『彼岸過迄』を読む 4 最初の高等遊民? 松本恒三
今回は繰り返しのような話になりますけど、とても重要なことなのできちんと整理しておきますね。まず「最初の高等遊民 松本」と云われて、「あれ? 代助じゃないの?」と思った人はこの宇宙にどのくらいいらっしゃるでしょうか?
私の感覚としては夏目漱石論者の七割くらいが「近代的自我」「高等遊民」という言葉を『それから』の代助を引き合いに出して論じているように思うのですがどうでしょう。松本は案外論じられませんよね。
このように松本は無視されます。まあ、代助を使った方が論じやすい、『それから』の方が近代日本の問題を扱いやすい、ということなんだと思いますが、事実からして代助は上等人種とは言っていても「高等遊民」とは自称していませんよね。
いやそこは実質的に高等遊民なんだから自称するしないの問題ではないんだという理屈なら、
このように高等モデルを自称した里見美禰子、あるいは里見恭助が高等遊民でもいいということになります。しかしこれも論じられませんね。
正直私は「近代的自我」の問題を「高等遊民」の代助を使って論じた近代文学論は全て駄目なんだろうと思います。何故かと言えば、
①近代文学は井原西鶴の再評価、具体的には尾崎紅葉や饗庭篁村らによって始まり、井原西鶴の再評価は太宰治、織田作之助まで続き、戦後派に括られる三島由紀夫が中世以前の日本の古典と強く結びついているから。近代文学って何?
②泉鏡花や谷崎潤一郎を「近代的自我」や「高等遊民」で論じた近代文学論を読んだことがないから。泉鏡花や谷崎潤一郎は近代文学から除外するの?
③そもそも「近代的自我」や「高等遊民」というワードは『それから』にしかうまく当てはまらないから。深沢七郎とか、沼正三とか、時代論にならない作家はたくさんいる。
……つまり「近代的自我」の問題を「高等遊民」の代助を使って論じた近代文学論は全てインチキだと思うんです。
それと案外知られていないかもしれない事実をいいますと、やはり代助はまだ「高等遊民」ではなかったのではないか、という疑いがあるんです。どういうことかと云いますと漱石が『それから』を書きますよね。
それから「『額の男』を読む」を書きます。
それから親友・中村是公の斡旋で『満韓ところどころ』を書くために視察旅行に出かけるわけですが、このタイミングで漱石は是公に、「相続財産のようなものが欲しい」と言っているんですね。
まあ、私なんかが云う事じゃないですけど『三四郎』から『それから』に続く漱石の筆の冴えは恐ろしいばかりで、稼ぎも問題がなかったはずなんですが、突然そんなことを言い出します。これは一体何かと考えた時に、やはり「働いたって満足に食えない問題」というのが『門』で露骨に表れたなということが思い出されてくるわけです。そして『彼岸過迄』『行人』『こころ』で本当の高等遊民が出てきますね。
『行人』の話は皆さん興味がなさそうですけど、この高等遊民問題で考えてみると面白いところがあるんですよ。
三沢が病気で死にそうな女の入院費を払ってやろうとして二郎に工面を頼みますよね。二郎は岡田に頼んでお兼が銀行から預金を降ろしてきて二郎に渡します。これは三四郎に美禰子が三十円渡すのと同じ流れですよね。この借金の整理の為に二郎は母親から金を貰います。母親はお兼がわざわざ銀行から下ろしてきた金額をぐずぐず言いながらもその場ですっと二郎に渡します。「兄さんにはないしょ」と言って。
自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連れて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。(夏目漱石『行人』)
この力関係ですね。要するに稼ぎがあるより財産があった方が強いわけです。この金額、今の金額で考えると一か月入院で最低一日一万の三十万円、二人分ならその倍、……と考えると妙にリアルですね。手元に現金で五六十万円ある人は、まあ、金持ちですね。それだけその日に使うかもということですからね。で綱は五六十万をすっと出せたわけですから百万円くらいは持っていたんですかね。普通のサラリーマンではなかなか現金百万円は持ち歩きませんよね。
漱石が『それから』を書き終わった後、「相続財産のようなものが欲しい」と言ったのは「代助は自分では上等人種だと言い、親からは、三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何いかにも不体裁だな、とは言われたものの、相続財産でも貰わないうちはまだ麺麭の為に働く人間だな」と気が付いたからではないでしょうか。仮にもしそうだとすれば漱石自身が代助に物足りないところを感じて、松本恒三を経て、『こころ』の先生で高等遊民を完成させたと見るべきでしょう。
