そうした動きによって、仕事が先へ進むことがあります。

そこには、役割の曖昧さだけでなく、助け合える余白もあります。

「これは自分の仕事ではありません」と境界線を引くことが、いつも組織にとってよいとは限りません。

担当ではなくても、少し事情を知っている人が間に入る。困っている部署があれば、別の部署から手を貸す。決められた手順だけでは対応できないことを、その場にいる人たちで考える。

そんな柔軟さに助けられた経験は、多くの職場にあるのではないでしょうか。

役割が曖昧だから仕事が進まないこともある。
でも、役割が曖昧だからこそ、動けることもある。

曖昧さそのものは、いつもよいとも、悪いとも言い切れなさそうです。

ただ、その曖昧な部分を、いつも同じ人が補うようになったとき。

助け合いとして始まった動きが、少しずつ、別の意味で受け取られるようになるのかもしれません。

4.仕事が進むほど、曖昧さは見えにくくなる

曖昧な部分を誰かが補い、仕事が予定どおりに進んでいる。

お客さまへの連絡も済んでいる。
必要な判断も行われている。
大きなトラブルも起きていない。

外から見れば、特に問題はないように見えます。

誰が担当するのかが決まっていなくても、誰かが対応している。判断する人がはっきりしていなくても、現場では必要な判断が行われている。

結果だけを見れば、仕事は回っています。

でも、その仕事を進めるまでに、誰かがいくつもの確認をしているかもしれません。

過去のメールを探す。
事情を知っていそうな人に尋ねる。
関係する部署の間に入る。
どこまで進めてよいのかを考える。
相談する相手が分からず、ひとまず自分で判断する。

