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あの夜の会話は、バトンだったのかもしれない。

人の歴史は、誰かが残した宿題や遺志を、
次の誰かが静かに紡いでいくものかもしれません。

意識して受け取ることもあれば、
気づけばそっと手の中に置かれていることもあります。


2025年4月。

都立産業技術高専の名誉教授であり、
モンゴルに高専を設立した中西佑二先生が亡くなられました。

先生は、日本の高専制度の1期生でもあり、
晩年はモンゴルと日本をつなぐ人材育成に力を注いでおられました。

先生と出会ったのは、
モンゴルから日本に来た若者たちを支える活動を通じてでした。

私は今、日本で暮らすモンゴルの若者たちが、
安心して働き、暮らしを築いていけるよう、
そばで支えるお手伝いをしています。


最後に先生と会ったのは、亡くなられる前日のこと。

大崎での打ち合わせのあと、先生と私は同じ電車で新宿まで向かいました。

その日も、モンゴルで買ったラクダ柄のネクタイをしておられて、どこかあたたかい気持ちになったのを覚えています。

混雑した車内での立ち話のなか、先生は何度もこうおっしゃっていました。

「モンゴルの子たちは、本当にがんばり屋なんだよ」
「文化も言葉も違うなかで、一生懸命やってる」
「だからこそ、誰かが気にかけてるって思えるだけで、大きく変わってくる」

そして、少し表情をゆるめて、こう続けられました。

「でも……これからもこの事業を続けていくなら、下の世代が大事だね」
「次に続くための、そのためのしくみを、ちゃんと考えていきたい」


翌朝、訃報の知らせが届きました。
言葉にならないほどの喪失感に包まれ、ただ呆然と過ごしました。

けれど、少しずつ少しずつ現実に戻る日々のなかで、
ふとした拍子に、あの夜の会話が何度もよみがえってきました。

そして、気づいたのです。
あれは“バトン”だったのかもしれない、と。


今思えば、先生が高専の1期生だったからこそ、
日本で自分の人生を切り開こうとしているモンゴルの子たちの気持ちを、
誰よりも理解しておられたのかもしれません。

先生は、教育とは人の人生に関わることだと、
その背中で教えてくれた方でした。


私はまだまだ力不足ですが、
誰かがそばで「気にかけているよ」と伝えることなら、できる気がしています。

これは、先生から受け取ったバトンを、
自分なりに引き継いでいくための、ひとつの整理です。



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佐藤律子|社労士/ナレクロ運営 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。