つまりまだ代助は高等遊民ではなかったのではないでしょうか。
下女が来て氷の中へ莓を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。
「宅じゃもう氷を取るんですか」
「ええ二三日前から冷蔵庫を使っているのよ」(夏目漱石『行人』)
「もうおしまい。あなた近頃大変小食になったのね」
「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」
奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。
「これは宅で拵えたのよ」
用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯更えてもらった。(夏目漱石『こころ』)
こうした贅沢が出来るのが高等遊民じゃないですかね。夏目家でも自家製アイスクリーマーを購入してアイスクリームを作っていたようですが、氷を入れてガラガラ回す大掛かりな機械なので、汗だくで大わらわだったようです。
さて、その本物の高等遊民、松本が高等遊民についてどう言っているか、ここも指摘されませんね。
「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」
敬太郎は自ら高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。
「奥さんは……」
「妻は無論います。なぜですか」
敬太郎は取り返しのつかない愚な問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。
「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」
「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」
「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」
「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」
敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。 (夏目漱石『彼岸過迄』)
なんだか「近代的自我」「高等遊民」という言葉を『それから』の代助を引き合いに出して論じている人たちを揶揄っていませんか? 高等遊民が家庭的って思っていた人います? 何だかわがままで勝手なイメージがないですか。
実際に『それから』発表直後の世間の評判をリアルに追えたらもっとはっきりするとは思いますけど、ここ、何か『それから』の代助に対するステレオタイプの評論を揶揄っているように私には思えます。
高等遊民の團體を爲し、風を毀け俗を傷るに到りては、頗る寬恕しO難き情態あるに似たり。吾人は決して富と貴との敵にあらず。
高きものは、唯だ自個の氣位のみにして、空しく高等遊民となり、其の富貴の餘勢を恃んで自から禍し、世を禍す。此の如き子弟か、他日は父兄となるに於ては、果して其子弟は、如何なる者たる可きぞ。
而して此儘◎◎◎にして經過せば、社會は高等遊民を以つて、充塞せらるゝに到らんも、◎未だ知る可らずそれ資本を擁して、遊び暮らすも遊民也。智識才能◎を有して、遊び暮らすも遊民也。(『日曜講壇 第4』徳富猪一郎 著民友社 1904年)
1904年は明治三十七年、まだ漱石はデビューしていません。
己ニ學ビシ所ニ無頓着ナルノミナラズ進テ心的營養分ノ攝取ヲ怠リ日一日ノ安佚ニ耽テ爲ス所ナキニ終ラントス、コレ豈學問ノタメ計テ忠實ナラズ社會ノタメ所謂高等遊民タルモノニアラズヤ、(『漫感録 双峯』永瀬一作 (双峯) 著永瀬一作 1911年)
「高等遊民」はこのころにかなり話題になっていた言葉のようですね。
若し現時の狀態にして益進み、下級男子の職業をば、悉く女子の手に委ぬるに至らば、所謂高等遊民の數を增加し、女子 帝國の將來を顧みざるの勇氣 は益婦嫁の對手を失ひ兩者の堅落は相交互して進沙せん。(『生物学的人道観』遠藤吉三郎 著博文館 1911年)
漱石作品を離れて「高等遊民」のもともとの意味を辿れば「働かなくても生活できる人」ではなく、どうも「高等教育を受けながら職に就けない人(男)」ですよね。
