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通勤電車はワンダーランド

僕は毎日、片道45分ほど通勤電車に揺られているのだが、世の中には本当にいろいろな人がいるなぁと半ば感心にも似た思いを抱いている。

例えば、毎朝駅のホームで一緒になる人がいて、その人は30代ぐらいで背はそれほど高くない、がっしりした男性なのだが、これからどこの山へ登るんだろうと思うほど巨大なリュックを背負っている。一人暮らし用の冷蔵庫ぐらいある。当然朝の混んでいる時間帯にその人が乗り込むと、彼の周りはとんでもなく窮屈になる。みんな煙たそうな顔をして、中には舌打ちをしている人もいるが、彼は巨大なリュックを降ろそうとも網棚に上げようともしない。というか、そもそもリュックが大きすぎて網棚には到底乗らない。
しかもそのリュックには熊除けのような大きな鈴が付いており、電車が揺れる度にチリンチリンと結構な大きさの鈴の音が車内に響き渡り、座席で眠っている人たちが、通勤時間の間に少しでも睡眠時間を確保せんとする淡い野望を、ものの見事に打ち砕いている。僕は彼のことを“通勤アルピニスト”と呼んでいる。

そんな通勤アルピニストのインパクトには及ばないが、よく見かけるのは軽食を食べている人たち、通称“モグモグ民”である。
彼らは座席やドア付近で目立たないように食事をしているので、空間的には何の迷惑もかけていない。問題なのはその匂いだ。そう、彼らが犯すのは空間ではなく空気そのものである。特に惣菜パンの匂いはちょっとした化学兵器並みの破壊力で、隣に座っているモグモグ民が突然鞄からカレーパンなどを取り出して食べ始めようものなら、こちらは一気に集中力をそがれ、それまで読んでいた本やポッドキャストの内容など、全てどこかへ飛んで行ってしまう。さらにちゃんと朝ご飯を食べてきたにも関わらず、お腹がグーッと鳴り始めたりする。今は電車の中だからいくらお腹が鳴ってもいい。しかし、こちらは会社に着いたらすぐに会議があるのだ。シーンとした会議室で、一度鳴り始めたお腹はそう簡単に止まらない。水を飲んで、お腹の鳴る周期をやや遅らせることはできるが、そんなものは焼け石に水、もとい鳴り腹に水だ。そうなると、会社に着く前にちょっとしたお菓子などを買う羽目になり、毎日決まった食費でやりくりしている財布事情が狂ってしまうのだ。恐るべしモグモグ民。

食べ物でいえば、先日見かけて驚いたのは、車内で立ったままポテトチップスのり塩味を食べていた20代と思しき男性、通称“のり塩貴族”である。
恐らくホームで既に食べ始めていたのであろう。開いた状態の袋を持って電車に乗り込んできて、誰の目を気にすることもなくポテトチップスを1枚ずつ優雅にパリパリと食べ続けた。彼の色白で痩せ形のルックスと相まって、ポテトチップスが高貴な食べものに思えてきたが、これまた車内に、のり塩の美味しそうな匂いと咀嚼音が蔓延し、見て見ぬフリをしている全員の脳に“のり塩食べたい!”との思いを芽生えさせたことは想像に難くない。おそらく電車を降りた後コンビニに寄って、のり塩を買った人は一定数いると踏んでいる。かく言う僕も、その日の帰り、悔しいけれどのり塩を買ってしまった。もしかすると彼はメーカーが仕掛けた法律ギリギリのマーケティングテストだったのかもしれない。だとしたら天晴れである。

夜、帰宅する時間帯の車内で時々見かけるのは、缶ビールや缶チューハイを飲んでいる人、通称“ほろ酔い帰宅部”の方々である。
1人でスマホを見ながら飲んでいたり、友人と2人で喋りながら飲んでいたりとスタイルは様々だが、先日見かけた強者は、背広の内ポケットに細長いパックに入ったスルメを忍ばせており、それをそっと取り出して摘まみながらビールを飲んでいた。見た目は60歳前後のサラリーマンで、ロマンスグレーの髪と顔に刻まれた皺がいい具合に哀愁を漂わせており、なるべく人に迷惑を掛けずに最高の帰路を楽しみたいという配慮の末に行き着いたであろう“内ポケスルメスタイル”が、迷惑どころか大人の嗜み感すら醸し出していて、見ているこちらも何となく幸せな気分になってしまう。
きっと妻も子もいるのだろう。家ではあまり飲ませてもらえないのかもしれない。奥さんの小言を聞かされるのかもしれない。会社では中間管理職で板挟みに遭っているのかもしれない。となると、自分の時間はこの短い通勤電車の中だけなのかもしれない。それでもなるべく人に迷惑を掛けないようにして一人酒を楽しむという、その大人なスタンス。僕は心の中で(先輩、お疲れさまです)と労いの言葉をかけずにはいられなかった。

