文學におけるフリチンの十分条件とは何か
私はこれまで夏目漱石の『こころ』の鎌倉での海水浴で、話者「私」はフリチンのように仄めかされていると書いてきた。実際、注意深く読んでみると、「私」が何かを身に着けているとは考えられないのだ。
海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。(夏目漱石『こころ』)
無論ここでは「私」がフリチンだとわざわざ断られているわけではない。書かれていないフリチンは飽くまでも身に着けているものがないはずだという理屈の上から浮かび上がるものだ。では明示されないフリチンを文学におけるフリチンと見做してよいかという問題は、「明示しないこと」あるいは「不作為」をどう扱うかという問題でもある。不作為とは『それから』において代助が心臓の良くない三千代に鈴蘭を付けた水・つまり毒を「結果的に」飲ませてしまったことをどう解釈するかという問題である。こちらについては、かなり長い話になってしまうので稿を改め、今回は「明示しないこと」と「明示すること」の差について考えてみたい。
どういうわけか晩年の漱石は繰り返し露出を描く。本稿ではその露出の作法について確認しつつ、文学におけるフリチンの十分条件について考察する。
まず件の『こころ』においては、海水浴での「私」のフリチンの仄めかしに続いて、西洋人の猿股にフォーカスされることを確認しておこう。
私の凝っとしている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆の前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。(夏目漱石『こころ』)
この西洋人の猿股が特殊なものでなければ、必ず濡れて透けていたことだろう。この西洋人を敢えて珍しく見ることで、「私」のフリチンは感覚的に隠されることになる。猿股一丁ですら奇異なのに、まさかフリチンはないだろうという常識が働いてしまうことにはなる。それでも確かに「私」には衣服は与えられておらず、理論上はフリチンなのだ。この後「私」は先生と泳いで二丁も沖に出ることになる。波の穏やかな遠浅の海岸であれ、二丁も沖に出るのに、浴衣などを着るわけにはいかない。このような幻惑によって「私」の股間には文学上のベールがかけられており、そのベールによってフリチン性は排除されたと見做すべきだろうか。
しかしまた『こころ』の露出は続く。
先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応えのあったようにも思った。また的が外れたようにも感じた。仕方がないから後はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。
「やあ失敬」(夏目漱石『こころ』)
三島由紀夫は小説ではわざわざ大小便を書くべきではないと云うが、それに抗するように夏目漱石と村上春樹はわざわざ大小便を描いて見せる。(村上春樹の『羊を巡る冒険』にはわざわざ三島事件と長い小便があらわれる。)この場面で、先生は股間を「私」に見せつけたわけではないし、「私」もただ「立っていた」のであり「凝視していた」のではない。先生の股間は理論上露出されている。しかしこれをフリチンと呼ぶのはどうかとも思われる。立小便という明確な目的があって取り出される場合、それはフリチンという状態とは別のものであると考えられるからだ。そう思ってもみれば、これまであいまいにされてきたフリチンの定義がおぼろげながら少しづつ見えてきたように思われる。つまりフリチンと言い切るためには、單に泌尿器が衣服の裂け目から露出されるだけでは不十分であり、股間が完全にさらけ出される必要があるのできないかと思えてくるのである。
やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰に倣った。それから三人前後して濡れた石を踏みながら典座寮と書いた懸札の眼につく庫裡から案内を乞うて座敷へ上った。(夏目漱石『初秋の一日』)
当時立小便とはこの程度に自然な行為であった。先生の小便もやはりフリチン性を欠いていると見做してよいだろう。
日本文学における完全なフリチンとは例えば太宰治の、
「万歳、王様万歳。」
ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。(太宰治『走れメロス』)
この場面におけるフリチンがまず「十分条件」を満たしていると云えるだろう。この場面においてもその部分が明記されている訳ではない。しかしその部分を独り占めしたいという可愛い娘さんを仕立て上げることで、王様はメロスを見事にフリチンにしていると考えてよいだろう。
一方、仮にその部分が明確に露出しているものとして描かれてある場合においてさえ、それをフリチンとは認めがたいケースもある。それは例えばこのような場面である。
また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶にピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目の曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚いて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗の風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。(太宰治『人間失格』)
確かにその部分を露出させてはいるが、これはフリチンではなく、ハミチンと呼ぶべき状態であろう。ハミチンは一部の露出でも成立する。またフリチンが無防備であるのに対して、ハミチンは油断である。無防備は笑いにはならない。油断が笑いになる。太宰治はこのようにハミチンを具体的に示すことによって、メロスのフリチン性を文学的に確立した一人だと言ってよいだろう。
