エドガー・ライト『ラストナイト・イン・ソーホー』あの夜、ソーホーのナイトクラブで
あまりにも悲惨な映画なので観た端から記憶を消していっているのだが、頑張って思い出して書いてみる。本作品における女性たちは不自然にも分断されている。都会と田舎、過去と現在、老人と若者、流行りに生きる者とレトロに生きる者。あまりにも記号的なこれらの対比が、有害な男性性の前に分断として語られるので、最終的に"女の敵は女だった"みたいな言説を補強しているようにも見えてくるのがまず致命的。主人公エリーとその相方サンディは中盤から終盤にかけて、顔も見えない無数の男たちに群がられるわけだが、その状況を救うのはこの時代になって未だにマジカルな黒人青年であって、ほぼ手遅れなラスト以外は対立が続いている。特に、スウィンギング・ロンドンに憧れるエリーとの対比で登場する同級生女子たちの描写はあまりにも表層的で残念としか言いようがない。そもそもファッションデザイン学科に流行りの有名ブランドを自慢気に語って、自作の服を鼻で笑う人間なんかいないだろ。大体、入ったら授業で服作るんだし、それ以前にそんなやつは落ちてると思うがね。主人公も良く言って"オタクおじさんの望む可愛い女の子"、悪く言えば"オタクおじさん"そのものであり、若い女性であることと中身がおじさんであることが乖離したまま事件に巻き込まれるので、エリーが動けばカメラがおじさんになって追い回し、エリーが止まれば彼女がおじさんとなってしまい、中盤からの展開が滅茶苦茶になっていく。
そうして記号的に"配置"されたキャラクターたちを襲うのは、60年代から時代を超えて残り続ける有害な男たちによる女性搾取と性犯罪である。しかし、描写はあまりにも解像度が低く、可愛い女の子が怯える姿を撮るためだけに利用されてしまっているのだ。しかも、上記の通り意図的にシスターフッドは分断されているので、最早悪意しか感じないレベル。監督は本作品に影響を与えた作品としてアルフレッド・ヒッチコック『フレンジー』やマイケル・パウエル『血を吸うカメラ』を含めたイギリス映画を10本紹介していたが、そういった作品をアップデートする気もなければ、再現するまでにも至らないという圧倒的に中途半端な態度は全方向に失礼だなぁと。『ベイビー・ドライバー』のときも思ったが、ずっとそれっぽい音楽が鳴ってるので、ビックリ演出がそもそもスリラーとして成立してないのも致命的だし、鏡に別々の二人を写すのも全く魅力的じゃないのも致命的。LBに"尊敬してると公言してる監督たちみたいに振る舞うのは止めたらどうだ?"というコメントがあって妙に納得してしまった。
惜しむらくはトーマシン・マッケンジーもアニャさんも魅力的だということだろう。それは存在が魅力的なのであって、全く魅力的には撮られていないのだが、それでもやはり彼女たちの存在がある程度映画を救ってしまっているのが余計に残念。テレンス・スタンプ、ダイアナ・リグ、リタ・トゥシンハムも記号的に使われて可哀想だった。

・作品データ
原題:Last Night in Soho
上映時間:117分
監督:Edgar Wright
製作:2021年(アメリカ)
・評価:10点
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