【エッセイ】「夜ギライさん」たちに伝えたい、夜との対話術
ずっと昔から夜が嫌いだ。いやに静かで、心臓が脈打つのが聞こえて気持ち悪いし、暗闇から得体の知れない何かが飛び出してきそうだし、とにかく怖い。幼少期、熱帯夜でも頭から掛け布団をかぶって、みえない何かから必死で自分を守ろうとしていた。汗だくになりながら夜を乗り越えて、親から呆れられる、みたいな。
大人になってからも夜は私に意地悪で、就寝前なのに嫌なことを思い出させるし、眠れないことに鬱々させてくる。夜はいつも私を脅かす天敵で、私は夜の被害者だ。どこに訴えることもできない、意地悪で無双な存在。それが、私にとっての夜だ。
でも、夜が嫌いなのって、私だけだろうか。たぶん、違う。書店で「眠り方」とか「睡眠の基本」みたいなタイトルの本がたくさんみつかるのは、そうした「夜ギライさん」たちがたくさんいるからじゃないだろうか。
なのに、生き物の多くはなぜか夜を好む。ネコも、タヌキも、ネズミも、活発化するのは陽が沈んでから。田んぼのカエルが賑やかしくなるのも夜だし、部屋の隅からムカデが出てくるのも、夜。どうしてみんな、夜を好むのだろうか。
天敵が少なくなる、とか、活動しやすい気温だから、とか、科学的な答えは、きっとたくさんある。そのたくさんの答えが混ざりあって「夜行性」という習性が形づくられているのかもしれない。
だけど、私はもっと本質的な、根源的な正解があるんじゃないかと思っている。本当は、ヒトも含めてすべての生き物は、夜行性であることが正解なんじゃないだろうか。
だってそうじゃないか。母体や卵内には光が透過しない。透過しても、その光量はきっとわずかなものだろう。生命は暗闇に近い状態からスタートしている。この世に生まれ出て初めて、私たちは光を浴び、光という刺激の洗礼を受ける。もともと「光」という刺激に対しての耐性が、全生物になかったとしてもおかしくはない。
だけど、ヒトを含めた「昼行性」の生物は、どういう経緯か光への強耐性を得た。その代償に、夜に対する親和性を失ったんじゃないだろうか。
もしそうだとして、そこまでしてヒトが光を得ようとしたのは、どうしてだろうか。太陽光にはたくさんの栄養の生成源があるらしく、しっかりと太陽の光を浴びた人間とそうでない人間とで、健康の度合いも違ってくるらしい。そもそもヒトの目はすっかり夜より昼間に慣れちゃっている。ヒトは光に順応した生物として成立しているのだから、今更夜の世界に戻ることができないのだろう。
夜は嫌いだし、今でも怖い。こればっかりは、理屈を考えたって仕方がない。だから私は、夜の好きなところを少しずつ増やすことにした。
たとえば、春先から初夏にかけて聞こえるフクロウの声を好きになる。布団で目を閉じている間にも、空にはたくさんの星が美しく瞬いているのだと想像する。虫の声を聞いて、それがどんな種類の虫かを考える。夜にしかないたくさんの素敵さを数えるだけで、ほんの少しだけ、自分が夜の住人だったことを思い出せるような気がしてくる。夜特有のあの怖さが、ちょっとだけ減退するような、ほんの少し勇気を取り戻せるような気がしてくる。
もしあなたが、あなたじゃない誰かでもいいや、眠れない夜に困っているのなら、そうした夜だけの特別を探して、そっと目を閉じてみよう。少なくとも私は今、そうやってちょっとずつ夜と対話して、夜と仲良くなりつつある。
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