若し大學の門戶を狹くすれば高等中學校を卒業して遊ぶ者を生ずる道理である。若し高等中學校の卒業生が今日の專門學校の卒業生の如く社會の需要があらば、それでもよからうが、若しそうでなければ眞に高等遊民を作ることとなると思ふ。(『国民道徳と教育』吉田熊次 著目黒書店 1911年)
一云ウテハ語弊ガアルガ、事實ソレハ影響ヲ及ボシツヽアルノガ、今日ノ事實デアリマス、生計ノ困難ナルガタメニハ犯罪人モ增市村村ヒロヲ經ケタットムージニバニュテテ市中村〔電燈科ノ高價加スル、病人モ增加スル、高等遊民ノ數モ多クナル實ニ大ナル社會問題デゴザイマデアル故ニ、其モノニ向ッテ一方ニ會社ヲ御許シニナレバ、自然是等ノ制裁ガ出來ルガ、シテ、寧ロ人道ニ關スル重大ナル問題……(『衆議院議事速記録 第28回』印刷局 1912年)
史実からすればそもそも「高等遊民」という言葉は漱石のデビュー前からあり、漱石が『それから』『門』を書いた翌年、1911年、明治四十四年には社会問題化し盛んに取り上げられ、ついには1912年には国会でも議論されたということでしょう。そしてどう云う訳か松本恒三の言う「高等遊民」と当時の社会問題としての「高等遊民」ではまるで逆の意味になります。漱石の「高等遊民」は働かない人、社会問題としての「高等遊民」は働けない人です。教育ある無職業者です。
「君はさっきから、働らかない働らかないと云って、大分僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃される通り僕は働らかない積りだから黙っていた」
「何故働かない」
「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。……」(夏目漱石『それから』)
日露戦争の為の借金で首の廻らない日本を考えると、代助の言い分にも一理あるように思えてきます。しかしそんな事情も知らない人たち、特に海外の人たちの代助批判は厳しいですね。まあ自立していないですから。
それにしてもこう見て行くとやはり松本恒三が高等遊民を自称し、余裕がありそうなことが変じゃないですかね。何故捻じれたんだろうという感じがします。この捻じれ問題はいずれまた掘ります。
[余談]
「生活難結婚難から容易に家庭を持てぬ高等遊民」などと云う言葉も見つかった。これは悲惨だ。
「私などの下等遊財產を擁して遊んで暮してゐる正眞正銘の高等遊民で、民とは違つてゐる」は徳田秋声。これは松本恒三の「高等遊民」に近い。
「先づ第一に言ふべきは婦人也、下層社會に於ては、婦人の職業に從事するもの少からざれども,是れ寧ろ例外にして、其大多數は化粧三昧に日を送りて、男子高等遊民の玩弄に甘んずるもの也。」これはトマス・モアの『ユートピア』
「ある時、高等遊民の問題が起つた時分、總長が哲學者や小說家はどうするんだといつたのをおもしろく感じた、ばかりではない、大さう誇りかに感じた。」なんてのもある。
確かに哲學者や小說家は働いていることになるのだろうか?
「あー、これが直近3年間で廃業したSaaS企業かぁ」
— SaaSで働く千尋 (@SaaS_product) September 12, 2022
「最初は無料施策で導入数を稼いでいたけれど、その後のマネタイズにとことん失敗したのね」 pic.twitter.com/Gz0SIij7YY
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— みやさかしんや@Python/DX/エンジニア (@miyashin_prg) September 12, 2022
ググルマプみてたら「かなしい坂」があり、気になって見てみたら悲しい少年がいた pic.twitter.com/1Ob0sxnkzI
— モモ (@momocolory) September 12, 2022
I was today years old to find out that there is a ご当地怪獣 ("local kaiju") for Kawaga prefecture and its name is ウードン (U-don), a kaiju manifestation of udon noodles, because Kagawa prefecture is renowned for udon 🤣 pic.twitter.com/CBc2ZhQlQX
— 箕島 綺譚(they/them) 💖 Support Black Trans Liberation (@MishimaKitan) September 13, 2022