こうした動きは、仕事の結果には現れにくいものです。

報告されるのは、「対応が完了した」という事実です。その途中で、誰がどれだけ迷い、探し、調整したのかまで共有されることは、ほとんどないでしょう。

その人が、本来の役割を越えて動いたことも、「完了」という結果の中に隠れてしまいます。

経営側や上層部も、役割を曖昧にしておこうと考えているわけではないのだと思います。

仕事が止まっていなければ、正式な担当者が決まっていないことに気づきにくい。必要な判断が行われていれば、判断する人が明確になっていないことも見えにくい。

ジョブディスクリプションが実際の仕事とずれていても、現場で誰かがその差を補っていれば、ずれていること自体が表に出てきません。

仕事が進んでいることが、役割の曖昧さを見えにくくしている。

そして、曖昧さが見えないから、これまでと同じように仕事が流れてくる。

誰かが困っているようには見えない。
何かが止まっているわけでもない。

だから、役割をあらためて確認する理由も、なかなか生まれません。

うまく回っているように見えるとき。

その仕事が、決められた役割によって進んでいるのか。
それとも、誰かが見えないところを補っているから進んでいるのか。

その業務が進む過程を見ないまま、結果だけを見ていると、その違いには気づかないことが多いように思います。

5.仕事だけでなく、判断も集まる

同じ仕事に何度か対応していると、その人のところには、作業だけでなく質問も集まるようになります。

「この場合は、どうすればいいですか」
「前回は、どのように対応しましたか」
「これは、そのまま進めても大丈夫ですか」

最初は、知っていることを答えていただけかもしれません。

以前の対応を覚えている。
過去のメールを見つけられる。
関係者がどのような事情を持っているか知っている。

そうした情報を伝えることで、次の人が判断できることもあります。

でも、何度か質問に答えているうちに、少しずつ聞かれ方が変わっていきます。

「前回はどうしましたか」という確認が、
「今回はどうしましょうか」という相談になる。

さらに、その相談が、

「どうするか決めてもらえますか」

という判断の依頼に近づいていくことがあります。

正式に判断する役割を与えられたわけではない。
決めてよい範囲を確認したわけでもない。

それでも、その人が答えなければ仕事が進まない。

だから、分かる範囲で考える。過去の対応や周囲の事情をもとに、その場でできる判断をする。

その判断で仕事が進めば、次に同じことが起きたときにも、その人のところへ相談が来ます。

相談されるから判断する。
判断するから、さらに事情に詳しくなる。
事情に詳しくなるから、また相談される。

そうして、仕事だけでなく、判断もその人のところへ集まっていきます。

本人は、何かを決定しているつもりではないかもしれません。

目の前の仕事を止めないために、分かることを伝えた。誰も決めていないことについて、ひとまず前に進むようにした。その時に必要な対応をした。

でも周囲から見ると、その人に聞けば答えが返ってくる。

やがて、何かを始める前に、その人へ確認することが自然になっていきます。

一方で、その人に正式な権限があるとは限りません。

どこまで決めてよいのか。
どの段階で上位者へ相談するのか。
判断した結果、何か問題が起きたときは、誰が解決に向けた対応を主導するのか。

その境界が曖昧なまま、日々の判断だけが積み重なっていくことがあります。

役職や組織図には現れていない。
ジョブディスクリプションにも書かれていない。

でも、実際の仕事の流れの中では、その人の判断を通って物事が進んでいる。

判断が集まっていることは、業務が集まっていることよりも、さらに見えにくいかもしれません。

6.忙しいから、残す時間がなくなる

仕事や判断が集まるようになると、その人が知っていることも増えていきます。

どこに情報があるのか。
誰に確認すればよいのか。
どの順番で進めるのか。
どんなときに、いつもと違う対応が必要になるのか。

同じ仕事を繰り返すうちに、その人の中では、それらが少しずつつながっていきます。

初めのうちは迷っていたことも、やがて自然にできるようになります。

一方で、その人が知っていることを、ほかの人も分かる形で残そうとすると、別の時間が必要になります。

過去の資料を整理する。
作業の順番を書き出す。
判断の基準を言葉にする。
初めて読む人にも分かるように、前提や例外を補う。

自分で仕事を進めることと、人が進められるように残すことは、同じではありません。
自分なら、過去の経験から次にすることを思い出せる。分からないことがあっても、誰に聞けばよいかを知っている。

でも、それを誰かに渡すためには、自分が無意識に補っていることまで見つけ、言葉にする必要があります。

その作業には、目の前の仕事を進めるときとは違う時間と集中が必要です。

ところが、仕事が集まっている人のところには、今日中に対応することが次々と届きます。

連絡を返す。
判断を求められる。
関係者の間を調整する。
止まりそうな仕事を、ひとまず前へ進める。

手順を残したり、ほかの人に説明したりすることは大切です。

でも、今日やらなければ仕事が止まることと、いつか必要になる引き継ぎを比べると、目の前の対応が先になることも多いでしょう。

「落ち着いたら整理しよう」と思う。
でも、落ち着く前に次の仕事が来る。

そうして、知っていることは増えていくのに、残されているものは増えていかない、という状態が生まれます。

一歩踏み込んで見なければ、周囲には、その人が忙しくしていることだけが見えるかもしれません。

何に時間がかかっているのか。
どれだけの確認や調整をしているのか。
本来の役割に含まれていない仕事が、どれだけ混ざっているのか。

そこまで見ようとしなければ、「もっと効率よくできないのだろうか」とか、「仕事をブラックボックスにしているのではないか」と受け取られることもありそうです。

その人に仕事が集まる。
仕事が集まるから、残す時間がなくなる。
残されていないから、ほかの人には分からない。
分からないから、またその人のところへ仕事が集まる。

文書化や人材育成が進まないことだけを見ると、本人の取り組み方の問題に見えることがあります。

でも、その前に、残すための時間がどのように失われているのか。

そこにも、目を向けてみる必要があるのだと思います。

7.その人がいない日に、見えてくる

いつも対応していた人が、休む日があります。

予定していた休暇かもしれません。急な体調不良かもしれない。異動や休職、退職によって、職場を離れることもあります。

その人がいないまま、いつもの仕事が始まります。

すると、それまで表に出ていなかったことが、少しずつ見えてきます。

届いた連絡に、誰が返信するのか分からない。
どこに必要な資料があるのか分からない。
いつもと違うことが起きても、誰に確認すればよいのか分からない。
判断が必要になったとき、誰が決めるのか分からない。

