【小説】根ネギのねぎぃ(4/5)
万が一下仁田くんとの会話が長引いてしまってはいけないと、帰宅後すぐに食材を冷蔵後に入れて、二階にいるねぎぃの水替えをした。ねぎぃはまた一段と葉を伸ばし、瓶の口から葉の先端がはみ出している。
「あら、今日は早いのね」
「あのね、下仁田くんがうちで晩ご飯食べるの」
ええっ! と柄にもなくねぎぃが驚いている。そのリアクションが……生前のおかあさんそっくりでドキッとした。
「何よ! あなたたち、いつの間にそんな間柄に!」
「待って、ご飯食べるだけよ。そんなに深い仲じゃないわ」
キッチンで水替えをしながら、私はねぎぃに事の顛末を伝える。ねぎぃはやっぱり生前のおかあさんそっくりな相槌を打って、私の言葉を聞く。
「それじゃあ、ガツンと言ってあげないとね」
「別にガツンと言うつもりはないわ。言うべきことを言うだけよ」
「その心意気よ。でも、それなら早くご飯の支度しないと」
「そうね。あとで持って上がるから、ちょっと待ってて」
キッチンの窓際にねぎぃを一時避難させて、私は食材を並べて準備する。だれかのために料理するのは久々だったけど、相手が赤ちゃん返りしているような男だから、さして緊張もない。時間もさしてないので、手の込んだ献立にするつもりはない。冷蔵庫を中を確認すると、一本の長ネギがでん、と見えた。そうだ、彼に足りないものは、これだ。
ネギを一口大に切って、今日買ってきた豚肉のスライスを巻き、爪楊枝を挿して止める。それを量産して器に入れ、しょう油と料理酒、みりん、少しの砂糖を入れたタレを作る。フライパンにごま油を引いて熱を入れ、程よいタイミングで量産した豚ネギをフライパンの上に並べた。適度に火が通ってきたのを確認してタレを入れ、火を弱めてフライパンに蓋をする。
その間に卵を溶き、砂糖とめんつゆを加えて卵焼き器に投入する。卵をくるん、くるんと巻いて、あとは余熱で放置。その間に大根をすりおろして、そこに刻みネギを加えた。
フライパンの火を止める。しょう油のあま辛い香りがキッチンに満ちる。ご飯はすでに炊いている。今日の味噌汁は、あらかじめインスタントと決めている。来客があれど、時間にゆとりがないなら手を抜ける時は抜く。仕事も料理も、だいたいこれが要になる。
料理をお皿に盛り付ける頃、ピンポーン、とインターホンが鳴った。警戒心もなくこの音を迎え入れるのは、おかあさんが生きていた時以来のこと。ガスの元栓を切って、パタパタと玄関まで早歩きし、扉を開けた。
「いらっしゃい」
下仁田くんはどうも、と頭を軽く下げ、手に提げたビニール袋を私に手渡した。
「これ、あの、イチゴ買ってきました」
袋の中を見ると、ふわぁ、とあま味と酸味が効いたさわやかな香りがした。パック入りのイチゴはどれも粒ぞろいで、大きい。
「あら、ありがとー! 私、果物好きなんだよね。ほら、入って入って。あ、スリッパこれね」
「ありがとうございます、お邪魔します」
私は異性を迎え入れた興奮よりも、血迷って視野が狭くなっているようなこの彼に、きちんと私の考えを伝えられるかどうかで、いつになく緊張していた。その緊張は恋愛の時のそれと違って、むしろ仕事で見つけた書類の複雑な不備を、自分より立場が上の人に説明する時によく似ていた。
テーブルに座る前に、彼はテレビ台の横に置かれた手元供養用の小さな仏壇の前に立った。ちゃんとした仏壇は寝室にある。でも、身近におかあさんを感じたくて、リビングにも遺影を置いている。毎朝ちゃんと、両方の仏壇に手を合わせている。
「あ、ごめんなさい。気になっちゃうよね」
下仁田くんは「いえ」と小さくこぼして、静かに手を合わせてくれた。
ウェルカムドリンク代わりに発泡酒を下仁田くんに手渡す。グラスじゃなく、缶のままで。アルコールは結局、缶を一本二本と潰しながら呑むのが一番旨い。本音を引き出すなら酩酊は必須。卑怯だけど、手段を選んでいる余裕はない。私はジンジャーエールで我慢する。
「全部ひとりで作ったんですよね、すごい」
テーブルに並んだ料理を見て、下仁田くんは濁りない声で言った。手作りなのはネギの豚肉巻きとだし巻き卵くらいだ。きゅうりのお漬物も味噌汁も買ってきたもの。でも、せっかく男が女の料理に感動しているのだ。盛り下げるのも悪い。
「下仁田くんの一大事だからね、頑張ったわ」
「そんな、一大事だなんて。あ、このネギって、前に公園で見せてくれたネギですか?」
「あ、これは買ってたネギ。あのネギはまだ育ててる途中よ」
「あとで見せてくださいよ」