さて再び夏目漱石の『こころ』に話を戻せば、「私」の実家での実父の浣腸がやはりフリチンであることに気が付く。
その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、母と私はそれぎりこの事件について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸などをして帰って行った。
父は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な父は、最初の間こそ甚くそれを忌み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床の上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るに従って、無精な排泄を意としないようになった。たまには蒲団や敷布を汚して、傍のものが眉を寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。(夏目漱石『こころ』)
夏目漱石が「私」の父親を明治天皇と同じ病気に設定したこと、先生の妻の名を「静」として殺さなかったことは、御大喪で「殉死」されたことにされる乃木大将と静子に対する疑問ゆえのものであり、この浣腸は先生が義母の下の世話をしたことの仄めかしであり、明治天皇も浣腸されていたのではないかという仄めかしである。私はここに下卑た悪ふざけや猥雑なものがあるとは考えない。それはこの『こころ』の前に、漱石自身が五人がかりでのの浣腸体験を経ているからだ。フリチンであること、浣腸されることを、單なる露出狂や変態性欲に結びつけることは大きな誤りだろう。人はフリチンで生まれ、フリチンで死んでいく。どんなに偉そうなことを言っていても、浣腸される時はフリチンである。浣腸は遊びではない。生き死にをかけた医療行為である。医療行為に於いてフリチンはさして特別なことではなくなる。「私」の父親の浣腸がわざわざ新聞小説に描かれるのは、誰かの朝食を不味くさせる為ではなかろう。このこともまた私以外がほとんど言及することのない「隠されてもいない事実」なのだが、何故か漱石はフリチンを強く意識していたと思われる。
私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。(夏目漱石『こころ』)
このどこがフリチンだと問う人があるだろうか。ならば、窓の高さとその部分の位置を正確に示す必要があろうが、窓の高さは明らかではない。だが現在、裸体で、窓を開けて立つ者がいれば、そのことを露出とみなされることは仕方あるまい。暑いから裸になった、手拭いを濡らして汗を拭いたとは書かれていない。風に体を涼ませたとも書かれていない。見ているのは自分であるが、その姿が見られていればこれは十分にフリチンであると言えるのではなかろうか。そしてこのようなフリチンはやはりわざわざ晒される。
「夜になって一寝入して眼が醒めると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干の傍まで出て下を覗いた。すると向うに見える柳の下で、真裸な男が三人代る代る大きな沢庵石の持ち上げ競をしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体の人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」
「何だか水滸伝のような趣じゃありませんか」(夏目漱石『行人』)
余り長文になるのでこの会話の前後は晒さないが、この語りの場には二人の女性がいた。この語りの中で真裸な男は意図して現れ、わざわざ女性の脳裏にそのフリチンが描かれることになる。言われていることは十分にフリチンである。公然と裸になれば、これはフリチンである。真っ裸の男は部分が描かれるまでもなくフリチンであろう。
この漱石のフリチンへのこだわりは悪ふざけとか、冗談として捨て置くことのできないこともまた明らかだ。
ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕を送ったのももう三カ月の昔になる。その頃は二階の廂から六尺に余るほどの長い葭簀を日除に差し出して、熱の強い縁側を幾分か暗くしてあった。その縁側に是公から貰った楓の盆栽と、時々人の見舞に持って来てくれる草花などを置いて、退屈も凌ぎ暑さも紛らしていた。向うに見える高い宿屋の物干に真裸の男が二人出て、日盛りを事ともせず、欄干の上を危なく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向あおむけに寝たりして、ふざけまわる様子を見て自分もいつか一度はもう一遍あんな逞しい体格になって見たいと羨んだ事もあった。今はすべてが過去に化してしまった。再び眼の前に現れぬと云う不慥な点において、夢と同じくはかない過去である。(夏目漱石『思い出す事など』)
むしろ漱石の本音はこの辺りにあるのではなかろうか。見せびらかすことのできるほどの立派な裸体、それは年老い病気でやつれた漱石にはもう手に入らないものであり、はかない憧れでもあった。一方では則天去私などとは言いながら、密かに立派なフリチンにあこがれていた漱石。どう見ても七十過ぎにしか見えない漱石の死顔を見れば、立派なフリチンへのあこがれがけして変態性欲などではないことが解るだろう。立派なフリチンこそが生きてある証であり、それをプロットとして挟み込むことは、悪ふざけでもなんでもなく、人間を描くという文学の本質だつたのではなかろうか。
医者は探りを入れた後あとで、手術台の上から津田を下した。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前まえ探った時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」(夏目漱石『明暗』)
