『彼岸過迄』を読む 1 蛸狩は成功したかい?
あまりにもPVが落ちたので、『彼岸過迄』に変えます。
『行人』に関してはまだ山ほど書きたいことがあるのですが、そもそも『三四郎』に比べて『行人』の読者って五分の一くらいなんですかね。そんなに難しいのかな。
あるいはそんなにつまらないことを書いていましたか、私。つまり既知の情報を得意げに書いてしまいましたか?
あなたが気が付いていなかったことは一つもなかったですか?
まあ、ここは『行人』が悪いということにしておきましょう。解らなさ、謎感で言えば、私にとっては『行人』より『三四郎』の方がはるかに上なんですけどね。あ、つまり『行人』に関してはおそらく皆さんが気がついていなくて私が解っていることが結構あるので、まだ書きたいことがたくさんあるという意味です。
で、『彼岸過迄』なんですが、これは『行人』を理解するための予備動作としても良いかと思います。
何度か書いたように『坊っちゃん』『彼岸過迄』『行人』『こころ』が同型の物語構造で、話者の現在は文末より後にあること、また『彼岸過迄』『行人』『こころ』が話者が手紙を読むという同じスタイルの小説であることを具体的に見て行った方がいいかと思うんです。そうすれば少しは誤解も解けるかと。
まず『彼岸過迄』は一番お尻で、っていきなりお尻に行ってしまいますが、「敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った」として田川敬太郎を主人公とした冒険譚だと規定されているということを確認してみてください。そしてよくよく考えるまでもなく、『彼岸過迄』を田川敬太郎を主人公とした冒険譚だと見做すことはなかなか困難なのです。敬太郎は主人公なのに物語を与えられるだけなんです。敬太郎の冒険と言えば謎の杖を持って「探偵」をしているあたりは冒険ですが、それだけです。後は人の話を聞くだけです。
これは田川敬太郎に与えられる物語で構成された小説であって、主人公が物語に主体的に関与できないという、極めて特殊なスタイルの小説なのです。主人公に与えられるのは物語であり体験ではありません。途中で少し動かされますが、後は人の話を聞かされるだけです。そんな主人公なんてあるものかと文句を言われても仕方ありません。私ではなく夏目漱石がそういう風に書いているのです。
人の話を聞かされる主人公、しかし『彼岸過迄』は『千夜一夜物語』のような単純な枠物語の形式を取りません。この物語構造に関しては次に詳しく説明します。
『彼岸過迄』も『行人』のように一部を切り取られて語られることの多い作品です。『行人』の「塵労」に当たるのが「須永の話」です。この「須永の話」もそうですが「松本の話」でさえいわば田川敬太郎は門外漢なのです。なんとも関与できません。ただ話として聴くだけなのです。ならどこが田川敬太郎を主人公とした冒険譚だ、とまずは思うわけなんですが、これ「冒険譚」というところが味噌ですよね。
そもそも「風呂の後」で森本から聞かされる冒険譚にしても、そこには田川敬太郎の関与はないわけです。関与できない冒険譚について漱石は「風呂の後」の四章でこのように説明しています。
この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜って来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎に取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。
その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中でも音松君が洞穴の中から躍り出す大蛸と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃をポンポン打つんだが、つるつる滑って少しも手応えがないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸がぐるりと環を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯い半分に、君のような剽軽ものはとうてい文官試験などを受けて地道に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩りでもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行はやり出した。この間卒業して以来足を擂木のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。(夏目漱石『彼岸過迄』)
振り返ってみますと夏目漱石作品では相続財産のある『こころ』の先生を除いて、多くの主人公が生活の苦労、食うための職業というものと格闘してきました。『三四郎』の三四郎や『それから』の代助はその手前にいましたが、『門』の宗助は一足しか革靴を持たないかつかつの生活、『道草』の健三も、『明暗』の津田由雄も同じようなものでした。『野分』の白井道也先生などみじめなものです。田川敬太郎も「足を擂木のようにして世の中への出口を探して歩いている」わけですから、講義に身の入らない三四郎や与次郎の未来は田川敬太郎と似たようなものでしょう。
村上春樹さんが『ねじまき鳥クロニクル』で描いた「エリートとすりつぶされるだけのサラリーマン」という構図は明治末期には「金持ちや華族と平民」という形で既にあったわけです。どう考えても漱石自身は知的にも待遇的にもエリート側ですが、当時の華族や金持ち、いわゆる相続財産のある側との格差で考えて、漱石自身が自らの稼ぎについてはまだまだ不満なものだったようです。
そういう意図があってのことかどうか、まだ曖昧ながら、どうも私には、夏目漱石という作家が朝日新聞の購読者という庶民、つまり麺麭のために働く当たり前の人たちに救済を与えようとして田川敬太郎を主人公に据えたのではないかと思えるのです。