あ、これ、もしかしてねぎぃがほかの人とも会話できるかどうか試すチャンス? いやいや、今日はそれどころじゃない。
「時間があったらね。さ、ほら、食べましょ。冷めちゃう」
いただきます、と私たちは夕食を食べはじめる。豚ネギ焼きを一口食べた瞬間に、下仁田くんが「旨い!」と声をあげた。
「よかった。いっぱい食べてね」
「はい! だし巻きもすごく美味しいです」
この家で人とご飯を食べるのなんて、おかあさんが生きていた以来のこと。まあ、今日はそんな感傷に浸る余裕なんてないけれど。
「あのさ、下仁田くん」
美味しそうにご飯をかき込む彼に、私は切り出した。
「電話の話なんだけど、やっぱ本気なの?」
「……うーん、まあ、正直迷ってはいます。一応、投げ銭システムがある記事投稿サイトに登録したんですけど、そんなのでほんとに稼げるかどうかわからないですし」
彼いわく、趣味のプラモデル作りをメインテーマに、商品レビューや改造テクニック(ロボットの目に電飾を仕込んだり、ウェザリングという本物そっくりに汚しの塗装をしたり)を紹介する記事を書いて、プラモデルライターとしてデビューしたいそうだ。
「今ってじつは、プラモデルの需要が高まっていて、転売して稼いでる人がいるくらいなんですよ。商品レビューだけでもビュー数が稼げるんじゃないかなって」
「でも、それって仕事しながらでもできるじゃない。まずは仕事続けながら、ゆっくりそっちにシフトするってのはダメなの?」
「正直、仕事を辞めるってところが軸ですから」
「辞めちゃって、ほんとにいいの?」
彼の箸が鈍る。仕事をしていない生活を、彼なりに想像している様子。仕事そのものは必ずしも人生の潤いとは限らないけど、仕事を通じて築いた関係性や仕事で体験した喜びなんかはわりとかけがえのないものだ。あと、根本的に私たちは生活を人質に労働を強いられている側なので、仕事を失うことは単純に生き死ににも直結する。
「しんどいよ、下仁田くん。仕事してないって立場は」
「いや、でも、記事の投稿はちゃんと続けるので」
「それも、稼ぎになってないと遊びだからね。だれがそう言うとかじゃなくて、たぶん下仁田くん自身でそう思っちゃうよ、きっと」
それに人のフォローが巧みな彼が、自分ひとりで完結しうる仕事に従事するのは、長所が活かせなくなる分、彼自身にとって損だと思う。彼はまだ、自分のことを分析できていない気がする。
「下仁田くん、あのね。前ちょっと話したと思うけど、ネギって水と光だけで成長できるんだよ」
「え? ネギですか?」
「そう、ネギ」
唐突な話の方向転換にも、下仁田くんは無理に話を戻そうとはせず付き合ってくれる。
「ほんとにネギが好きですね」
「うん、好き。あ、でね、ネギは水と光だけで育つんだけど、水を替えてあげたり、光が当たる場所に置いてあげたりしてくれる存在が必要なのね。放置するだけで育つけど、育つにはやっぱりだれかの存在が大切なの」
食事が光だとしたら、人とのかかわり合いは水だ。人生を潤してくれる私以外のだれか。だから、ひとりぼっちのままだとパサパサに干からびてしまう。だから人は人を求めるし、人は人から求められる。お互いが水であり、お互いが必須成分だ。
「人間もね、やっぱりだれかの存在が必要だと思うのね。だれかに頼るっていうのは、弱っちいことかもしれないけど、すっごく大事なことなんだと思う」
「だから、俺はこれからも尻拭いしろってことですか?」
ムッとした顔で彼が問う。仕事中の、あの大人びた雰囲気はどこに行ったのだろう。今の彼は拗ねた末っ子みたいな印象。
「そうじゃなくて、逆にあなたの方がもっと上の人を頼るの。ほかの人のフォロー、もう疲れましたって、正直に言っちゃうの。それは弱音とかじゃなくて、正当な主張だから。上司に言って、きちんと対処してもらったり、アイデアをもらったり、どうすればいいかを一緒に考えてもらうの。会社って、そういうところなんだから」
「それはわかってますけど」
「わかってないから、こんなに大事な話を私にしてるんでしょ! 上司にするものなの、社会人だったら。会社外の人間だから言いやすいのかもしれないけど、私、告げ口しちゃうかもよ。千住さんとか九条さんに」
「いや、しないでしょ。田之上さんは」
「いや、するわ。人をそう簡単に判断しないことよ。どうするの、私が千住さんたちに言ったら。きっとたくさん尾鰭がついて、会社内で広まるわ」
千住さんたちのことだから、別にそこまで彼のことを話題にしないだろうけど、ここは大げさに脅しておいた方がいいだろう。下仁田くんは頭を抱えて「最悪だ……」と呟いた。