夏目漱石の遺作となった『明暗』はこのようにして尻にフォーカスして始まる。『明暗』は書かれているところまでで原稿用紙換算枚数944枚と、漱石作品の中で最も長い。完結した作品としては『吾輩は猫である』が860枚、『行人』が638枚であるから、満身創痍の漱石にとって『明暗』がいかに必死な作品であつたかということが知れる。しかもこの『明暗』にはこの先まだいろいろと書かれるべきことがあったことが窺い知れる。
この必死の作品『明暗』の冒頭では、確かに裸体に近いものが現れはするものの、十分なフリチンが描かれているとは認めがたい。肛門は開かれていたのだろう。しかし前がどうだったのかは曖昧だ。見えているのか見えていないのかはっきりしない。しかし、飽くまで漱石は立派なフリチンを描きたいのだ。
その時不意にがらがらと開けられた硝子戸の音が、周囲をまるで忘れて、自分の中にばかり頭を突込つっこんでいた津田をはっと驚ろかした。彼は思わず首を上げて入口を見た。そうしてそこに半身を現わしかけた婦人の姿を湯気のうちに認めた時、彼の心臓は、合図の警鐘のように、どきんと打った。けれども瞬間に起った彼の予感は、また瞬間に消える事ができた。それは本当の意味で彼を驚ろかせに来た人ではなかった。
生れてからまだ一度も顔を合せた覚えのないその婦人は、寝掛けと見えて、白昼なら人前を憚るような慎みの足りない姿を津田の前に露した。尋常の場合では小袖の裾の先にさえ出る事を許されない、長い襦袢の派手な色が、惜気もなく津田の眼をはなやかに照した。
婦人は温泉煙の中に乞食のごとく蹲踞る津田の裸体姿を一目見るや否や、いったん入りかけた身体をすぐ後へ引いた。
「おや、失礼」
津田は自分の方で詫るべき言葉を、相手に先へ奪とられたような気がした。すると階子段を下りる上靴の音がまた聴こえた。それが硝子戸の前でとまったかと思うと男女の会話が彼の耳に入った。
「どうしたんだ」
「誰か入ってるの」
「塞ってるのか。好いじゃないか、こんでさえいなければ」
「でも……」
「じゃ小さい方へ入るさ。小さい方ならみんな空いてるだろう」
「勝さんはいないかしら」
津田はこの二人づれのために早く出てやりたくなった。同時に是非彼の入っている風呂へ入らなければ承知ができないといった調子のどこかに見える婦人の態度が気に喰わなかった。彼はここへ入りたければ御勝手にお入んなさい、御遠慮には及びませんからという度胸を据えて、また浴槽の中へ身体を漬つけた。
彼は背の高い男であった。長い足を楽に延ばして、それを温泉の中で上下へ動かしながら、透き徹るもののうちに、浮いたり沈んだりする肉体の下肢を得意に眺めた。(夏目漱石『明暗』)
これはまたフリチンの必要条件を満たしていると云える記述の一つであろう。「透き徹るもののうちに、浮いたり沈んだりする肉体の下肢」と「上下へ動かし」ているものは別のものであろう。この津田の鰐族とも露出狂とも言い得る態度は、漱石自身の則天去私の表れではなく、漱石自身の「生」に対する尊厳の表れだろう。しかしここには明確に何かが足りない。観察者である。「それは本当の意味で彼を驚ろかせに来た人ではなかった。」とはシンプルに津田の中にはどこかで「清子に立派なフリチンを見られたかった」という願望と期待があったという意味だろう。そしてそれが人間なのだと漱石は云いたいのであろう。浣腸で晒される貧相に縮こまった泌尿器ではないもの、生きてあることの証、もう戻らないもの……。そんなものを反逆者・清子に見られることが、津田のひそかな願望だったのに。
しかし、『明暗』はそこに到達する前に途絶えてしまった。津田の裸体は清子という観察者を得られることがなかった。かくして漱石の必死の遺作はフリチンの必要条件を満たしつつ、メロスの場合のような観察者を得られないことで、フリチンの十分条件を満たさないまま閉じたと言ってよいだろう。
同様に私の文學もまだ完全なフリチンとは言えない。まだ一人の観察者も得られていないからだ。いや、これは私個人の問題ですらないのだろう。近代文学1.0はただ一人の観察者も持たなかった。ただ風呂場で待ち伏せしているだけだ。
— おおばにゃき (@TheOobanyaki) April 30, 2022
switchの人マリカーしてて頭の画面も連動してたすごかった pic.twitter.com/dJIK4OfN2A
— たこまる🐙◯ (@octopus8tan) May 1, 2022
2022年そんなわけないオブザイヤー pic.twitter.com/rC61amwnlW
— キッザニ・アニ・ムスメトイーク@転勤族BBQ愛好家(熊本のサウナを全制覇した人) (@BBQ_SAUNAsuki) April 28, 2022
嘘だろうとつい見入ってしまう。まさかこんな未来になるとは思いもしなかった人が国内外に大勢いるはず。まるで時間が止まったまま。非常に困惑してしまう…。
— さかいとしゆき (Sakai Toshiyuki) (@SakaiToshiyuki0) April 30, 2022
「かながわ女性の活躍応援団」が批判浴びながらまだ“全員男性”で運営続ける真意」
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サイゼリヤにうな重を持参して食べる亀田誠治
— ☁️まっぴぃ⑭🍎 (@ukigumo_417) April 30, 2022
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そういえば、通りすがりの綺麗な女性に向けて口笛を吹く「キャットコーリング」っていうやつ、明確に「日本にはほぼなくて欧米諸国にはある、女性を性的に見る態度」ですね。
— 𝑷𝑲𝑨 (@PKAnzug) April 28, 2022
日本ではまず見ないからみんな意識にないと思うので、リマインダーとして貼っておきますね。https://t.co/4AAE9Hr2Oy pic.twitter.com/AzGru7n7KM
やってる。猫に。