手順書が残っていても、それだけでは進められないこともあります。

書かれている順番どおりに進まないとき、どうするのか。過去の経緯から、今回は何に気をつけるのか。関係する人たちへ、どの順番で声をかけるのか。

いつも対応していた人は、そうしたことを、その場の状況に合わせて補っていたのかもしれません。

その人がいないことで、突然、仕事が難しくなったように見えます。

でも、その日に新しい問題が生まれたわけではないのでしょう。

誰が担当するのか。
誰が判断するのか。
何か問題が起きたとき、誰が解決に向けた対応を主導するのか。

それらが決まっていない状態は、その人がいる日から続いていた。

ただ、その人が対応することで、見えなくなっていたのだと思います。

不在の日には、ほかの人たちが仕事の流れをたどることになります。

過去のメールを探す。
知っていそうな人に尋ねる。
複数の部署へ確認する。

分からないままでも、どこかで進め方を決める。
そこで初めて、いつもその人がしていたことの一部が見えてきます。

それは、業務一覧に書かれている作業だけではないかもしれません。

情報を探すこと。
人と人の間をつなぐこと。
曖昧なところを確認すること。
止まりそうな仕事を前へ進めること。

それまで「その人の仕事」と思われていたものの中には、本来の担当が決まっていない仕事や、誰かがその都度補っていた仕事が混ざっている可能性があります。

その人がいない日に見えてくるのは、その人しか知らないことだけではありません。

その人がいることで、見なくても済んでいたこと。

組織の中にあった役割の曖昧さが、仕事の流れの中に現れてくるのかもしれません。

8.すぐに役割を決め直さなくてもいい

役割の曖昧さが見えたとき、すぐに担当者を決めるという動きになることが多いかもしれません。

誰か一人を責任者にする。
業務分担表を書き直す。
手順書を作るように指示する。
これからは、この流れで対応すると決める。

仕事を止めないためには、必要な対応かもしれません。

でも、見えてきた問題をすぐに整理しようとすると、それまで起きていたことが、また見えなくなる場合があります。

その仕事は、どこから始まったのか。
これまで、誰がどこまで対応していたのか。
どの部分で判断が必要になっていたのか。
なぜ、正式な担当者がいないまま仕事が続いてきたのか。

そこを見ないまま新しい担当者を決めれば、これまで曖昧だった仕事が、その人の役割として置き直されるだけかもしれません。

手順書を作ることにしても、同じです。

実際の仕事の流れが見えていなければ、書かれている作業だけが整理されます。その途中で行われていた確認や調整、判断は、また誰かが補うことになります。

だから、役割を決め直す前に、しばらく観察してみる。

まず、起きている出来事を置いてみます。

誰宛てか分からない連絡が届いた。
担当者が分からず、何人かに確認した。
判断する人が見つからず、現場で対応を決めた。
いつもと違う人が対応したため、仕事に時間がかかった。

そこに生まれた感情も、出来事とは分けて置いてみます。

面倒に感じた。
自分が引き受けることに抵抗を感じた。
誰かが対応してくれて、ほっとした。

そして、その出来事をどのように解釈したのかも見てみます。

お客さまからの連絡が煩雑だ。
これは、自分がやらなくてもいい仕事だと思った。
引き継ぎをしていなかった人に問題がある。
対応に時間がかかった人は、仕事の進め方がよくない。
特定の人しか分からないようにしていた。

そう見えることもあるでしょう。

でも、それは起きた出来事そのものではなく、その出来事に対する解釈です。

さらに、確認できる測定結果があれば、隣に置いてみます。

何人に確認したのか。
対応までにどれくらい時間がかかったのか。
いくつの部署をまたいだのか。
途中で何回、判断が必要になったのか。
正式な業務一覧にない対応が、いくつあったのか。

出来事、感情、解釈、測定結果。

それらを分けて置いてみると、「誰が悪かったのか」とは違うものが見えてくるかもしれません。
どこで仕事が止まりやすいのか。
どの判断が、特定の人に集まっていたのか。
どの部分を、誰かの善意や経験が補っていたのか。