朝日新聞の新聞小説を読んで「ああ面白い」と思う人はそもそも自分が関与できない世界の話を楽しんでいる訳です。それを冒険だ、と漱石は規定したいわけでしょう。まあ、「それでも冒険だ」ということにはなりますね。「どうだね蛸狩は成功したかい」なんて、夢破れた若者を揶揄うようで残酷な台詞に聞こえますよね。でも「どうだね蛸狩は成功したかい」はむしろ殆どの当たり前の人たちにとってこそきつい言葉なのではないでしょうか。
「今朝の景色は寝坊のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖に靄がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透かして見ると、乗客がまるで障子に映る影画のように、はっきり一人一人見分けられるんです。それでいて御天道様が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」(夏目漱石『彼岸過迄』)
この「灰色の化物」ってみなさん……失礼、朝日新聞の読者の皆さんのことですよね。
なりたい職業についている人、自分の理想をかなえた人なんて世の中に何パーセントくらい存在するものでしょうか。多くの人が我慢してブルシットジョブをこなし、なんとかぎりぎりの生活をしているわけですよね。昔も今も。毎日大声で叫びたいことを堪え、へらへらと自分に言い訳をして生きているわけです。しかたないじゃないか、みんな同じだよと自分に言い聞かせて、何とか平和な家庭を維持しているのが朝日新聞の購読者です。自分によく似た子供をこの世に残すことを唯一の救いとして、満員電車に押し込められる「灰色の化物」、そんなものを夏目漱石は敢えて肯定したいのでしょう。
漱石は蛸狩に成功しなかった人の鼓膜を楽しませ、物足らない仕合せを与えようとしたんだと思います。それは実際に探偵をしたほうがスリルがあり満足感もあるでしょうが、実際にやるとなると時間もかかれば電車賃、そして西洋料理に払う代金が必要となります。その薄まったスリルを毎日届く新聞で気軽に楽しむ仕合せ、つまり人の話を楽しむという読書行為そのものの成り立ちを再確認しようとした作業という一面が『彼岸過迄』にはあるのではないでしょうか。
「とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」これが森本の最後の言葉でした。手紙によれば森本は満州方面を旅行した後、大連で電気公園の娯楽がかりを勤めているとか。不景気な日本を飛び出して大陸に渡った冒険家ですね。
この30年、日本人の初任給は相変わらず20万円ほどと変わらず。アメリカの初任給は45万円、スイスは72万円です。年収も日本人は450万円と横ばい。
— ヤッシー@Investor#MJGA🍊 (@SHOTA_1225F) May 11, 2022
アメリカもオーストラリアも700万円近いです。もはや日本は世界で最も貧しい国に成り下がりました。日本人の生産性がそんなに低いのか?
かといって、いきなり日本を飛び出す勇気のある人もそんなに多くはいないでしょう。「とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」ももう若くない人にとってはなかなかつらい言葉では。ある程度の年齢になると「本当にそうだよ」と痛みなく言えますが、「どうだね蛸狩は成功したかい」はむしろ年齢を重ねれば重ねただけきつい言葉になってしまうのではないでしょうか。
残りの時間を計算して、できることは何だろうと考えて、結局何もできなかったのかと悔やまないためには、兎に角日々できる限りのことをしていくしかありません。他人を恨んでいる暇はありません。それでも大抵の人は何もできずに終わってしまうのでしょう。何もできなかった人にも新聞小説を読むことくらいできるよ、というのが漱石の救済でしょう。きつい言い方かもしれませんが、誰もが蛸狩に成功するわけではありません。まるで『三四郎』のもう一つの「それから」のような田川敬太郎の冒険は、青春の挫折を切なくも温かく包んでくれていないでしょうか。
罪人でもないのにひっそりと暮らす須永も美しいですね。しかしこんな美しさに気が付くこともない人がいるわけです。
例えば『三四郎』も『行人』も『こころ』も読み間違えたままあの世に行ってしまう漱石論者がいるわけです。
どうだね蛸狩は成功したかい?
[余談]
オンラインで参加しました。
— バルトン研究会 (@369halfmoonst) September 12, 2022
乱歩がD坂を書いた時に念頭にあったのは、夏目漱石『三四郎』と『彼岸過迄』だったと思うのですが、第二部で指摘されたように、森鷗外訳「病院横丁の殺人犯」について知らぬ存ぜぬは奇妙ですね。なぜD坂、なぜ東京だったのか、違う角度から考える必要がありそうですね。 https://t.co/r7HxAJ8kip
うーん。乱歩が『三四郎』や『彼岸過迄』の謎をどう推理したのかという辺りは実に興味深い。ただしこうなると手が付けられないので、乱歩は保留。メモに留めよう。
昨日車ではねた鹿刺し 900円 pic.twitter.com/TzQJSn2nMt
— 場末のお姉様🦜 (@ami105610) September 11, 2022
公共料金の料金表が3つ折りハガキで送られるのは、一通あたり21円も送料が安くなるからです💡
— 奥村 美里 (@OkumuraMisato) September 11, 2022
また丸い穴が空いてるのはコスト削減のため。
6グラム超は84円になってしまうのですが、3つ折りだとどうしても分厚く重くなります。
そこで穴を開けることで6g以内に収まる!
こりゃ発明!笑 pic.twitter.com/69QH3kWkwF
【配信中】「我々の宇宙の外の世界」(須藤靖先生)講義映像を公開中です。2017年度 #学術俯瞰講義 「物質のはじまりとはたらき―フェムト、ナノ、エクサの世界」第3回です。https://t.co/JtKOj7931X #UTokyoOCW
— UTokyo_OCW (@UTokyo_OCW) September 12, 2022