「なんでそんなこと言うですか? もうちょっと寄り添ってくれてもいいと思うんですけど……」
「あなた、社会人何年目よ! 寄り添ってもらうべき相手をちゃんと見定めなさい。あなた自身がずっと頼られてばかりだったから、あまえたくなっちゃったのかもしれないけど、その相手は私じゃなくて上司よ。上司に寄り添ってもらいなさい。それも上司の仕事なんだから」
「でも上司なんて俺の話聞いてくれないと思いますし」
「その文句は上司に話してみてからするものよ。あなた、軽々しく人を判断しすぎ」
そんなことを言う私だけど、下仁田くんの上司がどんな人かよくわかっていない。笑い方が豪勢で、やたらガッシリした体つきで、まさしく営業の人って感じの人。それと苗字と肩書きくらいしか、私は知らない。それでも、勢いで言ってやるしかない。今彼に必要なのは、心に兆している確かな迷いと向き合わせること。そして、その危惧は確かなもので、今彼自身が進もうとしている道は、彼が思うほどにあまい道のりじゃないと断言してやることだ。
それでも進むというなら、私は止めない。でも、彼はたぶん、間違いなくきっと、立ち止まって考え直すはず。
「一度話すだけ話してみましょ? もしそれで下仁田くんが望むような対応をしてくれなかったら、辞めちゃえばいい」
「……まあ、確かにそうですよね」
下仁田くんは眉端を八の字に下げて、へへっ、と笑う。
「俺、ぶっちゃけあまえたかっただけかもしれないですね、田之上さんに」
「だれでもそういう時はあるわ。でも、あまやかしてくれる人かどうかはもっと慎重に判断するべきだったわね」
自分でもびっくりするほど、今の私は堂々と物言いをしている。ここは自宅で、テーブルには私の作った料理が並んでいるけど、下仁田くんがいるだけでそこは職場のようだった。私はやるべき役割を果たした。
「さ、食べよ。私にできることは、今の下仁田くんをお腹いっぱいにしてあげることだけよ」
「じゃあ、改めていただきます」
私はたくさん食べた。作りすぎと思われた豚ネギ焼きをどんどん口に入れて、だし巻きもパクパクと食べて、ご飯もおかわりして、最後持ってきてくれたイチゴと熱いお茶でほっと息をつく。
「ごちそう様でした。全部美味しかったです。最高」
「ありがと。それじゃあ、帰って」
「え?」
「今日の私の役目は終わったわ。あとはゆっくり寝て、あすに備えるの」
「え、じゃあ、洗い物だけでも」
「いいのいいの。ほら、女の家に男が長々と居座るのも健全じゃないわ」
まだ彼を迎え入れてはいけない。きちんとするべきことをして、進むべき道をきっちり決めて、まだ私に想いがあるのなら、しっかり受け止める。下仁田くんは察しがいい。無駄に拗ねた顔をすることなく、潔く腰を上げた。
「田之上さん、ありがとうございます。今度はお礼に俺がメシ作るんで」
「楽しみにしてるわ。リクエストするメニュー、考えとく」
あっさりと家を出た下仁田くんの背中を見送って、私はダイニングに戻って二人分の食器を流しに運ぶ。
「よく言ったわ、アサギ」
「きゃあ!」
びっくりして顔を上げると、キッチンの窓際に放置されたねぎぃがいた。あ、そうだ。二階に持って上がるつもりが、忘れていた。
「何よ、全部聞いてたの?」
「聞いてたわ。さすがね、アサギ。あたし、すっかり感動しちゃったわ」
恥ずかしい気もしたが、高揚感からか、今の私はやっぱり堂々とした心持ちになっている。ふふん、とわざとらしく鼻を鳴らしながら、ねぎぃに言ってやる。
「家での私しか知らないんだから。職場での私って、こんなもんじゃないわよ」
事務仕事なので細々として見えるけど、回ってくる書類の全部が会社にとって重要なものなのだ。その不備を確認して、するべき処理をして、私なりに会社に貢献していた。
まだまだ私にも、あの会社でやるべきことがあるのかもしれない。私だからできる役割が、あの会社にあるような気がしてくる。一度そう思うと、もう、今私がやるべきことは決まっているような気がした。
洗い物をさっさと済ませて、私は千住さんにメッセージを送った。返信は数分後に届いた。
「その言葉を待ってたわ。深谷さんに伝えとく」
その数秒後に、追加のメッセージが来た。
「ちょっと早いけど、お帰りなさい」
その一言だけでもう、私は嬉しくてたまらなかった。
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素敵な記事をたくさん書いていきたいです!!