そんな大人の嗜みを楽しんでいる人生の先輩がいる一方、うだつが上がらなそうなサラリーマンもちらほら見かける。月に2〜3回見かけるのが、スマホを見ながら鼻をほじっている人、通称“ホジリーマン”である。
鼻をほじった指先を最終的にどうするのか、つい目で追ってしまうのだが、大概は丸めて床にそっと捨てるか、さりげなく自分の着ている服で拭いて、何事もなかったような顔をしている。座席に座っている彼らの前に立ってしまった時は最悪で、まず、その一連の動作を見たくないので、スマホをなるべく顔の前で持って視界を完全にシャットアウトし、自分の靴にブツを落とされないよう一歩後ろに下がる。その人が次の駅で降りても、その座席に座るのは嫌なので、立ったまま一つ隣にずれたりすると、その前の席には若い女性が座っていたりして、怪訝な眼差しをこちらに向けてきたりする。こうなるともう車両を移った方が早い。なんであのホジリーマンのためにここまでしなければならないのか、一日の疲れが倍増する。

先日新種を発見した。スマホを見ながら、片方の手で顔の吹き出ものを探しては潰している人。これはホジリーマンの亜種である“ブツブツツブシ”だ。彼は電車に乗ってから降りるまで、ずっと吹き出ものを探して潰していた。30分以上ずーっとだ。おそらくホジリーマンもブツブツツブシも、スマホに夢中で無意識にやっていると思われるが、無意識ということは、きっと他の所でもやっているのだろう。だとすると、そのことを指摘する家族はいないのだろうかとか、これまで注意してくれる人に出会わなかったのだろうかとか、この人たちは会社で仕事が出来ないタイプに違いないとか、偏見極まりないことまで考えてしまう。とはいえ、自分も無意識に何かをしている可能性はゼロではない。恐いけれど、今度家族にでも聞いてみよう…。

最後に紹介するのは、僕が最もよく見かける、電車の窓ガラスに映る自分を延々と見ている人、通称“窓ナルシスト”である。
この人たちは電車内のみならず、男子トイレや店のショーウィンドウなど、自分が映るものがあるところには場所を選ばず現れるのだが、本当に呆れるほど長い時間、自分の顔や髪をチェックしている。電車の場合、昼間であればスマホの画面を鏡代わりにするか、カメラを自撮りモードにして自分を映し、夜であればドアガラスや窓ガラスを鏡代わりにして、あらゆる角度から自分の顔や髪をチェックする。

まずは正面からチェック。髪や服装を整え、キメ顔。少し横を向いて斜め45度からチェックして再び整え、反対の45度も同様にチェックして決めポーズ。これで終了かと思いきや、30秒もすると、再びガラス越しの自分を見つめ、角度を変えながら再び髪や服を整え始める。この30秒の間に車内に彼らの髪と服を乱れさせる突風か何かが発生したのだろうか。僕には全く気付くことが出来なかった。そして、彼らがあちこち整える前と整えた後、一体どこが変わったのかは全く分からないレベルであった。きっと僕の見る目がないのであろう。

先日見かけた窓ナルシストの男は特に酷かった。彼は、とある駅で乗車してから降車するまでの約15分間、ずっとガラス越しの自分を眺めていたのだが、何と着ているスウェットが裏表逆だったのだ。一瞬そういう服かとも思ったが、後ろ襟にタグがベロンと付いていたので間違いない。灯台下暗し!木を見て森を見ず!二つの諺が瞬時に浮かぶほど衝撃的であった。これからデートに向かうのか、合コンに向かうのか知らないが、その後彼は一体どういう反応をされたのだろう。付いて行って最後まで見届けたくてたまらなかった。

このように通勤電車にはさまざまな人たちが生息しているが、そんな彼らから一つ学ぶことがあるとすれば、それは人前でそこまで出来るという鋼のメンタルである。このメンタルの強さを僕は持ち合わせていない。僕は鋼どころか、アルミもとい、ティッシュペーパー並みのメンタルで、誰も自分のことなど見ていないにも関わらず、誰かが見ているかもしれないと思い込んで、電車の中で鼻をかむことすらできないチキンなのである。
だから、これは馬鹿にしているのでも何でもなく、純粋に彼らがどういう過程を経て、あの鋼のメンタルに辿り着いているのかを知りたい。そもそも彼らはそんなこと何も考えていないし、気にしていないだけかもしれない。であれば、なぜそう何も考えずに居られるのかを知りたい。僕も細かいことを考えず、周りを気にしないで生きてみたい。自意識過剰な自分は、そういう人たちに対して、ある種の憧れがあるのだ。

別に電車の中でポテチを食べたい訳でも鼻をほじりたい訳でもないが、人の目を気にせず、のびのびとおおらかに生きていけたら、今よりちょっとだけ楽に毎日を過ごせるだろうなぁと思う。そして、心の奥にそんな憧れがあるからこそ、今日も僕は電車の中で面白い人たちを探してしまうのだ。

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