役割を決め直すのは、それを見たあとでも遅くないのだと思います。

すぐに答えを出すのではなく、まず、これまで仕事がどのように進んでいたのかを観察してみる。

それが、曖昧さを整理していく最初の一歩になるのかもしれません。

9.曖昧さにも、種類がある

仕事の流れを観察してみると、これまで同じように見えていた曖昧さにも、少し違いがあることに気づくかもしれません。

例えば、状況に応じて柔軟に動くために、あえて担当を細かく決めていない仕事があります。

その時に手の空いている人が対応する。
事情が分かる人が途中まで進める。
関係する人たちで相談しながら、やり方を決める。

誰が対応してもよいことが共有されていて、困ったときに相談する相手も分かっている。

このような曖昧さは、人が助け合ったり、状況の変化に合わせたりするための余白として働くことがあります。

一方で、人の異動や休職、退職などによって、一時的に担当者が決まっていないこともあります。

いまは移行の途中にある。
新しい体制が決まるまで、何人かで補っている。
落ち着いたところで、あらためて役割を整理する。

曖昧な状態ではありますが、周囲がそのことを知っていれば、途中の状態として扱えます。

でも、担当者が決まっていない業務があること自体が、認識されていない場合もあります。

具体的に何をしているのかは、周囲の人からはよく分からない。
でも、とりあえず業務は回っているので、問題はないように見える。

実際には、その人が過去の経験や周囲との関係を使いながら、その都度、曖昧な部分を補っている。

この曖昧さは、仕事が進んでいるあいだは見つけにくいものです。

さらに、一時的な助け合いが繰り返され、いつの間にか特定の人の役割として扱われていることもあります。

本人は、必要なときに手伝っているつもりかもしれない。
周囲は、その人が担当していると考えているかもしれない。
経営側や上層部には、役割どおりに仕事が進んでいるように見えているかもしれない。

同じ仕事について、立場によって異なる解釈が生まれています。

曖昧さがあるかどうかだけではなく、その曖昧さがどのように扱われているか。

誰が対応するか決まっていないことを、関係する人たちは知っているのか。
困ったときに、相談する相手は分かっているのか。
一時的な対応なのか、これからも続く役割なのか。
本人と周囲で、その仕事に対する認識は合っているのか。
いつも同じ人が、見えない部分を補っていないか。

そこを見てみると、残しておける曖昧さと、あらためて整理したほうがよい曖昧さを分けられるかもしれません。

すべての仕事に、細かな境界線を引く必要はないのだと思います。

でも、誰かが補っていることに気づかないまま、あるいは、その人がどのように補っているのか分からないまま残されている曖昧さは、ときどき立ち止まって見てみる必要がありそうです。

10.誰かが補ってくれているあいだに

誰かが曖昧な部分を補ってくれているあいだ、仕事は静かに進みます。

必要な連絡は返される。
その時に必要な判断も行われる。
いくつかの部署にまたがる仕事も、誰かが間に入ることで先へ進む。

大きな問題が起きていなければ、あらためて役割を確認する機会は、なかなか生まれません。

それは、組織が役割を曖昧にしておこうと考えたからとは限らないでしょう。

その時にできる人が対応した。
困っている人がいたので、誰かが手を貸した。
仕事を止めないために、分かる人が前へ進めた。

一つひとつは、その場に必要な動きだったのだと思います。

でも、その動きが繰り返されると、誰かが補っていること自体が見えにくくなります。

どこからが本来の仕事で、どこからが役割を越えた対応なのか。本人にも、周囲にも、はっきり分からなくなっているかもしれません。
だから、誰かがいなくなり、仕事が止まってから確認するのではなく、その人が補ってくれているあいだに見てみる。

観察を始めるきっかけは、大きな問題でなくてもよいのだと思います。

「あの人がいてくれるから安心」と感じる。
誰かが担当している仕事が、ブラックボックスに見える。
「あの人が急に休んだら、きっと困るだろうな」と感じる仕事がある。

そんな小さな安心感や違和感の中に、誰かが役割の間を補っていることが表れているかもしれません。

誰宛てか分からない連絡に、誰が返信しているのか。
担当者が決まっていない仕事を、誰が前へ進めているのか。
判断に迷ったとき、誰のところに相談が集まっているのか。
何か問題が起きたとき、誰が関係者の間に入っているのか。

そこで見つかったものを、よい・悪いと評価する必要はないと、ぼくは思います。

本人が進んで引き受けているのかもしれない。必要に迫られて対応しているのかもしれない。周囲も、正式な担当者だと思っているのかもしれない。

同じ出来事でも、それぞれの立場からは違う意味に見えていることがあります。

まず、起きている出来事を見る。
そこで生まれている感情を置いてみる。
それぞれが、どのように解釈しているのかを分けてみる。
確認できる測定結果があれば、隣に置いてみる。

そうして観察したあとであれば、明確にしたほうがよい役割と、柔軟さとして残したほうがよい部分を、少し考えやすくなるかもしれません。

その仕事は、いつからその人の仕事になったのでしょう。

正式に任された日があるわけではないかもしれません。

一度、届いた連絡に返信した日。
誰も動いていなかったので、ひとまず対応した日。
困っている人に声をかけた日。

そんな小さな出来事が重なって、その人の仕事として受け取られるようになったのかもしれません。

誰かが補ってくれているあいだは、仕事が止まっていないときでもあります。

だからこそ、その人がそこにいるうちに。

仕事が回っているという結果だけではなく、その途中で何が起きているのかを見てみる。

役割を決め直すのは、そのあとでもよいのだと思います。

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